作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

2011年9月。妻は・・・。

2012-01-19 15:24:21 | Weblog
 明けましておめでとうございます。と申しましても年が明けてから早や19日目になりました。今頃なにをとお叱りを受けそうですが、ご容赦ください。
 時が経つのは本当に速いもので、一昨年末に退職いたしましてから、丸一年経ちました。
 昨年は、私事に起きましては本当に良い年では無かったです。それは昨年の私のブログを読んでいただければ分かると思います。ただ家内のことは少しご報告しておきたいと思います。
 家内は昨年9月の中頃に、左乳房にしこりを触知しました。きっかけはお盆前ごろから乳輪部分が腫れてきたので、思い切って搾ったところ、乳首から血液が吹き出たらしいです。でもまさか家内は癌とはつゆ思わず、一週間ぐらい絶ったぐらいに、私にその事を打ち明けました。それを聞いた私は、血の気が引く思いで、家内の乳房に触れたところ堅い四角いしこりを触知しましたので、即刻、常々私がお世話になっている医院で診てもらうように指図しました。
診察の結果、院長は○○病院宛てに紹介状を書いてくださり、さらには「その病院では土曜日も乳腺外来が開いています」と教えて下さり、翌日早速その病院の乳腺外来で診察を受けました。そしてその日の内に、診断を確定するのに必要な、あらゆる検査をして下さり、1週間後に結果を聞きに行きましたところ、案の定、悪性の腫瘍、すなわち乳癌であると宣告されました。
医師(院長)は手術の必要性があると述べられ、その手術も、腫瘍が乳頭の近くに出来ている為に、乳房を残す事は技術的に困難でもあるし、悪性細胞を取り残す可能性もありえるので、左乳房を全部切除しなければならないと説明されました。
最初は乳房温存手術を望んでいたのですが、再発や転移の事も考慮し、乳房を全摘すると言う、苦渋の決断に到りました。ただ幸いなことに、腫瘍自体が2cm以下であったことと、腋窩リンパ節に転移していないと思われるので、予後は格段に良いでしょうと院長先生が仰って下さったことで、私はその場で手術の日取りを決め、家内の身体を託すことにしました。家内は当事者であるだけに、当然の事ながら非常に逡巡していましたが、私の説明に納得、同意してくれました。
そして9月末に手術は実施されました。院長先生の執刀で。
手術は大変上手く行き、院長は手術腋の小さな別室に私と娘夫婦を招じ入れて、トレーみたいなものに切除したばかりの乳房を入れたものを見せてくださり、私に触ってみてくださいと乳頭の直ぐ側にある患部らしき所を指し示しました。私は親指と人差し指で患部の上下を挟むようにつかんで、両指に力を込めたところ、本当に石の様な硬さの物を触れることが出来ました。いつもと違う感触に、癌の恐ろしさを再認識する思いでした。さすがに娘夫婦は、家内の切除された乳房を一目見るなり退室したようですが、私は家内の生命を絶とうとしていた癌の邪悪な生命体に鉄槌を加えんとばかりに、指先に渾身の力を込め粉砕せんと試みましたが、微塵も動揺を見せない癌細胞に、恐怖の念さえ抱かずにはいられませんでした・・・。
 術後の後は、私が家内に一晩付き添ったのですが、酸素吸入が苦しいから外して欲しいとか、血栓が出来ない様に、両下肢に血圧を測定するときに上腕部に巻く腕帯の様なものを装着するのですが、それが一定の間隔で両下肢を圧迫するとき、家内が非常に嫌がって、何度も「外してほしいと」訴えるもので、明け方近く、夜勤の看護師さんに外していただいたのですが、私は血栓が血管を塞ぎ血流が止まると大変なことになると自己判断し、一定の間隔で両足をマッサージし続けました。
 手術室には午後2時前後ぐらいに運ばれ、5時前くらいに終わったのですが、翌朝までは上記の様な状態で本当に大変でした。
 看護師さんも大変なお仕事だと痛感しました。苦痛を訴える患者様をなだめたり諭したり、また術後は胸腔から排泄される血液や、リンパ液をドレーン(?)を使って取り出すのですが、一晩中一定の間隔で、溜まったそれらの廃液を交換するのですから、眠るわけにもいかず、本当にお世話になりました。改めてお礼を申し上げます。
 私も長い間医療機関に勤務していたのですが、外来だけ(往診や在宅医療もしていた)だったので、病棟に勤務される看護師さんの実態を良く知らなかったのですが、大変勉強になりました。
 術後4ヶ月になるのですが、現在家内は、多くの方々の献身的な努力や配慮のお陰で、1月に1度の通院治療だけとなり、1日1回ホルモン剤を服用して元気に過ごしています。ただそのホルモン剤は、最低でも5年間服用しなくてはならないらしいです。
万が一のことを警戒して、常時家内は自身の身体を厳重に管理しています。まだまだ家内の闘争は続きます。(このブログを公表することにつきましては家内の了解を得ています)
 そんな家内は術後かれこれ6ヶ月になるのですが、たまの気分転換にと、以前知人から聞いていましたフュージョン料理のお店に、私が家内を誘いました。長男も同行して。
横文字に弱い私はフュージョン料理とは、一体どの様な料理のことを指すのか全くわからなかったのですが、創作料理のことを言うのですね。
黒っぽい装いの店内の中に入りますと、同じように黒っぽい色調の店内。奥に細長くなっていまして、私達3人は一番奥のテーブル席に座りました。
メニューを開きますと、早速注文に取り掛かりました。注文は殆んど家内と長男に任せました。飲み物はビールを注文し、3人で乾杯した、運ばれてきた料理に箸を付け始めました。長年某ホテルで、フランス料理の修行をしたといわれるコック長の料理はどれも美味しく、欧米料理が余り好きではなかった私も大変満足して、伏見桃山の大手筋通りを後にしました。後日と言いましてもついこの間なのですが、お礼の電話を知人にしたところ、丁度私の家内が入院する前後に開店したと言っていました。
家内は元から欧米料理が好きだったので、非常に満足したらしく、大変喜ばれました。 
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 さてYou Tubeでの私の楽曲ですが、2012年1月18日現在再生回数が18133回に達しました。各位には心より御礼申し上げます。正直言いましてここまで再生回数が伸びるとは思いませんでした。再生回数の第1番は「愛別釜山港」のハングルバージョンで5629回。2番目は「人生一度」の「蝉」5067回です。「人生一度」は蝉、猿合わせまして8506回。「愛別釜山港」は日本語バージョン等合わせまして8030回になります。引き続きご愛顧の程宜しくお願い申し上げます。また再生回数表を新しくしましたので、朝絢詩さんのブログでもご披露致したいと思っています。
 ブログですが、稚拙な内容や乱筆、誤字脱字で毎度恐縮いたしておりますが、18日現在、朝絢詩(あさけんじ)のも合わせまして、閲覧者様数18958人、訪問者数様15135人に達しております。本当に驚くばかりです。今後ともご指導ご鞭撻の上、宜しくお願い申し上げます。再度感謝申し上げます。
 
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