作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

「イグアナ君のこと第4章」「私の楽曲の再生回数」その他。

2015-01-25 14:28:40 | Weblog
世界中の良心を震撼せしめ、硬直、機能不全に貶め、麻痺させる痛ましい事件が頻発していますが、どうにかならないものでしょうか。個人等の思想や信条、主義主張の相違は、ある意味当然であり、非難や批判はある程度仕方がないと思いますが、一般常識からかなり逸脱した行為は、控えるべきだと思います。
 しかしこの地球上には、人類社会には対立ばかりが氾濫していて、なかなか平和な社会が平等には訪れませんが、一体全体何がそうさせるのでしょうか。私みたいな非凡な人間には、その問いは手の込んだジグソーパズルみたいなもので、いくら思考してみても、迷宮の森の中に、さらに深奥に突き進んでいくばかりで、最後には絶望の断崖絶壁に立ち竦み、行き場の無いところで眼を右往左往させながら、虚空に嘆息を吐露するばかりです。でも凡そ生命と名の付くものには、最大限の配慮を払うべきであり、尊崇の念を持って対処すべきであると考えるものであります。忘れましたが、どこかの裁判官が「人命は地球より重い」と発言したそうですが、私も同感です。
 さてイグアナ君、私が何より誰より愛するイグアナ君が、昨年12月25日に関空から父の故国へと飛び立っていきました。それからの私の悲しみや、苦しみ、空虚感は半端じゃありません。
 木枯らしよりも厳しい風が吹き荒れる、自身の内奥を彷徨ってみますと、かつてこれ程の苦境にある自身を見付けることが出来ません。よくよく考えますと、これほど心を囚われた人が、この世に生をなして現在に至るまで存在しなかったんですね。
 正直告白しますが、私は今日まで異性と付き合った経験がありません。勿論、沢山の素敵な女性と出会いましたが、大抵は片思いで終わりました。思いを寄せられそうな女性と出会っても遠くから眺めているばかりで、イグアナ君の様に抱きしめたり、頬ずりしたり、あやしたり、なだめたりした等がありません。
 朝目覚めては、イグアナ君の名を呼び、共に朝食を取り、そしてイグアナ君が大好きだった散歩に、乳母車に乗せて連れてゆき、そして我家が沿線の近くにあるために、何台もの電車の行き来するのを眺めたり、モンモ(犬の事をイグアナ君はこう読んでいた{韓国語で犬の吠える声をそう表現する})の仕草を飽かず眺めていたり、公園で滑り台や、ぶらんこ等のすべるのを手伝ってあげたり、揺らしてあげたり等、1日2人して遊び戯れた短い日々の数々の尊い、貴重な黄金のような日々。 チャイチャイ(お風呂の事)も殆ど毎夕私が入浴させたが、最初はむずかっていたシャンプーも、直ぐにいやな顔ひとつせず、ハルベ(お爺さんの事)に信頼しきった眼差しで任してくれたこと、それらの事、あれやの事。イグアナ君が目前から失せてしまってから、思い出さない日々はない。
 それらの日々。あれやの日々。思い出すたびに涙が滲み、思わず叫んでしまっている。イグアナ君戻って来て!(シエーンカムバック!)
 話がかなり逸脱してしまいましたが、何時もの事とお許しください。
 最近の私は、ほとんど笑うことがありません。笑っていても心の中ではいつも泣いているのです。
 最後にもう一度叫ばせて下さい。イグアナよ!早くハルベの所に帰って来ておくれ。今日も、明日も、明後日も、毎日毎日待っているよ。
イグアナ!本当に、本当に、今直ぐにでも抱きしめたいよ。元気でなー。病気したらあかんで。
先述しましたように、私は異性とのお付き合いがありませんでした。やはり異性との付き合いも、心から愛するようになり、逢瀬を重ねるも、結局破局をむかえたりすると、私がイグアナを、切なく慈しむ様な気持ちになるのと、同じような思慕の情を抱くようにでしょうか。そんな思いをするぐらいなら、今は心から、恋に落ちなくて本当に良かったと思います。

 さて私の楽曲の回数ですけれども、1月24日現在74804回となります。本当にご支援ありがとうございます。どこまで回数を重ねることが出来ますかは分かりませんが、またそのことがどのような意味があるのかは定かではありませんが、私と言う1人の人間が、無限の時間の中で、少なくともこの時代の瞬間に生きていた証として、いやひょっとしまして、未来永劫人の世に、趙顕市と言う人間が想像しました旋律が響いているかも知れないと思いますと、心から感動を覚えます。さらなるご支援を賜りますようお願い申し上げます。
 昨日から各メディアが、中東で囚われていました日本の方の生命の炎が、その方の意に反しまして消え去ったと繰り返し報じています。残念なことです。もし事実でありますならば心よりご冥福をお祈り申し上げます。

「イグアナちゃんとのしばしの別離」私の歌の回数ご報告。

2015-01-03 20:32:20 | Weblog


 皆様、新年明けましておめでとうございます。2014年は良いお年でしたか。私は初めが良くて、中盤も大変よかったのですが、後半は最悪の年でした。
 イグアナ君は昨年2月に韓国へと両親に連れられて、玄界灘を越えて釜山へと帰っていったのですが、9月の中旬にまた我が家へと帰って来ました。それからというものは、確かに大変でしたが、何が大変かと言えば、パソコンや携帯に非常な興味を示し、仮にもパソコンを開けようものなら、未だよちよち歩きですが、部屋の何処にいましても、すばやくよろめきながら、私の傍に寄って来まして幼児語で「パソコンのキーを触らせろと」しつこくウウーウウーと、私の合わさった大腿部に抱きあげ座らせてもらえるまで要求し続けます。そして目的を達すると、パソコンのキーをランダムに、かなり強い力で叩き始めるのです。最後にはパソコンの画面を開くボタンを覚えてしまい、動物の動画など見せて注意を惹きつけておいても、ぱっと手を伸ばしてスタートボタンを押し、強制終了させてしまいます。そうしておきながら、また付けろとウーウウと唸るので付けると、ランダムにキーを叩きまくった挙句に、スタートボタンを押して強制終了させてしまいます。携帯や暖房器具、リモコン類、一事が万事そのような調子なので、ほとほと疲労困憊いたします。
 そしてご前中は1時間から2時間の散歩。これまたよちよち歩きまわるので疲労困憊致します。とに角大切な大事な私の孫ですので、怪我でもさせたら大変です。娘の冷ややかな視線と、感情を抑制していますが、皮肉や怒声をまともに浴びなければなりません。いや、それよりも自分自身が、非常に滅入った、落ち込んだ気持ちに陥るに違いないからです。でも現在、イグアナ君が去ってから思ったんですが、イグアナ君の行動は、そんなことはたいした事じゃなかったんですね。否それが私の生甲斐でもあったんですね
 昨年のクリスマスからこの稿を書いている2015年1月2日現在まで、私は非常な悲しみと淋しさと喪失感に包まれています。そうです私の楽曲「宇治川未練」の歌詞の一部に「悲しみは突然やって来た」ってあるのですが、クリスマスイブに私の娘婿と一寸した論争になったのですが、翌日私の最愛の孫を引き連れて娘婿夫婦はプサンへと帰って行ったのです。
 関空まで送っていった私は、ターミナルで誰彼憚ることなくあふれる涙を拭おうとせず、また何時会えるかも知れない孫に頬ずりし、頬ずりし、頬ずりし、そして又頬ずりし別れを告げて現在に至っています。確かに悲しみは、日毎夜毎に薄らいでいるのは事実ですが、逢いたくて、逢いたくてたまらない気持は決して癒えることがないのも事実に違いありません。
 孫は9月にやって来ましたが、その時のうれしさはどう言葉で表現すれば良いのでしょうか。10月には1歳の誕生日を迎え、私や家内の身内をから沢山の祝福の言葉や贈り物を頂きました。また日本にいる間に、這い這いから、歩行が出来るようになりました。まだまだ覚束ないですが。でもかなりしっかり歩くことができるようになりました。家内と満面笑顔で次のような言葉を交わしたのを覚えています
「人類の進化の過程を、目の当たりに見ているようだね・・・」続く。
 さて、元旦の朝目覚めて見ますと一面の「白銀世界」私の66年間の人生の中でも初めての経験です。ご存知かと思われますが、私は京都府の南部城陽市に住んでいます。雪が積もることは一冬ごとに1~2度ありますが、元旦の朝にこのような光景を見ることは初めての経験です。吉兆の印だとも言われているそうです。
 さて、何時もながらのご支援大変感謝しております。「私の歌の回数」ですが、3日現在74021回になりました。再生して頂いた方には心より感謝の意を表したいと思います。今年は出来れば2~3曲、新曲をアップしてみたく思っています。変わらぬご支援を賜りますよう改めてご支援申し上げます。またブログの方ですが、「朝絢詩さん」のもと合わせました、3日現在訪問者様が43800人、閲覧者様が59277人となっています。あり難く厚く御礼申し上げます。