作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

「私と叔父の関係第24回」「歌の再生回数表第40回」その他。

2013-11-11 10:19:55 | Weblog
 さて、私が薬局を担当している時に、手の空いた叔父が薬局の方にやって来て「ヒョンシ(顕市のハングル読み)!学校医制を組織立てたらどうやろ。現在の状態やったら、いつまで経っても自分1人がやらなきゃならんし、体力的にも限界がある。それより何より、もしわしに何かあったら、学童や、中高生や園児達の検診をする者が居なくなってしまうし・・・」
 わたくし「それは妙案やわ。ぼくも賛成するわ」
 私はこの「私と叔父の関係」を、私の記憶だけで書き続けており、11月には65才を迎えるので、いよいよ記憶が薄らいでいく可能性が増大し、年月日等多少正確さを欠く嫌いが有ることを前もってお許し頂きたく思います。
 早速叔父の発案は実行されるに至った。叔父の考えでは、銀閣寺近辺にある中高級学校は叔父が校医となり、第1初級学校は滋賀医大を卒業され、当時診療所でも、週に1度は診察して頂いていた丁○○先生にお願いし、第2初級学校は、その所在地が右京区の嵐山近くに在ったので、初代西日本会長が近辺で開業されていた事もありまして、お願いする事にしました。記憶が非常に希薄になっているので、明確には言えませんが、我が叔父が単身で請願に行ったのか、私も同席していたのか判然としませんが、西日本初代会長には快諾して頂きました。
 会長の提案で、同じ京都府立医大の同輩か、先輩後輩関係の間柄だった、同じくその周辺で開業されていた、故朴☆☆先生にも参加していただこうと言う事で、この時は2度ほどその趣旨なり意義を、叔父と一緒に説明しに言った事があります。いや1度は私1人で説明に言った覚えがあります。
 結果賛同してもらえたのですが、この故朴☆☆先生は非常に生真面目な先生で、謹厳実直を絵に書いた様なお方で、何度かお話をさせていただいたのですが、いつお会いさせていただいても、非常に緊張していた事を思い出します。年齢的にも10歳以上は年上であったろうと思います。
 結果的にはお二方のご相談の末、隔年毎に校医を担当することに、決着がついたようです。
 さて次には、北区に在った第3初級学校の校医を誰にお任せするのかと言う問題になったのですが、当時京都大学医学部を卒業して、大学院に学んでいた孫○先生にお頼みしたところ、「検診の予定日に、格別予定が入っていななければ構わないですよ」と、色よいお返事がいただけたのでお願いすることにしました。
 舞鶴の初中級学校は、我が札ノ辻診療所の副所長も為さったことがある青○診療所の朴○○先生にお願いしましたところ、これまた快く承諾してくれました。
 当時滋賀にも小学校と中学校とが併設されていた、滋賀初中級学校が在ったのですが、そこは我が叔父の後輩でも在り、盟友でも在った金◇◇先生にお願いする事としました。
 これら各校医の先生方に共通項は、どの先生方も1度は我が「札ノ辻診療所」で、診察を為さった事があると言う事です。特に滋賀県の金先生、舞鶴の朴先生や、現在は水無瀬で開院され、第1初級学校の校医を引き受けてくださった丁○○先生方達は、永年に亘って札ノ辻診療所の為、否京都の同胞の為の健康保持や、衛生知識普及の為の啓発、啓蒙活動に貢献して下さり、本当に良く尽くして頂きました。これも全ては叔父の人徳のなせる業だとは思いますが、基本的には諸先生方の民族心から芽生えた、純粋な真心からの同胞愛が、決断を促せるに大きく作用したと思います。思想的立場はそれぞれ大きく異なっていましても。
 また、諸事万端、一挙手一投足、一言一句奢り高ぶることなく謙虚な姿勢の先生方で、私ごときにも本当に良くして頂き、心から感謝の言葉を申し述べたいと思います。
 その他にも本当に多くの頭脳明晰な、謙虚な、品行方正な諸先生方と接することが出来、生きて行く上で沢山の大事な事を学ばせて頂き感謝に耐えません。特に京都大学医学部の
泌尿器科を卒業されたにもかかわらず東洋医学を独学?で勉強され、京都新聞者様の紙面でお名前を時々拝見する○○先生、和歌山大学医学部ご出身で精神科を専門とされていた○先生。このお二方の先生方は日本の先生方で、本当にその節は大変にお世話になりまして有難うございます。その他沢山の先生方に懇ろに接して頂き、感謝の言葉もありません。私は現在診療所を定年退職いたしまして、趣味の音楽にと言いましても、カラオケ喫茶等で大声をがなりたてているだけですが、元気で健康に日々を過ごさせていただいています。先生方はまだまだ世の中が必要としている存在ですので、ご健康にくれぐれもご留意され頑張ってください。あっそれに○○先生と同門で京都大学の泌尿器科を卒業され滋賀医大の準教授までしておられた、愛知ご出身の朴○先生にも、友人みたいに親しく接していただき有難うございました。今後も宜しくお願い申しあげます。あっまた本筋からずれてしまいました。すいません。
 さて学校保健担当者と校医の調整役と言いますか、事務方の責任者は、私が担当することとなりました。
 また、有難い事に、丁度その時期に、現在山科の音羽区で開業なさっている歯科医の金△△先生も、京都府歯科医師会に所属しておられる日本の諸先生方に朝鮮学校の現状を縷々説明されると、多数の先生方が賛同して下さり、自発的に各朝鮮学生児童の為に検診を申し出て下さったと言うお話に、ご厚意に甘んじさせて頂こうと言う事になり、日本全国で初めて朝鮮学校児童の歯科検診が実施されることとなりました。記憶では1980年前後の頃であった様に思います。
 さて以上の結果を踏まえて、先ず私は所長(以下叔父と称します)の指示の下に、日本の小学校や中学校ではどのような内容等の検診が為されているのかを調べる為に、学校保健関係者や機関の公的組織に電話等を掛ける仕事から始めたのですが、叔父からは、日本の学校では4月の新学期が始まる前後に各種検診予定表なるものが送られて来ると聞いているので、その辺のところから調べてきて欲しいと言われました。
結果的には、やはり叔父の言う様に、日本の学校には、新学期が始まる前後には検診一覧表が送られて来ていました。
上述のように電話等で得た情報を下に、保健所から京都市役所、そして最後に京都府庁へと辿り着き、府庁の保健体育課?に赴きその旨を告げると、とあるご担当者様が、この資料かなと1枚の用紙を見せてくれました{話は少し前後しますが、最初その表を頂いて、叔父と共に見た時には本当に驚きました。それまでは、朝鮮学校では実施した事も無い尿検査や心電図検査、胸部エックス(胸部レントゲン)検査等を小学生1年生の時と中学1年生の時期に実施すること。その他予防接種は等々と書いてあったからです}
そこで私はこの検診予定表を各朝鮮学校にも配布してもらえないかとお願いしますと、その担当者は困惑顔で「朝鮮学校は各種学校(日本の小学校や中学校、高等学校と同等の、いわゆる日本の文部科学省が定めるカリキュラムを組んで授業しているにも拘らず1条校
として認められていない。(それは現在も同じ状況である)だから高級(高等)学校を卒業しても、日本の中学卒業に準ずる資格しか与えられないでいる。故に日本の大学を受験する場合には高卒資格の検定試験に合格しなければ受験出来なかった。現時点ではほとんどの大学で受験できるようになったが・・・。また、或る付属看護師養成学校では、高級学校を卒業しても日本の中学卒業程度としか認定しないので、看護師受験は認めず、準看護師受験しか認められなかったり(現在ではどの様に取り扱っているのか不明)、その他朝鮮学校若しくは朝鮮学校生には、行政に於いて様々な不平等の状況下に置かれている。例えば高校の授業料無償化等の対象にならないとか)にあたりますし、またその前例がありませんからとか何とかで・・・」結局すったもんだした挙句、送ってもらえないと事になり、止む無く毎新学年度前後に、府庁まで検診予定表を頂に上がりました。そして頂いた検診表を京都管轄(滋賀県をも含む)の各朝鮮学校の、保健体育の先生方にお送りしました。また、各学校担当医にもお送りしたと思います(続く)

 昨日(8日)、島倉千代子さんの訃報に接しました。心からの哀悼の意を表したいと思います。美空ひばりさんの死の報道に接した時もそうでしたが、確実に私の中で1つの時代が過ぎ去ったように思います。「この世の花」は特に大好きな1曲でした。ご冥福をお祈りしたいと思います。


 さていつものご報告です。本当に毎日毎日非常に沢山の再生をして下さり感謝の言葉もありません。歌の再生回数は11月10日現在4万5千回を超え45521回に達しています。またわたくし趙顕市、朝(あさ)絢(けん)詩(じ)のブログは2人合わせまして10日現在、総訪問者様が30844人、総閲覧者様が38663人にも及んでいます。本当に有難い事です。今後も各位のご支援、ご鞭撻を頂きまして、誠心誠意真心こめて、私の来し方や、生き様、思いを書き記したいと思います。宜しくお願い申し上げます。