作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

一生のうちに流す涙の数は。

2009-10-25 14:27:23 | Weblog

 人は一生のうちに幾たび涙を流すのであろうか。
私は57歳の現在に至るまで、幾たび涙を流したであろうか。

 幾つの時であったろう。父親に始めて拳骨を食らって涙したのは。 

小学生の時であったろうか。学校から帰って来て、
 家に誰もいなくて窓枠にしがみついてわんわん涙したのは。

 幾つの時であったろう。
列車の中で両親にはぐれ、泣き泣き車両を、父母を捜し求めて歩いたのは。
 車掌に手を引かれ、ようやく大阪駅で両親と再会した嬉しさに
 わんわん涙したのは。

 高熱で衰弱したからだで、力なく食事をとっていた時に、
 「だらだらするな」と、
 父親に茶碗を顔面に投げつけられ、
 悔しさに泣きに泣き、涙したのは。

 でも、殺したいほど憎んだ親父が亡くなった時には、
 悲しみに涙はぼろぼろこぼれた。

 中学生の時にも涙した。
 運動場のど真ん中で一人。暮れなずむ夕日の中で。
 理由もなくクラブの全員にのしかかられ、
 押しつぶされそうになった時に訪れた
 えもいわれぬ孤独感ゆえに。

 そして一昨年。
 在日4世の1人娘が言った。
 「アボジ。しばらく日本から離れてみようと思うの。
 祖国や、色々な国を見聞してみようと思うの」 
 苦労するぞと、大変やどと、私は反対したが決意は固く、
 成長を望む娘の意見に屈した。
 子はいつかは独り立ちしなければならない。
 旅立ちの時、やはり私は泣いた。涙ながした。
 ただ心ひそかに。











応援歌。

2009-10-07 16:10:34 | Weblog
私は沢山の詩を書いてきた。

ほとんどが、つまらない

恋愛や、異性を詠った詩だ。

拙い、幼稚な詩だ。



60に達したいま

ほとんど詩は書けないでいる

妻に言われるくらいだ

「最近詩は書かないの」

私は答える。

「書けないのだ」

「情熱が失せてしまったのだ」

「世事の何事にも、

 興味が無くなったのだ」



今年4月、末っ子が社会人になった。

順風満帆と行くかとおもわれた次男の

社会人生活が突然暗礁に乗り上げた。

悲鳴に近いSOSの送信が

度々送られてくる。

受信する度に、

私の心臓から、

夥しい血が流れ出る。



私は携帯や、パソコンで、

沢山のメッセージを送った。

殆どが応援歌だった。

「ありがとう」の返信が

さらに私に太鼓の撥を打たせた。



いつしか私は詩を書いていた。

あたたかい血が通った詩を書いていた。

ありふれた言葉の数々。

「頑張れよ」

「負けるなよ」

子供は再び航海し始めた。


  *この詩は、2009年8月29日に、朝日新聞大阪本社の「声」の欄に投稿して不採用になったと思われる投稿詩である。若干加筆修正しています。一応朝日新聞社様には、投稿して1ヵ月経過した投稿文は、自己のブログであれば、発表して良しとの回答を得ています。