作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

一片の詩「無題」「カラオケ屋のママさん」

2015-02-14 16:43:58 | Weblog


     無  題          

 棺桶に入れられるまで
 何の障害もなく、苦悩もなく、自己卑下もなく
 岩石に額を血みどろになるまで打ち付けることなく
 また、堅固な大地に己の拳が砕け散るまで打ち続けることなく
 順風満帆に、平穏に、不安や心配に戦きうち震えることなく
 窮乏も知らず、暴力をも知らず、暗闇の寒さをも知らず
 屈辱も知らない人間が、
 この地球上に、人類社会に、
 川の中に手を入れ掴める一握の小石よりも存在するだろうか
 かくも人生は、困難で、熾烈で、過酷で、無慈悲で、大変なのだ

 一度や二度の失敗や過失など、それが何なんだ
 他者の嘲笑や、誹謗や中傷、それがどうした
 この世には胃腸の臓の中に食物の片鱗もなく
 零下何十度の砂地の中でまどろむ小児もいるのだ
 哀願しても懇願しても無情にも
 冷酷な銃弾に痩身を貫かれ、首をひっ裂かれ
 大地を赤く恨み染めしてゆく人達が数多存在するのだ

 斯く言う私も自省する
 日々安穏の中に抱かれ、妄想に起き伏しする己を
 当然の如く世の人々の汗水からなるパンを食し
 当然の如く世の人々の呻吟や血反吐の賜物
塗炭の結実である事を一考だにせず
 享受する己を厳しく戒め、叱責する

 さあ、第一歩を踏み出そう
 でも辛い・・・
 勇気を鼓舞しよう
 世界の大抵の人は親切で、大らかで寛容だ
 幸いなことには私たちには家族がいる
 世界中の此処かしこに
 優しくて、謙虚で、懐の深い友がいる
 さあ歩まなければならない
 それは人類の一員として生まれた責務だ


さて相変わらず私は週に2回、近隣のカラオケ店に通っています。まあ一応その店をAとBにしておきましょう。
 あれは先月1月31日の事でした。その週は体調が不調なこともありましてAを欠席したんですが、Bも翌日、初対面の方との大事な会合がありまして、何時も伺う曜日に欠席しました。理由は、私はカラオケ屋さんに居る間アルコールを飲みっぱなしなもんで、大抵はその翌日軽い二日酔いに悩まされるものですから、今回の会合は何としてでも重要な案件を議論するために意見を交わしあうので、明瞭な意識でいる必要があったからです。
先程カラオケ屋さんを訪れるのは2回と書き記しましたが、何時も行く曜日が決まっていまして、Aは水曜日でBは金曜日でした。
さて、土曜日の対面も首尾よく運び、将来に向かっての輪郭も大まかながら描くことが出来ましたので、緊張をほぐそうと何時も訪れる曜日でなかったのですが、時間も2時間ぐらい遅れまして3時位にBに足を運びました。
かなり混んでいました。何時もの私の指定席は空いていなくて、その隣に座りました。顔なじみの方が注文を聞いてくださったので、私は何時ものチュウハイを頼みました。ところが暫く待たされて運ばれて来たのは、ジョッキーに入れられた生ビールでした。何時もなら一緒に運ばれてくるおつまみも、リクエストカードもありません。お客様のリクエストカードを受けて曲目を入れている中年過ぎの女性が私に声をかけ、キョウハリクエストカードが無いらしいですよと言って来ましたので、私は口頭で曲目を言いました。それで一杯目を飲み干し終ったころにママさんが現れ、「あっそうそう趙さんはチュウハイやったね」とチュウハイダケを運んで来ました。何時もは注文すると同時に運ばれてくる「おつまみ」もまだ運ばれて来ません。勿論リクエストカードも。また暫くいて「あっそうそう、あてもまだやったね」と言いながら運ばれて来たおつまみは、いつもと違う明らかにお粗末なもの。内心私は考えました。「何時もの曜日にこなかったからやろか」
私は席を立ち支払いを済ませますと、見送りに来たママさんに言いました。「次週はいつも道理金曜日に来ます」と。
6日金曜日に何時もの時間、午後1時前に行きました。ママさんはいません。代わりに何回かお目にかかったことのあるママさんの妹さんが1人で、お客さんの対応をしておられました。何か急用でもできたのだろうと思いつつ、妹さんには何も尋ねず店を後にしました。
お客さんは常連客もちらほらおられ、まあまあの入りでした。
13日金曜日やはりママはいません。妹さん1人でした、お客さんも3人だけ。午後5時までいましたが常連客は誰も来ません、5時までいてお店にやってこられたのはお2人だけでそれは寂しいものでした。
思い切って私は妹さんに尋ねました。ママは。
妹さんは歯切れの悪い口調で「書類の整理とか何とか・・・」
私は店を後にしながら、先ず私の非を考えて見ました。「何もない」では一体何故だろう。頭の中はあれやこれやの思考がアルコールと共に巡っています」
そうです。私はママさんを大変好いていました。好感をいだいていました。それ以上でもそれ以下でもありませんが、残念です。暫くお店には行かないかも知れません。中島みゆきさんの「明日」を請われて一緒に歌えたことが、懐かしく思われます。それじゃ、さようなら。

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