作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

2011年6月。妹は・・・。

2012-05-02 10:38:09 | Weblog
 先ず始めにブログの更新が大変遅くなりましたことをお詫び申しあげます。それと言いますのも、前回書かせていただきましたブログの訪問者様並びに閲覧者様が、連日に亘りまして沢山訪なって下さりましたもので、毎日その数字を見ているうちに、更新の機会を逸してしまったと言うのが、その理由でございます。申し訳ありませんでした。
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 今年も百花繚乱の季節になって、去年の事を書き記すのはどうかと思いましたが、やはり書き残しておくべきだと思い、キーボードを打ちはじめました。特に女性(稀に男性も罹患する)各位にとりまして、何等かの参考になれば幸甚だと思います。
 以前のブログにも書きましたが、去年は私に取りまして、弟が死去し、家内が乳癌に罹病すると言う最悪の年でした。ところが、まだ不幸な出来事が有ったのです。それは妹も家内と同じ病に蝕まれていたのです。
 妹の語るところによりますと、去年の6月ごろに、左乳房に掻痒を覚え、もしやと思い入念に触診してみたところ、「しこり」を触れたらしいです。早速、近くの乳腺外来を受診したところ、熟練の老医から「乳癌」の宣告を受け、全摘出手術を勧められたらしいです。
 妹はその医師に、他の病院を紹介して欲しいと依頼し、その医師は心地よく○○○センターを紹介して下さったそうです。
 そこでも診察や、検査の結果「ガン」宣告され、手術を勧められたらしいですが、妹は、乳房を温存しておきたいが為に、内視鏡による部分切除術を希望しましたところ、手術迄1ヶ月半から2ヶ月かかると言われ、思案の挙句、妹は自身の判断で△△医療△△△に受診したらしいです。
 やはりそこでも妹は、医師からがん細胞が一部だけに在るのではなくて、少し離れたところにも「とんでいる」可能性もあるので、全的手術を勧められたらしいのです。でも先述しましたように妹は乳房の保存を希望していましたので、内視鏡による摘出手術を行ない、その上で乳房再建手術をしたい旨伝えたようです。だが、その病院では内視鏡手術を施行していないと言うことで決心が付きかねていたところ、妹の娘が職場で、☆☆病院の評判が良いと言う噂を聞いて来て、娘に熱心に勧められた結果、またそこでは内視鏡切除が可能であると言うこともあって、乳房再建手術も比較的たやすく出来るのではと考えて、最終的には吹田にある☆☆病院で全てを託すことに決めたらしいです。
☆☆病院で受診し、担当医師に今までの経過を話し、一連の検査をしたところ、手術は
翌年3月頃に実施しましょうと言う事になり、それまでは抗がん剤治療をしましょうと言う結果になったようです。抗がん剤治療は手術までの期間にがん細胞をある程度小さくしておくために、△△医療△△△病院でも勧められていました。
 抗がん剤治療は最初ハーセプチンと言う薬剤を中心に、3種類ほどの抗がん剤を組み合わせたものを、週に一回点滴投与するのですが、約3ヶ月続けた結果、がん細胞の著明な縮小が見られず、主治医が少し強力な抗がん剤に変更して治療をしてみましょうと言う事になり、今度は3週間に1回の点滴投与となったようです。この抗がん剤も約3ヶ月投与したのですが、今回は著明な効果があり、超音波検査やその他の検査でも殆んど腫瘤は殆んど消失していたそうです。
 妹はその結果を受けて、もう外科的処置はしなくても良いですねと主治医に尋ねたところ、手術は必要ですと告げられ、何故必要なのかを諄々に説明してくださったそうです。
 さて、抗がん剤の副作用なのですが、妹の場合は脱力感、脱毛、嘔吐等があったそうです。嘔吐は点滴投与を受けた当日は、その点滴の中に吐き気止めが含まれていたのでどうも無かったそうですが、翌日からはかなり苦しめられたらしいです。
 また脱毛は、頭髪だけに限局せず、全身に及んだらしいです。
 3週間に一度の抗がん剤投与の時は、投与を受けた翌日からは殆んど、脱力感や無気力感で何日間は動けなかったと、電話ではそのように語っていました。
 また、病院にお見舞いに行った時に見せてもらったのですが、手指の全ての爪が半分ほど変色していて、こんもり隆起していてはがれたような状態になっていました。
 やはり生命をも脅かしかねないそれら悪性細胞を殲滅するには、かなり強力な、味方をも犠牲にしかねない決死の、捨身の攻撃が必要なのだなと痛感しました。
 妹の手術は3月の5日に実施されたのですが、手術室に運ばれるまでは、妹は再建手術を望んでいたらしいですが、手術直前、麻酔をかけるほんの直前に妹は気が変わったらしく、執刀医の「ほんとうに再建手術はしなくて良いですね」の問いかけに妹は「はい」と答え、手術は実施されたそうです。内視鏡下による切除はさしたる痕跡も残さず、懸念していた乳房の大きな変形も無く、無事成功裡に終えることが出来たようです。
 しかし、峻烈な戦いはこれからで、「とんでいる」細胞がまだ存在するようなので、再手術が必要になるかもしれないらしいのです。再手術となれば、折角乳房の原形をほとんど損なわないで終えることが出来たのが、大きく崩れることは必死だと妹は言っていました。
 またこれからは放射線療法が待っているらしく、照射は1ヶ月から1ヵ月半の期間に亘って毎日行なわれる予定らしいです。
 2011年は、弟を亡くし、家内、妹が悪質な病魔に取り付かれると言う、私にとりましは最悪の年でした。
また、日本の方々にとりましても最悪の年で、3月11日の東日本大震災では1万5千人余の尊い人命が奪われ、現在も3千人余の人々が未だ消息不明だということですし、物質的被害も甚大なもので、復旧復興が何時になるか見通しも立たないようです。
また、東京電力福島第1原子力発電所事故の放射能汚染は子々孫々まで災いを残す恐れがあり、立ち退きを強要された福島県民の生活の問題や補償の問題等も、解決に到るまでは程遠く、この大惨事を教訓として、今後日本国民に突きつけられた課題難題は山積しているようです。
 さてまた、妹の事に話は戻りますが、私が妹の乳癌を知ったのは、「家内が乳癌に罹患して外科的処置を受ける事になった」と言う内容の、私が妹に掛けた電話がきっかけでした。9月の半ば過ぎだったと思います。その時妹は「へえ、そうなんや・・・」と自分の事は何も語らず電話を切ったのですが、何日かして、妹のほうから電話がかかって来ましたて「実はうちも乳癌なんやわ」と、私に電話が掛かってきたのです。
 私は最初何のことか分からず、2度3度聞き直しました。そして妹も乳癌に冒されているとはっきり理解出来たとき、「何たる不幸な偶然。殆んど同時期に、私の最も近しい2人が癌に罹患するなんて・・・」思わず絶句しました。
 どうか皆さんも、特に女性(男性)各位はくれぐれもご注意下さい。このブログが皆様の健康保持や不安解消等、何等かのお役に立てば望外の喜びです。
 なおこのブログを公開するにあたりましては、妹の了承を得ていることをお伝えします。
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 さて家内ですが、おかげさまで順調良く回復しています。診察はひと月に1度で、3ヶ月に1度は血液検査を致しております。腫瘍マーカーの値も正常値以内で、家内ともども安堵いたしています。でも、身体の監視の目を怠ることなく、引き続き注意深く観察して行きたいと思います。

 最後にいつものご報告をしておきます。お陰さまで歌の再生回数は、5月1日現在21,933
回に達しました。これも偏に、私の楽曲を発表する機会を与えてくださったYou Tube様の公正なご配慮の賜物であり、各位の温かいご支援の賜物であると心から感謝致しています。有難うございます。今後とも変わりませずご配慮ご支援の程お願い申し上げます。「歌の再生回数表」は朝絢詩さんの次回のブログに掲載させて頂こうかなと思っています。
 またブログの方ですが、朝絢詩(あさけんじ)様と合わせまして、5月1日現在、訪問者様が18,429人、閲覧者様が23,228人に達しています。併せまして心より感謝の言葉を申し述べます。
 




 
 

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1 コメント

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ねぇ (neko774no@yahoo.co.jp)
2012-05-23 00:21:58
こんにちは!( )/!ーロハ ンッ( ・) コッチダ!(^ー^)/ハロー!! ブログ見て初めてコメントしまっす!興味あるなって思って読んでました私のブログであなたのブログ紹介したいなって思ってるんですけどいいですか?あ願わくば相互リンクとかもいいですか?tag48]、一応アド載せておくのでもしオッケーなら連絡もらえないですか?☆´ω`★´ω`☆よろしく願いします~☆´ω`★´ω`☆
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