作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

愛別釜山港 (視聴)

2010-07-24 21:01:41 | Weblog
you tubeから聴けるようになりました!

愛別釜山港
http://www.youtube.com/watch?v=Z6cQJcMS22s

連日うだるような暑さが続いています。私は室内での仕事なので、ありがたいことに猛暑の被害に遭わずにすんでいますが、屋外で仕事をなさっているみなさまがたには心よりお見舞い申し上げます。
 さて、今回のブログをご覧になった方は、「これはなんぞや」とさぞかし驚きになったことと思われますが、以前から娘に、自作曲「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」等の曲を、ブログを読んで下さるみなさまがたに聴いていただける方法は無いものだろうかと相談していたんですが、昨日you tubeから聴けるように娘がしてくれました。まあ、それは良いんですが、娘が私のブログにyou tubeのアドレスを入力してくれたところ、私にはさっぱり理解できないような英数文字が何行にも亘って描かれ、娘は「これはあかんな」とひとりごちていろいろ操作していたようですが、結局誤って送信してしまったところです。
 ブログを読んで下さった多くの方に多大な御迷惑をおかけしてしまい心よりお詫び申し上げます。これに懲りませず、拙いブログですが今後も書き続ける予定ですので、今まで同様お読みくだされば幸甚です。また、「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」等の曲も2回3回と繰り返しお聴きくだされば大変ありがたく思います。
 猛暑厳しき折、くれぐれもご自愛ください。




片思い。

2010-07-04 12:16:31 | Weblog
 私の恋はすべて片思いでした。故に恋と言えるかどうかも疑問ですが・・・。
でもある女性とのデート?の光景を時々思い出すことがあります。
私が25,6歳の時でしょうか。彼女は1,2歳下だったように思います。ある喫茶店の娘さんで、それはそれは、どの様に表現したら良いか分からないほど奇麗な、可愛らしい娘さんでした。
その評判を何かで伝え聞いた私は、午後8時に勤務を終えるや否や、愛車のマークⅡGSSをぶっ飛ばして、その喫茶店に駆けつけました。そのような日々が何日続いたでしょうか。ある時電話を掛けて、外で待ち合わせることに成功しました。そして、彼女を乗せて、とある喫茶店に入りました。連日連夜、夢にまでも見た、狂ほしいどに恋焦がれた女性と間近で向かい合っているという事実に、私の感情はその時歓喜の絶頂にありました。
 ウエイトレスが注文を取りに来ました。私は恐らくコーヒーを注文したであろうと思うのですが、心ここにあらずの状態であったため、何を注文したかは全く記憶には残っていません。
飲み物が運ばれてきました。が何と言うことでしょうか。右腕、右手が硬直して動きません。でも飲み物を前にして砂糖を入れない{と言うことはコーヒーか紅茶だったのでしょう}訳にはいきません。思い切ってスプーンを取り砂糖壷に入れて砂糖を一杯すくったまでは良かったのですが、自分のコーヒーカップに持ってくるまでに、右手が大きく震えだしテーブルの上に砂糖をばら撒いてしまいました。
後はどうなったか、何を話したかさっぱり思い出せません。でも今考えると、その当時の私はうぶというのか、本当に純情だったのですね。
 その日を境にして彼女は二度と再び私とは会ってくれませんでした。その理由はその時の失態にあったのではありません。医療機関に勤める私を、権威ある免許証所有者と思っていたのでしょうね。恐らく私の身元調査なりをして、私が国家資格である**免許証が無い人間だと知ったのでしょう。勿論、そのことで彼女が私を袖にしたことは、後に彼女が**免許所有者と結婚したと、風聞に聞いて分かったことなのですが。
 でも何故急にあってくれなくなったのだろうかと、当時は真剣に悩みに悩みました。血反吐はきながら。
 日毎夜毎彼女の店に出掛けても居るのは彼女の母親ばかり。勿論電話にもでてくれません。本当に失意のどん底でのたうちまわっていました。心臓からも夥しい血を流していました。
 でも現在の家内と結婚して、しばらくしてからは、心底思いました。当時の彼女と一緒にならなくってと。

 次回はその苦い体験から生まれた詩を紹介したいと思います。
 あっそうそう、私の友人の「朝 絢詩」さんのブログも考えられさせますよ。