![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/9c/4d88365dbb43b99dbba3d322d8d5db51_s.jpg)
私が、叔父が所長を務める診療所に勤務するようになったのは大学3年生の時であると前回書き記したが、初めて診療所で勤務するようになったのは何時の時期であったか定かに思い出せない。春であったか、夏であったか・・・。
私が入所した時には、アルバイトの方々も居て、ちっぽけな外見から想像するよりは、かなりの職員が存在していた様に思う。ドクターからして所長も含めて3名居たように思う。所長を除いた2人の先生方は、何れも京都大学出身の先生方で、日本の方だった。その中のお1人の先生は、後に京都大学の医学部の教授に成られたと聞いている。もうお1人の先生は、当直と往診を受け持っておられた。この先生も非常に高名な先生で、と言いましても医師としてでは無く、ある組織で非常に重要なポストを占めておられて、相対立する組織や、他の公的な組織からも常にその動向を監視されているらしかった。
そのドクターは、その組織や、筋の人達には「鬼の○◇△」と呼ばれ、非常に恐れられていた。これらの話は、その当時診療所に務めていた従兄から間接的に聞いた話ではあるが、信憑性はある。
しかし、共に寝起きし、往診にも運転手兼看護補助員として、その言動をつぶさに観てきたが、非常に紳士的で真面目で謙虚なお人柄のドクターであった。
私達(と言っても私はただ、往診鞄等を持って付いて回るだけだったが)が往診で回る患家は、大抵が金銭的に恵まれず生活保護を受けていて、家屋も粗末で、家の中も冷暖房器具、真夏でも扇風機すらもなかったが、その先生は一言の愚痴もこぼさず優しく患者さんに接するのであった。
こんな事も有った。往診に行った時である。何時もはすっと入る注射針が中々入らず、それこそ10分は掛かっただろうか、真夏であったので汗水は当然であるが、鼻水をも垂らしながら、またそれを拭おうとせず、ひたすら細く、脆く、硬化した静脈を捜し求め、奮闘する姿を拝見したときは、ドクターも患者様も気の毒であったが、本当に感動した。患者様が注射を必要としている以上、患者様が諦めない限り、自分の方からは絶対降参しないぞと言うばかりに、周囲の状況を顧みることなく、ただその事のみに腐心する姿勢、意志。これがかの「鬼の○◇△」の実態だったのである。
でも私との関係は1年位であったろうか。ある時そのドクターがお辞めになると聞き私は「折角良くして頂きましたのに」と述べると、「特別な事情があって此処をさりますが、きっと必ず帰ってきますので」と意味ありげな言葉が返ってきましたが、その後の消息は不明で、私が退職するまでは、二度と再び診療所に帰って来ることは無かった。
その先生辞められてからしばらくして、マスコミ等が、☆☆派が△△派を襲撃す。角材などで滅多打ちにし、何名かが死傷した模様等のニュースが流れてきたが、ご無事を祈るばかりであった。
さて話はまた少し横にそれてしまったが、準看護師が1人、看護師見習いが1人、事務員が私を除いて6名居たが、1人が退職を予告していたので、その代わりに私が叔父に誘われて入所した次第である。(続く)
さて早いもので2012年も残り10日をきりました。少し早いですけれどこの1年、誤字や脱字や、また乱雑極まりない文脈のブログをお読みいただき、心より御礼申し上げます。
各位におかれましてもこの1年、特に年末には衆議院選挙もあって、多様な感慨をお持ちの事とご拝察申し上げますが、常に明日を信じて希望を失わず、2013年度も本年同様、御活躍されるものと祈願いたしています。ご家族様のご多幸をも祈念いたしています。
さて本年度最後のご報告をさせて頂きます。
私の歌の再生回数は12月23日現在30595回。ブログは朝絢詩君のと合わせまして総訪問者24288名、総閲覧者数30646名となっています。謹んでご報告申し上げます。
2013年度も宜しくご支援ご配慮、ご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/01/d3/98b6ca951a6fc6f84442d1b2968cfa96_s.jpg)
( 娘が小学校の時に描いた私の似顔絵です)