作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

騙されるな。容姿や優しさに。

2009-02-25 20:15:12 | Weblog
私と家内は年の差が八つ違います。
 或るとき、同僚の女性から、その結婚に至った経緯を尋ねられたことがあります。いわく「どんなにして言い寄ったん」「なんでそんなに短期間で結ばれたん」等・・・。
 すでに30年以上時間が経過していることもあって、記憶があいまいなところがありますが、確かに、知り合って結ばれるまでは、短かったといわれれば、そうだとも思います。
 そもそも私は、付き合い下手であります。お茶を飲んだり、ドライヴをしたり、映画をみたりなんて出来なかったのです。お互い適齢期?の年頃であれば、そんなまどろしっいことが、必要であったでしょうか。
 同じ職場であったので、毎日顔を見合わせていましたし、言葉も交わしていましたので、デートなんてする必要を感じなかったのです。
 それで或るとき突然、私は家内に言ったのです。それも勤務中に。喫茶店に連れ出し「結婚してほしい」と。
 10代の時も、20代のときもそうでした。付き合うなどと言うことが出来なかったのです。私に言わせれば、何のために付き合いなど必要なのでしょう。男女の付き合いなんて、行き着くところが決まっているように思います。
 でも、家内とめぐり合うまでは、異性の誰にも理解されませんでした。当然の如く、そのような私は振られてばかりいました。もてるのは、言葉巧みに言葉を操って、女性の関心を惹くような話題をとうとうと喋くったり、相槌をうったり、映画や公園や、デパートに付き添っていった男ばかりでした。勿論、ハッピーエンドで終わる場合もありますが、大抵の女性が大切なものだけを奪われて、泣く泣くドラマを終えるのです。昔はそのようなプレイボーイ達の武勇伝?を聞きますと、興味をそそられたものですが、いつしか怒りを禁じえざるをえなくなってきました。
 息子よ娘よ。容姿や、みせかけだけの優しさに騙されないように。そして真の思いやりを持ち合わせた永遠の伴侶とめぐり合っておくれ。たとえ幾時間かかっても。

アボジ(親父)からのメッセージ。

2009-02-08 14:48:18 | Weblog
明るく温かい春の様な日差しが、西の窓から入って来ています。只今午後3時。ストーブも必要が無いので、スイッチを切りました。
 朝、午前7時半に目覚めた時には、普段よりは寒いような気がしたんですが、今窓外を見ますと、目映いばかりに太陽が照り輝いています。本当に初春のような気持ちのよい日和です。こんな陽気の日には、彼氏や彼女がいらっしゃる人たちは、戸外に出てスポーツに興じるとか、ドライブに出掛けるとか、ウインドウショッピングをするとかをして、楽しいひと時を過ごすんでしょうね。勿論、私なら当然そうします。但し、もう30位若ければの話ですが。
 そしてこんな日には、未だ独身の我が息子や娘のことを考えられずにはいられません。恐らく彼女も彼氏もいない事でしょう。
 特に長男は民族学校、いわゆる朝鮮学校の教師をしています。朝鮮学校の教師といえば、知る人ぞ知るで、いわゆる我々在日の間では、安月給取りで、名を轟かせています。そんなところへ、よほどの事がない限り、若い人なぞ、付き合ってくれたり、ましてや連れ合いになってくれる人など皆無と言っても過言では無いと思います。
 長男は優しい気性で、風貌も普通で、仕事も一度も欠勤することなく、真面目に勤めています。大抵の休日も休むことなく、サッカーの指導等などで、普段と変わりない時刻に起床して出掛けて行き、夜遅く帰ってきます。でも長男は、不平の一つも託ちません。少なくとも、私は聞いたことがありません。
 現段階では、民族学校の教師と言う職業は聖職だと私は思います。在日も4世や5世にもなってきますと、自民族の燦然たる歴史も、長年の歳月や血潮が培ってきた、素晴らしい朝鮮の伝統的文化や風俗習慣行事、余程の事がない限り知る由も、術もありません。そんな世代に、最低限の朝鮮人としての自覚や、矜持を抱かせる。このような職業を聖職といわずして何と表現すれば良いのでしょうか、薄給をも気にせず、献身的に職務にまい進する民族学校の教師に最大限の敬意を表したいと思います。
 何か文脈がかなり乱れてきたようなので、これで終わります。
 最後に一言。息子や娘。いつかはきっとお前たちに相応しい伴侶がきっと現れる。それまで、ただ自己に与えられた任務に、ただひたすら献身的に尽くしたまえ。