今朝の新聞やインターネットNEWSを見て驚きました。
今回のアルジェリアにおけるイスラム武装勢力による人質事件で、安否不明とされていた「日揮」の社員の方々が7名死亡されたとの報道に接し、心より哀悼の意を表したいと思います。
今後事件の解明が進められ、真相が明らかになって来るでしょうが、この様な痛ましい事件が2度と再発しないことを願うばかりです。
改めまして犠牲になられましたご家族、肉親、関係各位にもお悔やみの言葉を申し上げます。
さて前回の続編ですが、アルバイトと言いますか、非正社員で診療所に入所した私ですが、一応医療機関とはどのような業務をする所なのかを知る為に、医師や看護婦(現在は何年か前に呼称が変わって看護師と称する)が為す事以外の業務は一通りさせられたのですが、会計処理だけは、この診療所ではなく、右京区にあるS病院の地下の経理室で行なわれていたので、私が所員の一員となってからは、1週間単位で日々の売上げを記した伝票や、使った細々とした経費類の領収書や使途を記した伝票を、現金と共に持っていっていたのですが、そんなある時、経理の責任者みたいな女性(年齢は20歳前後)から何か苦情を言われたのですね。私には全く与り知らない事柄で、その場ではただ顔面を恥ずかしさや、上手く説明できないもどかしさでしどろもどろしていた(信じられないでしょうが当時私は現在の様な厚顔で恥知らずな人間では無く、本当に純粋で初心な青年だったんですよ)んですが、その経緯を診療所で所長(叔父)に告げると、所長は何を思ったか、私を車に同乗させて、S病院の経理室に行き、かなり声を荒げて件の事務員に「彼は何も知らない。ただ書類等を運んで行ってもらっているだけや。不審な点があれば私に尋ねなさいと、以前言ったでしょう云々」と、かなり詰問調で言ったので、傍にいた私はその様な所長を初めてみたので驚くやら、自分の不甲斐なさに恥ずかしいやらで、所在無さげに呆然と突っ立っているだけだった。件の事務員も、恐らくその様な気色ばんだ所長を始めて見たのであろう。ただひたすらに「すみません。すみません」と低姿勢で頭を下げるだけだった。
後に同様の場面を目撃した事があった。
当時診療所は、使用する薬品類を自らの診療所では購入出来なかった。薬品類を仕入れるには、S病院で当時薬局長だったR先生に直接電話をして依頼するのであった。
私が就職した当時、午前中は左京区に居住していたパートのうら若き女性が、夜診はKKの国立に通っていた学生が、薬局の担当をしていた。そして、必要な薬品や、在庫切れの薬品が出てくると、薬局の壁に掛けられた小さな黒板に薬品名を書いておくのであった。
それを午前中の勤務の終わり間際に、先述の女性がS病院の薬局長に電話して頼むのであった。
やがてそれらの担当者は家庭の都合や、就職なので止めていくことになり、薬品の注文は私の仕事と相成った。
所がである。この薬局長の性格が少々常人とは異なっていた。電話をすると明るそうなと言いますか、朗々たる声で、こちらが注文するのに素直に応えてくれるかと思えば、或る時は非常に陰鬱なと言いますか、気だるそうに応えられる場合があり、また或る時には、全く人を小馬鹿にしたような対応をされる場合がありで、注文するのが非常に苦痛に思われてきたのである。でも注文せざるにはいられない。
ある時である。S病院の薬局の前の廊下で、この先生に酷く詰られた事がある。いや、そんな生ぬるいものではなく罵詈罵倒である。悪口雑言である。たまたまそう言う状況の時に所長がたまたま居合わせたのか、また何かの用事で通りがかった時に目撃し、それらを耳にしたのか、私を擁護して、その薬局長の言動を敢然として非難し、論駁してくれたことがある。本当に私はその薬局長の敵愾心を剥きだしにした言動に、対処する方法が分からず泣き出しそうなばかりの状況だったので、叔父の振舞いや一言一句が干天の慈雨の様に思ったものである(続く)
さていつものご報告ですがYoutube様に貼り付けさせて頂いている私の楽曲ですが、再生回数が1月21日現在31413回に達しました。本当に拙い歌にも拘りませずお聴きくださり、心より感謝の言葉を申し述べます。つきましてはさらなるご支援を賜り、世に押し出して下さるようお願い申し上げます。
私の竹馬の友であり、親友である朝絢詩さんのブログに、「洛南タイムス」の2013年1月1日号の娘夫婦のニュースを貼り付けてくれ!のご要望が多かったので、私のブログにも貼り付けさせて頂きます。もしよければご一読下さい。
今回のアルジェリアにおけるイスラム武装勢力による人質事件で、安否不明とされていた「日揮」の社員の方々が7名死亡されたとの報道に接し、心より哀悼の意を表したいと思います。
今後事件の解明が進められ、真相が明らかになって来るでしょうが、この様な痛ましい事件が2度と再発しないことを願うばかりです。
改めまして犠牲になられましたご家族、肉親、関係各位にもお悔やみの言葉を申し上げます。
さて前回の続編ですが、アルバイトと言いますか、非正社員で診療所に入所した私ですが、一応医療機関とはどのような業務をする所なのかを知る為に、医師や看護婦(現在は何年か前に呼称が変わって看護師と称する)が為す事以外の業務は一通りさせられたのですが、会計処理だけは、この診療所ではなく、右京区にあるS病院の地下の経理室で行なわれていたので、私が所員の一員となってからは、1週間単位で日々の売上げを記した伝票や、使った細々とした経費類の領収書や使途を記した伝票を、現金と共に持っていっていたのですが、そんなある時、経理の責任者みたいな女性(年齢は20歳前後)から何か苦情を言われたのですね。私には全く与り知らない事柄で、その場ではただ顔面を恥ずかしさや、上手く説明できないもどかしさでしどろもどろしていた(信じられないでしょうが当時私は現在の様な厚顔で恥知らずな人間では無く、本当に純粋で初心な青年だったんですよ)んですが、その経緯を診療所で所長(叔父)に告げると、所長は何を思ったか、私を車に同乗させて、S病院の経理室に行き、かなり声を荒げて件の事務員に「彼は何も知らない。ただ書類等を運んで行ってもらっているだけや。不審な点があれば私に尋ねなさいと、以前言ったでしょう云々」と、かなり詰問調で言ったので、傍にいた私はその様な所長を初めてみたので驚くやら、自分の不甲斐なさに恥ずかしいやらで、所在無さげに呆然と突っ立っているだけだった。件の事務員も、恐らくその様な気色ばんだ所長を始めて見たのであろう。ただひたすらに「すみません。すみません」と低姿勢で頭を下げるだけだった。
後に同様の場面を目撃した事があった。
当時診療所は、使用する薬品類を自らの診療所では購入出来なかった。薬品類を仕入れるには、S病院で当時薬局長だったR先生に直接電話をして依頼するのであった。
私が就職した当時、午前中は左京区に居住していたパートのうら若き女性が、夜診はKKの国立に通っていた学生が、薬局の担当をしていた。そして、必要な薬品や、在庫切れの薬品が出てくると、薬局の壁に掛けられた小さな黒板に薬品名を書いておくのであった。
それを午前中の勤務の終わり間際に、先述の女性がS病院の薬局長に電話して頼むのであった。
やがてそれらの担当者は家庭の都合や、就職なので止めていくことになり、薬品の注文は私の仕事と相成った。
所がである。この薬局長の性格が少々常人とは異なっていた。電話をすると明るそうなと言いますか、朗々たる声で、こちらが注文するのに素直に応えてくれるかと思えば、或る時は非常に陰鬱なと言いますか、気だるそうに応えられる場合があり、また或る時には、全く人を小馬鹿にしたような対応をされる場合がありで、注文するのが非常に苦痛に思われてきたのである。でも注文せざるにはいられない。
ある時である。S病院の薬局の前の廊下で、この先生に酷く詰られた事がある。いや、そんな生ぬるいものではなく罵詈罵倒である。悪口雑言である。たまたまそう言う状況の時に所長がたまたま居合わせたのか、また何かの用事で通りがかった時に目撃し、それらを耳にしたのか、私を擁護して、その薬局長の言動を敢然として非難し、論駁してくれたことがある。本当に私はその薬局長の敵愾心を剥きだしにした言動に、対処する方法が分からず泣き出しそうなばかりの状況だったので、叔父の振舞いや一言一句が干天の慈雨の様に思ったものである(続く)
さていつものご報告ですがYoutube様に貼り付けさせて頂いている私の楽曲ですが、再生回数が1月21日現在31413回に達しました。本当に拙い歌にも拘りませずお聴きくださり、心より感謝の言葉を申し述べます。つきましてはさらなるご支援を賜り、世に押し出して下さるようお願い申し上げます。
私の竹馬の友であり、親友である朝絢詩さんのブログに、「洛南タイムス」の2013年1月1日号の娘夫婦のニュースを貼り付けてくれ!のご要望が多かったので、私のブログにも貼り付けさせて頂きます。もしよければご一読下さい。
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