今日、新国立劇場オペラ芸術監督「若杉弘」先生のお別れの会が催されました。
会場は新国立劇場の中劇場。
壇上に遺影が掲げられ献花台が設けられていました。
若杉先生が最後に指揮をしたのがここ中劇場。
ドビュッシーの「ペレアス&メリザンド」をコンサート・オペラという形式で上演。
私もしっかりと演奏させていただきました。
実を言えばもうその時既に歩行も困難になられて、車椅子でピットの入り口まで。
痛々しい姿ではありましたが最後まで公演を全うされたのです。
しかし直後の東フィル「午後のコンサート」は指揮をする事も出来ず。
指揮は三澤さんに任せ、先生はどかんと舞台に座って解説と監督と。
これが最後の姿でした。
この後入院されて1年、この夏に遂にお亡くなりになられたのでした。
新国の監督の任期を2年残しての入院、そして1年残しての逝去はさぞや悔しい思いをなされたのではと思います。
後一年新国は監督不在のままでいくのでしょうか。
後任は既に発表されている通りですね。
来年までこのままなのかもしれません。
最初のワーグナーのオペラを演奏した時の指揮者が若杉さん、その時の「ワルキューレ」は今でも鮮明に思い出すことが出来ます。
練習風景にピットの中など、若かった自分の脳にしっかりと焼き付いています。
新国のこけら落としでも「ローエングリン」をやりました。
その他にもR・シュトラウスの「エジプトのヘレナ」なんて難曲もやりました。
「蝶々さん」や「椿姫」などたくさんのオペラをご一緒しました。
颯爽としていた頃の遺影を仰ぎ見ながら献花をしてきました。
大きな喪失感を今このブログを書きながら感じています。
あの声がもう聞けないのですね。
寂しいです。
会場は新国立劇場の中劇場。
壇上に遺影が掲げられ献花台が設けられていました。
若杉先生が最後に指揮をしたのがここ中劇場。
ドビュッシーの「ペレアス&メリザンド」をコンサート・オペラという形式で上演。
私もしっかりと演奏させていただきました。
実を言えばもうその時既に歩行も困難になられて、車椅子でピットの入り口まで。
痛々しい姿ではありましたが最後まで公演を全うされたのです。
しかし直後の東フィル「午後のコンサート」は指揮をする事も出来ず。
指揮は三澤さんに任せ、先生はどかんと舞台に座って解説と監督と。
これが最後の姿でした。
この後入院されて1年、この夏に遂にお亡くなりになられたのでした。
新国の監督の任期を2年残しての入院、そして1年残しての逝去はさぞや悔しい思いをなされたのではと思います。
後一年新国は監督不在のままでいくのでしょうか。
後任は既に発表されている通りですね。
来年までこのままなのかもしれません。
最初のワーグナーのオペラを演奏した時の指揮者が若杉さん、その時の「ワルキューレ」は今でも鮮明に思い出すことが出来ます。
練習風景にピットの中など、若かった自分の脳にしっかりと焼き付いています。
新国のこけら落としでも「ローエングリン」をやりました。
その他にもR・シュトラウスの「エジプトのヘレナ」なんて難曲もやりました。
「蝶々さん」や「椿姫」などたくさんのオペラをご一緒しました。
颯爽としていた頃の遺影を仰ぎ見ながら献花をしてきました。
大きな喪失感を今このブログを書きながら感じています。
あの声がもう聞けないのですね。
寂しいです。
昨日流された音楽はワーグナー「ローエングリンの第1幕への前奏曲」とフォーレのレクイエムから「楽園にて」の二つでした。
ローエングリンは我々と若杉さんの演奏、フォーレはフルネさんの指揮の都響の演奏でした。
若杉さんの笑顔の写真、暖かい感じですよね。
私にはあの笑顔とともに独特の高い声が忘れられません。
あの声がもう聞く事が出来ないというのが本当に悲しく寂しいのです。
ところで、お別れの曲は何が流れていましたか?
お葬式ではなぜかバッハの《G線上のアリア》が定番なようです。あと常任指揮者が亡くなったオケでは、無指揮者で同曲を演奏したという記録を度々目にしたことがあります。
ワーグナーなどのドイツ・ロマン派を得意とした若杉さんなら、《ジークフリートの葬送行進曲》とかブルックナーの交響曲第七番第二楽章とかでしょうか。
奇しくも、この2曲は、ヒトラー死去のニュースがラジオで発表された際に流れたものですが(フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルのレコードが使用されました)。