作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

私と叔父の関係その18.。「私の歌の再生回数表その28」

2013-05-27 13:55:28 | Weblog


 思い起こせば、去年の5月20日が、叔父が鬼籍に入った日だと思いますので、今日で身罷ってから丸1年になるかと思います。時の経つのが余りにも速いので、ただ々驚くばかりです。
 私と叔父の関係の中で生じた様々な出来事を、仔細漏らさず克明に記録しておこうと思い立ってから1年、ブログを読み返して見ますと、殆んど枝葉末節な事柄だけを描いて来て、肝心な叔父の人間像は殆んど描けてなかったように思います。
1年間を通して、お読み下さった読者各位には、お詫びと共に、有難く厚く御礼申し上げます。
こんな事も有りました。私が未だ20代半ば頃だったでしょうか。当時私達親戚の中でも、比較的裕福だった私の所と、私の4番目の叔母のところご夫婦と、叔父の家族とで、自動車を駆って近畿や北陸、四国にえと、よく温泉旅行に出かけました。叔父には長男、次男が誕生していたかも知れません。
旅館では、部屋は叔父夫婦ところだけは別に取り、私の家族(家族と言いましても私の両親と私だけでした。他の兄弟は何故か行きたがらなくて留守居を守っていた)と、4番目の叔母夫婦は同室でした。夕食、朝食はどの地域のどの旅館でも、大広間で私達3家族で取りました。夕食を取った後叔父は、大抵私にこう声を掛けるのです。
「けんぼう(私は小さい頃はこの愛称でよばれていた。{けんちゃん}とも呼ばれていた)、一寸外へ出て見ようか」と。
その言葉が後には反射的に何を意味するのかを了解していましたが、最初は「温泉情緒でも味わいにいくのかな」と思い付いて行きました。
叔父が私を伴って訪れた所は、女性が、踊りながら一枚一枚被服を脱いでいく所でした。最初は本当に驚きました。聖人君子の様に思っていた叔父が、まさかこの様な所に足を踏み入れるとは、夢にだに思ってもいませんでしたので。しかし、温泉旅行に行く度に、その様なお声がけが、2度3度と重なってきますと、「あっ、例のところやな」と私も慣れてきて、2人して連れ立って出かけて行きました。
1度叔父が言った事があります。
「京都では、絶対に行けないからな」
 日々、診療や、経営等で常に神経を張り詰めなければならない叔父。しかも先述しました様に、聖人君子以上に誰からも敬慕されていた叔父は、極度に神経の張り詰めた状態でいた為、日々大変に疲弊していたのです。叔父そのものは、私は胸を張って断言することが出来ますが、品行方正、清廉潔白なお人であったと思います。でも本質は、何人とも変わらない普通の人間であったのです。私は現在でも尊崇の念を抱いています。
 しかし、場末と言いますか、地方の温泉郷におられるこれらの人達の殆んどが、乳母桜でした。それも、からからに干からびた乳母桜でした。中には目のやり場に困るような痛々しい、老婆に近い女性もいました。
 後に思ったのですが、叔父は私への社会勉強も兼ねて、引き連れていったのでしょう。
 暫くお会いしていませんが、叔母や、叔父のご子息たち「ご子息と称するのは照れるな」
いや従兄弟達、元気で頑張っていることと思いますが、私が上記の様に、あなた達の「アボニン(おとうさま)」のほんの一部の側面を描いたからって、立腹しないで下さい。あなた達のアボニンほど人格高潔な人を私は未だ知らない。あなた達のアボニンほどあなた達や親類や友人、同胞に温情や慈しみを以って接した人を私は知らない。あなたたち、私達はその様な人の息のかかるところで生活できた事を、至上の喜びであったと感ずるべきだと私は思います(続く)

 さて私の歌の再生回数は3万7千回を突破し、5月26日現在37411回に達しています。これも偏に、各位のご支援のたまものだと思っています。今後とも宜しくお願い申し上げます。
 それと以前から予告していました「64才の愛恋賛歌」と「野ばらおまえたち(韓国語Ver)」を、YouTube様に貼り付けさせて頂きましたので、1度お聴きくださると、大変ありがたく思います。ただ、録音の何かが悪かったのでしょうか、「野ばらおまえたち(韓国語Ver)」が私のPCでは、非常に音量が小さくて、お聴き取りにくいかと思われますがご容赦下さい。それと喉の状態が完全に復調していないのと、歌唱の技術的な問題で、相当お聞き苦しいかと思われますがご容赦下さい。これらの楽曲も、他の楽曲同様末永くご愛唱下されば幸甚に思います。

「私と叔父の関係その17」「私の歌の回数表その27」その他朝日新聞の記事。

2013-05-14 14:50:18 | Weblog


 さて前回私は、従兄弟の人物像の断片なりを紹介しました(上手く描くことが出来たか疑問ですか)が、彼には素晴らしい才能が備わっている事を記述することを忘れていました。それは音楽的センスです。
 以前にも書かせて頂いたかと思うのですが、彼と私は診療所に隣接した民家(瓦葺2階建て)、に共同で寝起きしていたのですが、1階は彼が使用し、2回は私が使用していました。でも普通の寮と異なるところは、彼がその1回の中央の6畳敷きの部屋に、黒塗りのアップライト式ピアノを鎮座させていた事でした。
 彼、従兄弟は暇があれば、例えばお昼休みの時間とか、非番の時とか、そのピアノの前に座り、その鍵盤の上で10指を、操り人形師が巧みに糸を操って生命を吹き込むように、自由自在に、奔放に遊ばせていました。勿論日曜祝祭日の休みの日にでもなれば、殆んど1日中でした。
 彼が奏でるのは殆んどバッハでした。その他のピアノ曲ショパン等も弾いていたように思いますが、クラッシックには造詣が深くない私には、騒音に近い形で聞こえて来るので、私の聴覚を麻痺、発狂させるのには役立っても、それ以外の何物でもありませんでした。
 鍵盤を触れない時には、口から絶え間なくそのクラシックの旋律を口ずさみながら、空中で彼の指を躍らせるのです。
 私の知る限り、当時の友人の中にもその様な風変わりな人物が1人いましたが、私にはやはり彼は医学などには志さずにいた方が良かったのではなかったかと思います。
現在では、彼の消息は何ひとつ分かりませんが、音楽も捨てたことは確かです。
さて、新体制で臨んだ医療法人 京都共和会 ○○診療所。
全てが私達の裁量で運営できることになったのです。
当時はパートの職員も含めまして14~15人のスタッフで出航したように思います。
当時、冷や冷やしながらお薬の注文を間接的にS病院の薬局長にお願いしていたのですがそれも、私が直接出来るようになりました。また、新規に導入する薬物や、衛生材料費や備品類の価格交渉も私が担当するようになりました。勿論、最終的には叔父である理事長兼所長に決裁を仰いだことは言うまでもありません。
当時私が所長に言われましたことで耳に残っている言葉は「オールマイティー」であれと言う言葉でした。その為には最も早く出勤して、一番最後に退勤するようにと言われました。それ以外は叔父の判断で、この事(柄)を放置すれば業務に支障を来たすと言うときに意見なり、アドバイスがありましたが、後は自由にやらせて貰えました。現金の管理は勿論、小切手や手形でさえ私が押印していました。その当時私がしていなかった業務は保険請求業務だけでした。業界用語に当たるかどうかは分かりませんが、いわゆるレセプト(請求書)書きでした。当然ながら、医療機関によって取り扱い枚数が異なりますが、私が勤務していました診療所では600枚前後でした。当時はこの仕事に常勤の事務職員2人がその任に当たっていました。
一概に600枚といえば、読者各位の中には大した数では無いように思われる人がおられるかも知れませんが、これを決められた期日内に書き上げると言う事は、かなり大変な作業でした。現在では規模の大小に拘らず、大抵の医療機関で専用のコンピューターが導入されていると思いますが、1000枚ぐらいのレセプトなら2~3時間もあれば打ち上がってくると思います。後は打ち上がってきたレセプトの内容のチェックと編綴作業と病名漏れの点検ぐらいなので、3-4日もあれば十分に提出できる具合に出来上がっていると思われますが、当時は社会保険関係は7日迄、国民保険関係は10日迄(現在は社会保険、国民保険共に提出期限が10日迄)と決まっていましたので、それまでに書き上げるという作業は本当に大変な重圧を感じる作業でした。私が知る限りにおきましては、私が診療所の一員として加入しました時には、その業務は当初その従兄弟とある女性事務員がその任に当たっていました(続く)
昨日の夕刊と、今朝の朝日新聞の朝刊に、現大阪市長である発言が大きく取り上げられていました。見出しは
「橋下氏、米軍幹部に」「海兵隊 風俗業を活用して」「慰安婦は必要」
一言で言いますと、朝日新聞にも記載してありましたが、この人は女性を人間として見ていないのですね。人間である前に男の性欲の捌け口としか見ていないのですね。もしご自身の肉親が、慰安婦として連日何十人もの野獣のような男の相手をしなくならなければなった時、橋下氏はどのように発言するのでしょうか。
女性は男性と同じくして、束縛無しに自由な意思の、思考の発露を為す事が出来る存在である事は論を待つまでもありません。物では無いのです。この世界には、我々が足元にも及ばぬ卓越した女性が数多存在されるのです。
性関係は、対等の関係(相互人権尊重)において初めて可能となるのです。

さて、私の歌の再生回数なのですが5月13日現在36720回に及んでいます。いつもながら各位には厚く感謝の言葉を申し述べます。今回は1日の再生回数の100回越超えが1回ありましたし、90回前後が2度ほどありました。本当に有難うございます。今後とも宜しくお願い申し上げます。
 歌の再生回数表は2週間に1度発表する予定にはしていますが、多少遅れることもありますので、ご理解いただければ有難く存じます。