作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

歌の再生回数表そ3(破局)

2011-11-27 15:36:39 | Weblog

 ある人の為に、若しくはある会社の為に善かれと思ってした事が、意に反して裏目に出てしまって、ある人との人間関係を損なったり、ある組織からの上役から反発を買ったりする事は、世間では良くあることだと思います。ただ心底善意から行なった人にとっては、残念無念であるに違いないと思います。
でも、そう言う場合、自分自身にも落ち度が無かったか、対人関係で例えて言いますならば、その人に対する配慮が欠けてなかったか、相手の人格や立場を尊重し、敬意を払うことを忘れ、軽率なと言いますか軽薄な言動、振舞いをしていなかったかを、自分自身十分に反省してみることが必要だと思います。
と言いますのも最近ある人に、その方が経営する会社の経営方針に、この様な方法もありますよと進言しましたところ、暫くして、私に対する接し方が以前とは違ってきまして、少しよそよそしいと言いますかぎこちないので、不思議に思い、よくよく熟考して見ましたら少し思い当たる節も無いこともないので(勿論私に取りましては善意から出た行動だったのですが)相手の人に十分理解して貰えなかったみたいで、結果的に「でしゃばった」行為であると解釈されたようです。でも以上の事は私の推測でしかないのですが、恐らく間違いでは無いでしょう。本来ならばもっと、どこの誰に、どの様な進言をしたのか、もっと具体的に書ければ良いんですが、私の想像が間違っていることも考えられますので、あえて抽象的に書かせていただきましたが、このブログを読んで下さる各位にも、何かを為す場合に、それが対人相手の場合には、十分に留意していただければと思い、参考事例として書かせていただいた次第です。
 今回の件では、繰り返して言いますが、本当に善意からの行いだっただけに、理解していただけなかった事が少し残念ですが仕方ありません。私にも浅はかなところがあったのかも知れません。本当に人間関係は難しいものです。今後対人関係には、細心の注意を払って望もうと思っています。
さて家内ですが、術後2ヶ月ほど経つのですが、目に見えて良くなってきました。それは何より家内自身の、術前の状態に機能回復するんだと言う強靭な意志の結果だと思います。でも、身体の一部を大きく切除しましたので、またリンパ節の切除もしましたので、その周囲の上肢の引きつりや痛みが、未だ少し残っていて、完全復調には少し時間がかかるようです。またアリミデックス錠1mgも引き続き服用することが必要で、1日も欠かさず服用しています。
私もまた、家事に勤しんでいます。でもひとつ困ることがあるのですが、食器等を洗う時なのですが、流し台が低くて、どうしても中腰になる為に、腰が痛くてたまらないのです。遂に、昨日から激痛が走るようになり、消炎鎮痛剤の湿布薬と錠剤に頼らなくてはならなくなりました。最近の調理台や流し台はもう少し、背丈が高くなっていると聞きますが。ちなみに私は身長が181cmあります。但し胴長の短足です。
 さて、今回の家内の疾病に対して、病院を紹介して下さった先生や、執刀して下さった先生や、その他ご尽力下さった全ての医療従事者の皆様方に、改めまして心より、家族や親戚一同と共に御礼申し上げます。まだまだ闘病生活は続きますが、今後とも宜しくお願い申し上げます。
 さて、私の歌の方ですが、冒頭の表のようになっています。遂に11月19日、全曲合わせての再生回数が15000回を越えました。心より感謝の言葉を申し上げます。また「愛別釜山港」の韓国語バージョンの再生回数がとみに多く、もし宜しければ皆様方にも歌っていただきたく、次回の私のブログにか、親友の「朝絢詩」さんのブログに、歌詞を掲載する予定ですので、ご愛唱いただければ幸いです。
 

家族の結束。

2011-11-02 14:40:21 | Weblog
 早いもので、家内が退院してから約3週間過ぎました。本当のところを言いますと、身体の一部分を切除していますので、その部分附近の肢の機能の回復が十分ではありません。入院中もそうですが、退院してからもリハビリを行っていますが、完全復調に到るまでには、かなりの日数を要するものと思っています。私も出来る限り補助していますが、家内自身が主体的立場に立って、強い意志でもって取り組まなくては、なかなか元の状態に戻るまでには到らないと思います。でも、賢明な家内のことですから、十分にその辺のことをわきまえていて、リハビリに熱心に努めています。
 さて、手前味噌になりますが、私自身や家族は、今回の家内の入退院と言う事態に直面して、本当に良く頑張ったとお思います。と同時に色々な事を勉強させていただきました。先ずは何よりも家内の偉大さと言いますか、世の中の主婦全般にも言えることですが、その存在の大きさを再認識いたしました。と同時に家族の有難さを痛感いたしました。
 私は家内の入院の当初、4日間程、長椅子の上に毛布を敷き寝泊りしていましたが、泊まった翌朝は、JRに乗って家に帰っていました。その間は、入れ替わりに娘が家内の看病をしてくれていました。そして娘が準備してくれていた昼食を取り、14時ぐらいに、娘婿と一緒にまた病院に向かいました。そこで、娘とまた交代し、そのまま病院に翌朝まで留まっていました。夕食は娘が午前中に来るときに弁当を詰めてくれていて、それを食しました。ただ、私は過去のブログでも何回か書き記した記憶があるのですが、アルコールを過度に嗜む?傾向があったのですが、最初の夜は何とか我慢しましたが、2日目からは、夕食の前に病室を抜け出し、その近辺にある「フレスコ」と言うスーパーで350mlの缶ビールを2本買って、その駐車場で飲み乾してから、また病室に戻りました(病院の規律を破ってすみません!)
 5日目からは病室で寝起きするのを止め、家から通うことにしました。
 朝6時半には起床して、洗濯機を回し、それから朝食を取り、娘が作ってくれた昼食用の弁当を持ち、家内の待つ病院へと向かいました。
 家内に取りましては、何の役にも立たない濡れ落ち葉でも、傍に居る、側に息をする人が居てくれていると言う只そのことだけで有難かったみたいで、私もお役に立てて良かったと思っています。でも私は何も街路樹みたいにしていた訳ではなく、物療師の先生を真似て、家内に日に何度かは腕や肩を揉んだりさすったりして、家内に重宝がられました。この物療師の先生の真似事は、退院後現在に到るまで日に3度は続けています。
 娘夫婦は10月31日に大阪に帰りましたが、掃除、洗濯、食事の支度と本当に良く献身的に尽くしてくれました。これが家族の有難さを感じた所以です。また娘婿の理解と言いますか温情には感謝しても感謝しきれません。
 また長男も、陰に日によく頑張ってくれました。
 家族全員が一致結束をして、難局に立ち向かい、大混乱が予想された事態を乗り越える事が出来たことは、家族の構成員一人ひとりが、自身の使命と役割を認識し、義務として捕らえ、献身的に、滅私行動に徹したからだと思います。こんな素晴らしき家族に感謝!感謝!感謝!です。
 怠惰で、威圧的で、懶惰で、独善的で、短気な私が、そんな家族の一員となれたことに、また、それを成し遂げてくれる根気や、意志や力を与えてくれた家内の存在の大きさを、今さらながらに痛感するのです。そんな自分自身を自画自賛してやりたいのです。でも今後も継続して出来るかは一抹の不安もありますが。
 今回は、いや今回だけじゃなくて毎回なのですが、文章がまとまらなくて申し訳ありません。乱筆乱文御容赦下さい。
 さて、わたくしの、趙 顕市の歌なのですが11月1日現在13916回再生いただいております。心より御礼と感謝の言葉を申し上げます。内訳は「人生一度7788回(猿、蝉)」、「愛(哀)別釜山港(ソン&リー、趙)4668回」、「宇治川未練」826回等です。本当に有難うございました。
 またブログは、朝 絢詩さんのも合わせまして訪問者様が11月1日現在13010人、閲覧者様が16387人です。あわせて感謝と御礼を申し述べます。
 私には夢があります。趙顕市と言う人間が20世紀から21世紀にかけて、当時在日朝鮮人・韓国人3世として存在していて、無能無学、浅学菲才ではあったが、幾つかの優れた楽曲を手がけ、当時及び歿後、その旋律は絶大なる賞賛を浴び、社会の底辺に在って呻吟し、苦悩し、絶望する人々に、燦然たる希望と、不屈の勇気と光明をもたらしたと評価されることです(またまた、家内やら家族らに疑念の眼を向けられそうです。「きっと病気やで」)