人は一生のうちに幾たび涙を流すのであろうか。
私は57歳の現在に至るまで、幾たび涙を流したであろうか。
幾つの時であったろう。父親に始めて拳骨を食らって涙したのは。
小学生の時であったろうか。学校から帰って来て、
家に誰もいなくて窓枠にしがみついてわんわん涙したのは。
幾つの時であったろう。
列車の中で両親にはぐれ、泣き泣き車両を、父母を捜し求めて歩いたのは。
車掌に手を引かれ、ようやく大阪駅で両親と再会した嬉しさに
わんわん涙したのは。
高熱で衰弱したからだで、力なく食事をとっていた時に、
「だらだらするな」と、
父親に茶碗を顔面に投げつけられ、
悔しさに泣きに泣き、涙したのは。
でも、殺したいほど憎んだ親父が亡くなった時には、
悲しみに涙はぼろぼろこぼれた。
中学生の時にも涙した。
運動場のど真ん中で一人。暮れなずむ夕日の中で。
理由もなくクラブの全員にのしかかられ、
押しつぶされそうになった時に訪れた
えもいわれぬ孤独感ゆえに。
そして一昨年。
在日4世の1人娘が言った。
「アボジ。しばらく日本から離れてみようと思うの。
祖国や、色々な国を見聞してみようと思うの」
苦労するぞと、大変やどと、私は反対したが決意は固く、
成長を望む娘の意見に屈した。
子はいつかは独り立ちしなければならない。
旅立ちの時、やはり私は泣いた。涙ながした。
ただ心ひそかに。