停電中 2011-03-16 19:22:50 | その他 自宅まで2分のところで信号が消えた。 混乱前に帰宅。 でも、家はある。暖かい布団もある。 情報は欲しいけど、何ができる訳でもない。 できるのは節電。 もう、布団に入ります。 外の方が月で明るい。しーんと言う音が聞こえそうだ。 夜の静けさを思う。
生ましめんかな 2011-03-15 19:39:50 | その他 今日は雨が予想されたので、申し訳ないけれど、自動車で通勤。 雨の中を40km自転車を焦げない。 今日もガソリンスタンドは長い行列。 あるいは無灯。 スーパーの食料品なども買占めが進んでいる。 なぜ、今? 少しずつみんなが我慢すればいいのに。 みんなが7割の生活をすればいいのだ。 津波に飲まれた後の町並み。 原発の事故の情報。 それを耳にするたびに、栗原貞子の詩、「生ましめんかな」を思い出す。 原爆の夜、産気づいた母親を同じく負傷者の産婆がおのれの命と引き換えに 子供を取り上げた、と言う詩だ。 詳しくは省略するけれど、最後に、 「かくて地獄の暗がりの底で、新しい命は生まれた かくてあかつきをまたず、産婆は死んだ 生ましめんかな 生ましめんかな おのが命捨つとも」 ・・だったと思うが、こんな言葉がある。 僕はこんな思いになれるだろうか? 希望や、新しい命を、そして他人を思いやれるだろうか・・・
涙が流れた 2011-03-14 20:08:27 | 上州の道 昨日整備した自転車にまたがり、朝5時すぎに自宅を出た。 前橋までの40km、2時間半かかった。 途中、大渋滞。 渋滞を作って給油したガソリンが、 渋滞の中で空費される。 可能ならば、歩きか、自転車で通勤してほしい。 無駄なエネルギーの使用を極力減らしたい。 10kmくらいまでの距離なら、自転車で通えるはずだ。 帰りは1時間45分で着いた。 ガソリンスタンドは今日も渋滞だった。 朝方、島村渡船あたりで休憩した。 ここで日の出を迎えた。 赤々と焼ける東の空を見上げたらなぜだか涙がこぼれそうになった。 日はまた昇る。 初めて義援金を募金した。 お金を入れるとき、なぜだか涙がこぼれそうになった。 少し、涙もろくなっているようだ。 自宅に辿り着き、ふくらはぎと太ももがつりそうになった。 それでも僕に出来ることをやろう。
賢者と愚者 2011-03-13 18:44:57 | その他 実家の様子を見に行ってきた。 幸い実家も、墓石も無事だったが、 近所では瓦が落ちたり、墓石-がひっくり返ったりしているところがあった。 一安心して、深谷に戻る。 途中、ガソリンスタンドに長蛇の列が出来ていた。 お昼過ぎにはしまってしまったガソリンスタンドもあった。 自宅に戻り、僕は慌てて自転車の整備をした。 明日からの出勤は出来る限り、自転車で前橋まで行こうと思う。 出来るだけ使うエネルギーを減らそう。 正直、朝はまだ寒いし暗いけれど、それ位は我慢できる。 往復80kmはきついけれど、それも我慢できる。 予定が少し早まっただけだ。 節電もしよう。 僕のカロリーは我慢も出来るし、そもそも断水していないし、 食事は取れる。 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。 僕はオイルショックは知らないが、93年の米不足は知っている。 取り付き騒ぎがあって、タイ米を輸入したが、結局タイ米はあまってしまった。 慌てて買い付けに走る必要はないと思う。 僕たちは出来るだけ、エネルギーを節約し、必要なところに送れるとよい。 夕方、自転車の整備を終えて空を見上げると、 自衛隊のヘリコプターが深谷の上空を北上していった。 僕は僕にできることをしよう。 今日は早く寝て、節電しよう。
釜石の津波 2011-03-12 20:18:17 | その他 7時のNHKニュースを見ていた。 一番最初に映ったのは見覚えのある釜石の港。 あのリアス式海岸の奥まったところに、 大量の海水が押し寄せていた。 半年前、あの海岸沿いの道を通ったのだ。 高台に避難した人の中に、知った人がないか画面に釘付けになった。 画面にその顔を見つけることは出来なかったが、 あの濁流をみると、人々が避難できたことに感動する。 一人でも多くの人が無事でありますように。 原発のニュースには言葉を失った。 しかし、原発の是非を問う資格は僕にはない。 今でも、原発の発電のおかげで電気が使えている。 ただただ現地の無事を祈るのみ。