作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

イグアナ君第2章。私の歌の回数表。

2014-11-16 20:37:04 | Weblog
朝日新聞「声」2013年4月25日

私は毎日誰よりも愛するイグアナ大皇帝の暴政により、手足をもぎ取られたように、何も出来ずにいます。携帯はおろかパソコンも殆ど毎日さわれ ません。だからFacebookのお友達やカラオケ仲間に不義理を重ねています。ご容赦下さい。
人間は誰でも 愛する人の前では、赤ちゃん然となってしまうのですね。66歳の老爺がすっかり1歳の赤ちゃんに魂を奪われて、日々放心状態に陥っています。またその児よりも甘えっ子、駄々っ子になっています。だから冒頭に述べましたような、もう愚痴を言うのはよすことにします。
趣味?のカラオケも全然発声練習や、新しい楽曲を取得するための練習も何もかも出来なくなりました。辛うじて睡眠前にヘッドフォンで、現在までに覚えた楽曲を忘れないように繰り返し聴くのが精一杯です。
でも、家内や娘たちのお蔭で週に2回のカラオケは保障されていました。その間は家内や娘が、また娘婿が、イグアナ大皇帝のお世話をしてくれるのです。また、娘婿と一緒にカラオケ喫茶に出向く時には、家内や、娘がイグアナ大皇帝に恭順に仕えてくれるのです。今現在パソコンのキーを叩けるのは、イグアナ大皇帝がしばしお休みになっておられるからです。でも近々、馴染みのカラオケ屋さんに出入りするのは、暫く止めておこうかなと思っています。 理由ですか、少し私なりに考えるところがあっての事です。
それはそうと、最近アルコールがすっかり弱くなりました。以前ならば、少々のアルコール位なら{少々と言いましても中ジョッキーで3杯、ウイスキーの水割りで3~4杯}帰る時も足取りはしっかりしていたのですが、娘婿が来てからというものは、同量で完全に出来上がっており(娘婿も同様)、千鳥足で帰ることも度々です。何時の頃からか、カラオケ屋さんで唄う時に、アルコールの力を借りなければ唄えなくなってしまって、現在の体たらくに陥ってしまいました。要するに人様の前で声を張り上げるための第一声を発するのに、アルコールの力を借りずにはいられなくなってしまったのです。
少し前までは、新しい楽曲を覚えて仕上げ具合を確認するのに、カラオケボックスに出向いていたのですが、その時にはアルコールは全く必要とせず、声もかなりの音量で出せたのですが、カラオケ屋さんに出向くと、最近ではアルコールの力を借りずには唄えなくなってしまいました。先述しましたように娘婿が日本で居住するようになってからは、さらにその傾向が強くなったように思います。
現在までありえなかったのですが、泥酔といいますか酩酊といいますか、意識混濁の状態で帰って来た折には夕餉も取らずに、風呂にも入らず、もうただ倒れるように寝床に入って、喉の渇きを覚えて目覚めた時には、深夜をかなり廻っていたとか、明け方近くだったりだとが、カラオケ屋さんに行くたびにあります。家内も最近口酸っぱく言います。「あんたもう齢を考えなくては駄目ですよ」と。
やはり超人でない限りは齢には勝てないのかも知れませんね。そう考えますと少し淋しい気もしますが・・・。
最近著名人の方の訃報に接したり、新聞の死亡欄を目にするたびに、その方が私よりも若かったりする際には、非常に身につまされる思いがする事があります。本当に私の楽曲ではありませんが「人生一度」大切に生きたいものです。またイグアナ大皇帝様に一刻でも長くお仕えするためにも。また、その繁栄を目の当たりにする為にも。
今日も私はイグアナ大皇帝同様、意味不明の赤ちゃん用語巧みに使って、忠実な僕よろしく献身的に仕えています。

さて私の歌の回数ですが、11月16日現在 となっています。全人類の口の端に私の楽曲がのぼる事を真剣に夢見ていた私は、もはや残された時間を考慮しますと残念ですが諦めざるをえませんが、それでもこの宇宙の何処にも存在しない旋律をまがりにも創造し、多くの方々にリクエストを頂いたことは、私の大いなる誇りとするところであります。何時もながらの、誇大妄想気味の戯言を叩きましたが、各位には心より感謝の念を、謙虚な気持ちで告げたいと思います。
また、時が来れば「私の歌の再生回数表」を復活させたいと思っています。イグアナ大皇帝も時が来ればパソコンや携帯への興味も失せると思いますので、今しばらくお時間を頂けますよう、心よりお願い申し上げます。