作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

人様の顔が憶えられない、イグアナ君からMKジュニア、歌の再生回数等

2016-07-13 17:15:24 | Weblog
現在は空がどんより曇っています。今さて日は7月13日梅雨の真っ只中ですが、此処2~3年を振り返ってみますと、従来の様に長ったらしく、しとしとと降る未練型とでも形容すればいいのでしょうか、では無くて、振る時には、どばっと降る激情型、直情径行型とでも呼ぶべき傾向を示していますが、若者ではありませんが、一刻も早く夏が到来することを待ち望んでいます。
 しかし現在私67才になるのですが、気持ちは10代や20代と殆ど違いはありません。家内や、他の6~70代の人にも尋ねて見ましても異口同音の答えが帰って来ます。ただ
運動して見ますと、明確に実年齢を痛感させられます。運動だけではなく、記憶力、特に他の人様の容貌が憶えられないこと、甚だしい限りです。このことで何十回知り合いやご近所の方々に、不愉快な思いを抱かせたか分かりません。この場をお借りいたしまして、お詫びの言葉を申し述べます。「すみませんでした」
 何故謝るのかですって。それは挨拶が出来なかつたり、また先方様が挨拶をして下さっても、私が挨拶を返せず、若しくは挨挨拶が遅れてしまったと判断し、それはいけないことだと思ったからです。
 挨拶は人間関係の基本です。信頼関係構築の基本です。
 私は少年時代から極度の近視でした。また50才前後から遠視になりました。それ故遠くから知人らしきお方と思しき人を見かければ、礼を失することの無いように、早い目に挨拶します。時にはすれ違いざま、全く知らないお人で会ったことが分かると、挨拶されたお人は「はて、誰であったろうかな」と、戸惑いの表情を見せながら、通り過ぎ去る場合がありますが、それはそれで、許されるであろうと思っています。


 さて、わが愛しのイグアナ君ですが、只今2才と9カ月。大きくなりました。
イグアナ君と言う呼び名は、這い這いの時期に、その姿が余りにも堂々としていてそれらの生き物を彷彿させましたので、私が名付けたのですが、現在はその姿からはほど遠く、よってMKジュニアと改めることとしました。なぜMKジュニアなのか・・・。それは歌が好きで、踊りが好きだからです。かのマイケルジャクソンを彷彿させるからです。
先ず、私の家に「じいじ、ばあば」と入って来るや否や、NHKの「お母さんといっしょ」の「パント」のコーナーで、パントのお姉さん宜しく、ピノキオみたいにぎこちなく手足を動かし、それに合わせて表情を変え、私たちを笑わせます。それら一連の仕草が在りし日のマイケルジャクソンそっくりなのです。動画が上手く撮れたらブログにでも貼り付けたいと思っています。
本当に歌が好きな子で、車などで出かけるときには、乗車中唄っています。
プラレールにも夢中で、熱中しているのかなと思うと、「公園に行こう」「電車見に行こう」で家族全員が、歓喜のうちに振り回されています。
私たち家族の願いはただ一つ、この孫の健やかな成長を願うばかりです。

現在は世の中が混沌としています。世界至る所で争いやテロが頻発し、人種間の憎悪や差別の問題も解決にほど遠い現状にあります。だが、これらの諸問題、紛争を解消するに当たっては、武力を使用しないことであります。徒に尊い生命が失われたり、五体の一部が損壊し、機能しなくなったりすればいよいよ負の感情が増大するばかりで、平和の白い鳥は血に赤く染まって行き天空も同じく血潮に赤くし彩られ、人類に、永遠に止むことなき赤き血の雨を降り注ぐだけだと思います。
人間には叡智が備わっています。それらの叡智を寛容の精神で交換しあって,太古の昔から平和の礎を築き上げてきました。いま一度、思想信条試練を超越して対話してみてみませんか。平和の為の輝かしい対話を。平和無くして地上の何も存在しないと思いま。


 さて、最後になりましたが「私の歌の再生回数」のご報告をさせて頂きます。2016年7月11日現在106641回になっています。これもひとえに皆様方各位のお蔭だと思っています。今後とも変わりませず宜しくご支援の程お願い申し上げます。
 尚単曲での再生回数のトップは「愛別釜山港(韓国語)」の22424回でございます。併せてご報告させて頂きます。