作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

「私と叔父の関係その第26話」「私の歌の再生回数表第46回」

2014-02-02 15:53:08 | Weblog
 何時もいつも言ってることなのですが、本当に時間の経過なんてあっと言うまですね。ブログを書き終わって、さて次回まで4週間(自分で勝手にそう決めているだけなのですが)の猶予があると悠長に構えていますと、気が付いた時には、発表期日が2~3日に迫っていたりして、慌てていざ書きはじめるのですが、こう言うときに書いたブログに限って、空疎な内容のものが多いんですね。それに毎回あると思われる、誤字脱字のオンパレードになっていて、一体何を言いたいのか意味不明な内容になっている時も結構あって、各位に相当なご迷惑をおかけしているのではと、反省することがしばしばあります。
 さて私は長々と何を書き綴っているんでしょうか。本題に入ります。
 前回私は叔父の事を民族主義者であると記述しましたが、叔父は偏狭的な民族主義者じゃなくて、例えば自民族ばかりの優越性や、自民族だけの国家の形成や・純化・利益等を追求する、一般的に国粋主義的なと申しましょうか、国家主義者と称されている人々とは大きく異なっていて、他民族や他の国家の主権や自主権を尊重し、相互互恵の精神や博愛の精神で親睦、交流を図り、要するに慈愛に満ちた民族主義者であったように思います。
 私も永らく生きて来て思いますのは、如何なる人間に措いても、誤謬や欠陥や短所の無い人間などは恐らく存在せず、勿論私等はその好例ですが、叔父にもそのような欠点はあったろうと思いますが、叔父が生涯を賭して為したであろう数々の高貴な所業に比較すれば、それは本当に一握の砂の様な物であったろうと思います。叔父の高貴な業績は、それらを帳消しにして余りある偉大な眩い宝玉であり、後の世の人々にも、決して朽ち果てることなく語り継がれ、継承発展していく事であろう。残念ながら私はその器に非ず、いな数多の愚行で高名を汚すばかりであるにも拘らず、終生宇宙の様な包容力と愛情を持って見守って下さった恩愛を終生忘却することは無いでしょう。
 また、叔父は民主主義者で在ることは勿論、それを高度に発展させた社会主義を、自国の実情に合わせて発展、具現化させたと言われる主体思想信奉者であったと思われますが、
東欧で社会主義が崩壊し、また、自国の社会主義建設、経済が進展発展せず、度重なる水害や旱魃で、理想としていた食料の自給自足も実現せず、全てに措いて沈滞後退していく現状を見聞きするに及んで、若干の思想的変化は無かったとは言えないと思います。
 叔父のこんな言葉が耳に残っています。
「日本国は、社会主義、共産主義の真髄を巧みに取り入れて、今日の発展、福祉国家に至っている。勿論十分かどうかは分からないが、高度に実現されている。資本主義国ではあるけれど、民主主義国でもある。わが国でも、見習うべきは見習えば良いんだが・・・」(続く)

 さて私の歌の再生表のご報告ですが、2月1日現在49645回になります(1部の私の楽曲の再生回数を除く)
 本当に有難いことです。ようやく5万回の頂上が、間じかに見えてきたようです。見えて来たのは良いんですが、手に届くようになると、各位のご厚意やご支援にさらに甘えさせて頂きたくなり、さらなる高き頂を目指して、登攀してみたいという欲望が湧き起こってきました。ご容赦下さい。何処まで各位のご支援やご支持を受けられるのか分かりませんが、今後もへこたれず、不屈の意志と覚悟で、各位の心からのご支援やご配慮と言う温かきピッケルを手に、氷壁を1歩づつ登って行きたいと思っています。