新宮市立城南中学校

城南中学校の学校生活の一端をご紹介します

思いを読み取れる人間に

2008-10-08 07:18:21 | Weblog

 2学期になって、2年国語の授業では『盆土産』というお話しを勉強しました。昭和40年頃の東北地方と思われる山村に、祖母と姉の三人で心細く暮らす小学3年生の主人公のもとへ、東京へ出稼ぎに行っている父親が帰ってきます。「今度の盆は帰れないだろう」と言っていた父親が、1日半しか盆休みがないにもかかわらず夜行列車の往復を強行してまで持ち帰った土産はえびフライ。主人公達にとって今まで見たことも聞いたこともなかったこの美味しいえびフライを囲んでの幸せな食卓もつかの間、翌日には父親は東京に帰ってしまう。・・・家族のきずなや温かさを描いた三浦哲郎の不朽の名作です。
 その後、向田邦子の『字のないはがき』というお話しも勉強しました。「死んだ父は筆まめな人であった」の書き出しで始まるこの文章で、作者は在りし日の父を振り返ります。ふんどし一つで家中を歩き回り、大酒を飲んではかんしゃくを起こし、妻や娘に手を挙げていた父から、別居生活を過ごした女学校時代の作者に三日にあげず手紙が届きます。「向田邦子殿」と表書きされたこの手紙は、文面も折り目正しい時候の挨拶に始まり、父親らしい訓戒も添えられていて、威厳と愛情に溢れた手紙でした。父の罵声やげんこつが日常のことであった作者は、普段とは違う父の姿に接し、戸惑いながらも晴れがましいようなこそばゆいような気持ちになったと述懐しています。ところが作者は、この思い出深い父の手紙よりも、父が宛名を書き、妹が文面を書いた「字のないはがき」が、最も心に残ると言います。終戦の年の四月、あまりに幼く不憫だと手放さなかった小学1年の末の妹を、東京大空襲で命からがらの目に遭った父はようやく疎開させることを決意します。まだ字の書けない娘に父は、「元気な日は丸を書いて毎日一枚ずつポストに入れなさい。」と、自分宛の宛名を書いたおびただしい数のはがきを持たせました。遠足にでも出かけるようにしてはしゃいで出かけていった娘から、とうとう×のはがきも来なくなった三月目に、母は疎開先に迎えに出向きます。出窓で見張っていた弟が「帰ってきたよ」と言うと、茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出し、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣きます。

 この二つ教材を通して、国語の授業的には「読み取りを深めること」や「考えをまとめること」を勉強するのはもちろんなのですが、それと同時に、この名作を通して「親の思い」を少しでも感じとり理解できるようになってほしいと願いながら、私はこの授業に取り組みました。どうしてこの父親は、わずか1日半しかない休みに夜行列車の往復という強行軍を押してまで盆土産のえびフライを持ち帰ったのか。どうしてこの父親ははだしで表へ飛び出し声を上げて泣いたのか。そんな父親の思いも読みとることができるようになってほしい。そしてそうやって他の人の思いを読み取れるようになっていってほしい。自分の立場に置き換えて考えて、自分の周りの人達の思いを感じ取り、応えることが出来るようになっていってほしい。そうすれば、この2年生の子供たちも、少しは落ち着いた学校生活を送れるようになるかもしれない。そう考えていたのですが・・・。

 2学期が始まったばかりの頃は、1学期末に学年集会を開いて訴えかけたことが功を奏したのか、静かで落ち着いた学校だったのですが、9月半ばぐらいから荒れ始め、ここのところ、授業態度だけでなく生活態度まで1学期よりも更にエスカレートしてしまっている有様でした。授業中でも平気でアメやガムを食べる子がいたり、授業が始まっても教室に入ろうとしなかったり、授業が成立しなくなるぐらい騒がしくなったり・・・目に余るものがありました。

 一昨日、もう一度各担任から子供たちに訴えてもらいました。そして昨日は学年集会も開きました。もう一度自分達の生活態度や学習態度を見直そう。授業をきちんと受けよう。服装をきちんとしよう。自分勝手な行動を慎もう。我慢しよう。落ち着いた学校生活が送れるようになろう。・・・そう必死に訴えました。

 今日からの子供たちの奮起に期待します。

            (2学年主任 井口英夫)