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日が経るに付け、私の記憶は段々と曖昧になってきますが、前回は私が、医療法人京都共和会の正規所員に採用され、また叔父宅によく泊まらせて頂いたと言う様な内容のブログを書かせて頂きましたが、それから2~3年後には、遂にS病院傘下に在った「我が診療所」が独立することになります。
叔父が独立を決意した1番大きな理由としましては、何か物事を決定するにあたって、自らが自主的に判断を下して、実行したいと言う思いが強かったように思います。何か1つの事を実行しようと思っても、どの様な些細なことであれ、S病院にお伺いを立てねばならないという従来の方式では、とてもではないが、叔父が抱いていた医療に対する理念と言いますか、構想と言いますか、それらの実現は限りなく不可能であったからです。
また、私の初任給を知らされた所長が次のように言ったことを思い出します。
「こんなに安いのか!」
叔父としましては、4流であれ4年生の大学を出た私の初任給が、自身が想像していたよりかなり低かった事に、少なからぬ衝撃を受けていたようです。また、その事に関して、自身が何等の関与も出来ないことに。それらの事も一因として働き、叔父の性格からして熟慮に熟慮を重ねて下した判断であったように思います。
「独立しよう」
叔父はある時私に命じました。
「S病院の経理室に見習いに行って来い」と。
それから3ヶ月間程、隔日だったか、週に2~3回だったか忘れましたが、S病院の地下室の経理室に見習いに行きました。
この時に非常に役立ったのは算盤でした。勿論、当時も計算機は有りましたが、現在では100円くらいから、日常普通に使用するには何等支障の無い物が売られていますが、当時はかなり高額で、その地下の経理室には置かれてあったか、記憶が定かではありません。
とに角、今は亡き母親が小学生の時にそろばん塾に通わせてくれたお陰で、本当に助かりました。一般簿記は大学の時にある程度学んでいたので、余り苦労せずに済みました。ただ、机上で学ぶのと、実際にやってみるのとでは多少違いはあり、最初は恥ずかしいと言う感情もあり、その面では少しうろたえ、とちりましたが、そう日を経ずして終えることが出来ました。参考に言えばそろばんは2級程度ほどで、簿記もこれまた2級程度ほどの実力でした。いや簿記は3級くらいだったかも知れません。
さてその地下の経理室は、重い鉄扉を開けますと部屋の真ん中、東西に向かい合わせに事務机が4脚と、奥の南側に普通の事務机を二つ併せたぐらいの大きな机が1脚ありましたが、それはS病院の事務長の机でした。要するに地下の経理室には3名の事務員と事務長、都合4名が在室していました。そこで空いていた一脚の机と椅子が私に宛がわれて、私は当分の間、医療簿記の習得に勤しむ事となるのです。
当時の事務長は、既に他界されましたが、最初私に数字を書かせると、
「これはあかんわ。数字の書き方から勉強せなあかんわ」と言い放ったものです。私は恥辱で真っ赤になったものですが、その後も上達せず現在に到っています。また、数字もそうですが文字も下手糞の極致で、小学生の頃に習字を習ったにもかかわらず、とてもじゃないですが、人様にお見せできるような代物ではありません。だから、ワープロなるものが世の中に出回った時には、叔父にねだっていの一番に買い求めたものです。お恥ずかしいですが、こんなエピソードもありました。朝鮮の気難しそうな面持ちの老人ですが、普段は非常に温厚な方だったのですが、薬局を担当していた私にこう言い放ち、怒りを露にしました。
「お前は、人の名前を何と心得ておるのか。分かるような字で書きなさい」
そうです、創氏改名を強いられた朝鮮人・韓国人には、姓名と言うものに対して、特別な思い入れがあるのです。
私は平身低頭その方に心から詫びながら、心中こう誓いました。
「そうだ。朝鮮・韓国の人にとっては姓名は特別の思い入れがあるのだ。これからは一字一画真心込めて、丁寧に書こう」
当然の事ながら、それからは朝鮮・韓国の人達だけではなく、日本の方の氏名も真心込めて書いたことは言うまでもありません。
さて稿を元に戻しましょう。
私は、ある人曰く「熱しやすく冷めやすい」性格だそうですが、「当たらずといえども遠からずで」、3名のうら若き?女性に、たちまち親近感を感じてしまったのです。でも私はどちらかと言えば、異性に関しての美的価値観が偏向していまして、誰にでも友愛は感じはしますが、それ以上は、大抵の場合進展することがありません。
それと私は日本の方には一定の距離を置いてお付き合いする傾向があり、反対に同族には盲目的に溺愛してしまう性向があるようで、恐らく日本の方には知らず知らず身構えてしまう所があるんですね。恐らく家庭環境等、後天的に培われてきた性質でしょう。何かに阻まれ、どうしても一線を越えてお付き合いすることは出来ませんでした。かと言って朝鮮・韓国の方と親しく付き合っている人が居ますかと問われますと、現在は、家族、兄弟以外は誰一人親しく付き合っている人は居ません。ただ最近FaceBookを通じて沢山のお友達が出来たことは大変嬉しく思います。あっ、話がまた逸脱してしまった。それじゃこの続きは次回に。
その後「非通知」電話ですが、この月の22日に1回あったきりで、その後は途絶えています。とに角受話器を取り上げても、既に切れているので対応の仕方がありません。
さて各位へ。謹んで、いつもながらのご報告をさせて頂きます。YouTubeでの再生回数は、3月30日現在34336回に上っています。特に今回27日から28日にかけまして108回の再生回数を記録しました。先日の125回に続きまして今月2度目の100回超えです。この感謝の気持ちを如何に表現すれば良いのか戸惑っています。本当に有難う御座いました。
特に、朝(あさ)絢(けん)詩(じ)さんのブログに書かせて頂いたのですが、統計を取り始めてから、14日から15日の再生回数125回は、1日の再生回数としては、過去最高の再生回数だと思います。心からお礼の言葉を申し述べます。有難うございました。今後とも宜しくお願い申し上げます。また「花さながらの君」、「君に捧げる歌」「郷愁」その他2曲、計5曲YouTube様に、顕(けん)市(いち)趙(ちょう)で貼り付けて頂きました。もし宜しければそちらの楽曲も1度お聴き下されば幸甚です。経済的な事情で編曲は出来ていませんが、30代前半にギターだけで吹き込んだ曲なので、コードを違えたり、テンポが違ったり、音質が悪かったりして、お聴き苦しい点は多々ありますが、ご寛恕下さい。17日から19日の欄は空白になっていますが、娘の用事で釜山に行っていましたので、数字が拾えませんでした。悪しからずご了承下さい。
今後ともご指導、ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。