作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

歌の翼。

2011-08-04 08:40:26 | Weblog



貼り付けました記事は、2004年8月18日の朝日新聞「声」の欄に掲載されたものです。宜しければご覧下さい。
 又、これから書きます文章は、2011年6月25日に朝日新聞「声」の欄に投稿しましたが、どうも不採用になったようなので、ここで紹介させて頂きたいと思います。
「声」の欄の編集局さまからも以前に、「ひと月経っても、投稿した文章が掲載されなかった場合は、不採用となったものと看做して頂いて結構です。よって自己のブログ等に書いて頂いても結構です」との御回答を頂いております。一部訂正や修正をしている部分があります。
 
 私は歌が好きである。若かりし頃には歌手になりたくて、なりたくてたまらなかった時期もあった。退職してからまたぞろ、その夢が頭を擡げて来た。既に初老に足を踏み入れたと言うのに。そのくせ、その実現の為に何もかもかなぐり捨てて、必死になって努力してこなかった。頑張ってこなかった。ただ華やかな夢ばかりを見続けてきた。現在もそうである。当然の帰結として、その夢は死ぬまで結実することはないであろう。
 少し話はそれるが、はたしてこの世の中、自分の夢なり希望を実現させた人は、どれくらいいるのだろうか。大多数の人々がその才能なり、能力を開花させること無く枯渇させていることであろう。もちろんその原因は様々あろうが。
 昨年結婚した娘が、そんな私の為に、「You Tube」と言う動画サイトに、私の自作曲を視聴出来るようにしてくれた。おかげで6月26日現在、未だ1年に満たないが、約9300回余りの視聴があった。ありがたいことである。しかしこの数字は、娘が貼り付けた画像が良かったからであろうと、私は思っている。
 歌手になる夢は時間の経過とともに断たれつつある。だが、日々視聴者の更新数のチェックに、一喜一憂している私は、まだ一縷の望みを抱いている様である。
家族の親身な応援もある。東日本大震災の被災者様の不屈で強靭な頑張りもある。残された時間は限られてきたが、私も日々、努力し頑張ってみよう。

 以上のように書き投稿しましたが、実際問題として、私の夢は夢で終わるであろうと思います。先ず歌手としての才能があるわけではなく、また何よりもコネ(縁故)がありません。また、非常に大事な要素のひとつであるお金がありません。自分の全財産を投げ出してまで歌手になろうとは思いません。またなれないでしょう。私は、現在私が置かれている立場や状況が分からないほど無知、無能ではありません。でも道が全て閉ざされているとも思いません。私の楽曲がこの世の中に羽ばたくためには、天かけ全世界を巡り、嘆き、呻き、苦しみ、悲しみ、悩み、怯える人達に、夢や希望や光や虹や太陽や黄金の星となる為には、あるプロの方のお力を拝借すれば、不可能では無いと信じています。でもそれは永遠に叶わぬ夢かも知れません。
 私は常々家内に言っています(本当は嫌がる家内に無理やり聞かせているんですが)私は 過去、現在、未来において、この世の中に存在しなかった、またしていない、また存在しないであろう楽曲を創作した。それは紛れも無く、比類なき業績であり、1人の人間の、燦然と耀う偉大な光華である。そしてハイネの詩の章節にあるように「未来の世の人々が歓呼して、暗い天に書かれた火の文字、我が名を読むであろう」家内はいつものことだがいつの間にか、韓流ドラマを一心に見入っている。
 さて2010年の8月4日にはじめて「人生一度」等を、娘にYou Tube様で視聴出来るようにして頂いてから、皆様の再生回数が2011年8月4日まる1年で10332回を数えるようになりました。心から御礼申し上げますとともに、今後とも宜しくお願い申し上げます。