にのじ@ばよりん的日常

バイオリン弾きにのじの日常生活!
仕事や遊び、色々書き込んでます。お気軽にコメントを書いて下さいね!

あの島

2011-03-30 00:38:38 | Weblog
今回の震災でどうしても気になっていた事がありました。
松島湾に浮かぶ寒風沢島(さぶさわじま)の被害状況です。

この島の記憶は災害と共にあるのです。
まだ学生だった1981年の8月にこの島を訪れました。
明治大学のオーケストラのエキストラとして東北地方の演奏旅行に同行させていただいたのです。
張り切って東北地方に旅立ったのですが(在来線で、しかも常磐線経由)我々の後を台風が追いかけて来たのです。
そのときの台風は関東の東岸から東北地方の東岸を舐めるように北上。
ちょうどこの寒風沢島に渡った我々をその夜に暴風雨が。
宿は海辺、夜中を過ぎた辺りから雨と風が激しくなり朝には台風の直撃をくらいました。

その日は島の小学校での演奏会が予定されていました。
出来るかどうかは別として宿にいては危ないという理由から全員高台にある小学校へ。
会場の体育館は叩き付ける雨とうなる風の音でとても演奏できる状態ではありませんでしたが。
子供たちが5・6人現れたのです。
せっかく来てくれたのだからと一曲だけでしたが台風の轟音の中で演奏をしました。

近年、文化庁の学校コンサートで体育館で演奏しますが。
暑い寒いと文句は出ても、台風の直撃を受けたことはありません。
あの嵐の中での演奏は30年経った今でも決して忘れることができません。

嵐が静まって港へ向かう道で見たのは。
陸に打ち上げられた漁船の姿。
その不自然さに息を呑みました。

塩釜港へ戻っても鉄道が不通。
仕方なく海沿いに北上する事となり気仙沼へ。
そこは本来の宿泊地では有りませんでしたが。
地元の旅館が快く迎え入れてくれたのでした。
あの時の夕食の海の幸の美味しさは忘れられません。

常磐線から仙石線。
そして海沿いを気仙沼まで。
今回の地震であの沿線は計り知れない被害を被ったのですね。
あの時見た船の姿が今回の被害と重なって見えました。
でも比較にならないくらいの状況なんですよね。

今日テレビで寒風沢島の状況が少しではありますが放送されました。
海辺は壊滅的な状況のようです。
未だに孤立状態で、物資は自衛隊の輸送が頼り。
一刻も早く島への足が復活する事を願って。
そして島の皆さんが復興に向けて進めるように願っています。

2週間、そして2週間

2011-03-29 01:27:55 | Weblog
今日は本当に久しぶりの東フィルのお仕事。
NHKの名曲アルバムの録音です。
都合3曲、じっくりと時間をかけて録りました。

東フィルのメンバーと顔を合わせるのは2週間ぶりです。
グエの歌のリハーサル初日、まだ動いていない交通機関で苦労しながら集まったオペラシティの日。
集まりきれなかったメンバーも多数いたなか、演奏会の中止が決まり敢えなく解散となったあの日以来です。
積もる話も本当に積もりつつ、何となくみんな嬉しそうな顔に感じられました。
あれから2週間も経ってしまいました。
その間、東フィルの仕事は全てキャンセルに。
思いがけず訪れた長い休み。
そして今日だけ、たった一日だけの再会。
そしてこれからまた訪れる長い休み。

私も4月初旬の仕事は全てキャンセル。
次に東フィルの仕事があるのはまた2週間後。
この4週間でたった一日です。
尋常な事ではありません。

オケを存続させるために事務局のメンバーは苦労の連続だとは思いますが。
音楽を必要としている人がいる限り。
我々も頑張って活動を続けていかなくては。

時間が止まったかのような

2011-03-25 01:24:16 | Weblog
あの日以来、時間が止まってしまったようにも感じられます。
仕事が全く消え去ってしまった事が原因でしょうか。
まあ、このままの状態ではいけないのでエンジンを再始動しなければと思っています。

今日は久しぶりにオペラシティに行ってきました。
かかりつけのお医者さんに行っていつもの薬をもらう為に。
オペラシティも節電の為に館内の照明も落としていましたが。
何だかムードがあってこれで良いという気にもなりました。
ヨーロッパの街などではこれくらいの照明が普通ですからね、日本は明るすぎるのかもしれません。

横浜駅の中央通路なども暗く感じましたが、思い返してみれば昔の横浜駅はもっと暗かった。
何事も程々が良いものだと思います。

家の付近ではガソリンスタンドの行列もすっかり消えて、普通に給油出来る環境が戻ってきました。
先週のあの騒ぎは何だったのでしょう。
みんな満タンになればこの通り、そんな物ですね。

それとdocomoの携帯を機種変更。
アンドロイド携帯にしました。
今までの携帯が古くなりすぎてガタガタ。
機能も古いので最新のサービスも受けられない。
そして何よりskypeを使いたかったから。
などという理由でスマートフォンです。

今は機能を確かめつつ新しいアプリを入れたりと楽しんでます。
ただタッチパネルのフィーリングが掴みづらくて。
非常に敏感なのですが時には逆の反応もあるし。
ちなみに機種はNECの「MEDIAS」という非常に薄くて軽いアンドロイド。

せっかくアンドロイドにしたので壁紙を「電気羊」にしようと探してみたのですが。
なかなか良いものが有りませんね。
ブレードランナーの未来都市の風景でも良かったのですけど。
気に入ったものは無く。
しばらくはプリインストールされていた物で我慢です。

この所寒い日々が続いていますね。
雪が降った所もあるそうです。
神奈川県でも箱根はずっと雪だったとか、平地でも雪だったそうで。
そんな寒い日々でも花粉は容赦なく降ってきます。
車に黄色く花粉が降り積もる、なんて久しぶりです。
黄砂は毎年の事ですが今年はそれよりも花粉の降る量が凄い。
マスク無しの外出は危険極まり無い行為。
ゴーグルも欲しいもの。
明日あたり探しに行って見ようかと思います。


3月中、地震後に残った仕事はNHKの録音が一回のみ。
他のコンサートは全て中止となりました。
気も滅入る事態ではありますが、致し方ないので。
しばらくは長い春休みを満喫します。

あれから

2011-03-19 01:33:31 | Weblog
あの大きな地震からまる1週間経ちました。
この1週間は歴史の転換点を見ているような激動と言うか激震と言うか。
とにかく今まで経験した事のない事象の連続。
間違いなく我々は日本という国の曲がり角にいるのだと思っています。

しかし演奏会の延期が続き、それもあちこちの演奏会がです。
地震の揺れでホールが損傷して中止ならば納得もいくのですが。
お客様の安全が保証できないからという理由も見受けられます。
ホールの都合という理由もありました。
日本中がこんな自粛ムードに陥っていますね。
しばらくすれば元には戻っていくのだろうと思いますが。
それまでオケが持ちこたえられるか。
東フィルも含めて自主運営のオケは厳しい局面に立たされています。
ちょうど100年でその歴史を閉じる、なんて事態にならないことを願っております。

福島の原発事故の報道に関しては日本国内よりもアメリカでは厳しい、ある意味ではヒステリックとでも呼べるような悲観的な報道がなされているようです。
専門家が冷静に分析をして客観的に事故の危険性を検証している記事もあるのですが。
当初はスリーマイルを引き合いに出していたものの、ここへ来てチェルノブイリと比較する論調まで。
本国から帰還命令まで出ているとか。
仕方がないことかもしれませんが、もう少しきちんと物事を判断したいもの。
専門家の言葉に静かに耳を傾け、静かに考えてみる事が大切ではと思います。

ツイッターでは悲観的な意見を声高に叫ぶ人も多いのですが。
恐怖心にかられていらぬ心配を周囲にばらまくのはどうかと思います。
しっかりとした目を持った人物の意見に耳を傾けてほしいな。


計画停電も始まりましたが我が家は幸いにもまだ停電を経験しておりません。
この地区はグループ3とグループ5と、両方に属しているように書かれています。
横浜市南区六ッ川2丁目なんですが、入り組んだ区分けになっているようで。
その先の細かい分かれ方が大事なんですけど、分からない。
などと言いながら停電に備えて色々と準備をして待ち構えていたのです。
が、申し訳ないことにまだなんです。

先ほどまた揺れを感じました。
今度は伊豆半島の沖合が震源。
これも余震なんでしょうか?

揺れる

2011-03-16 01:01:57 | Weblog
先ほど静岡県東部で強い地震がありました。
日本列島のどこで地震がおきてもおかしくない状態になってしまったのでしょうか。
とにかく備えだけはと思いますが、パニック買いだけには陥りたくないものです。
乾電池、懐中電灯、ストーブ、インスタント食品、トイレットペーパーなどなど。
気をつけたいものです。
そうそうガソリンも。

今週は東京フィル100周年記念の演奏会が2回予定されていましたが、この地震の影響で両方とも中止となってしまいました。
楽団としては延期という扱いになっています、いつかは必ずやらなければいけない演奏会なのですから。
それだけでなく来週の演奏会もキャンセルとなりました。

他の演奏会も次々に中止が決まっていて、何とも言えない負の連鎖が止まりません。
停電の影響や、ホールの損傷なども理由ではありますが。
日本を覆う暗い雰囲気に呑まれてしまったような中止には悔しくて堪りません。
中には来日中止であったり、フィレんツェの歌劇場のように本国から帰還命令が出てしまった例もありますが。

しかし今こそ音楽をやるべきなのです。
こんな時だからこそ我々が出来ることをしっかりとやらなくては。
我々の使命は音楽を演奏することです。
聞く人々に力と安らぎと勇気を与える事も出来るのです。

演奏会を中止することは当事者にとっては決して簡単な決断ではありません。
断腸の思いで決断したはずです。

でもここで演奏する勇気を振り絞って演奏するべきだと思います。
この沈んだ空気から抜け出さなければ。



今回の地震ではTwitterとFacebookとskypeが非常に有効な情報取得のツールでした。
Facebookは友人の安否確認や連絡にとても力を発揮しました。
Twitterは情報を得る手段としてはもの凄く強いし。
skypeは地震直後で電話が繋がらなかった時でさえちゃんと通話が出来ていましたから。

で、今晩カミさんにもskypeを使えるようにしました。
いざと言う時の為に。

帰還

2011-03-12 23:06:53 | Weblog
昨日の地震は大惨事となってしまいました。
被災地の皆様に心よりのお見舞いを申し上げます。
まだ犠牲となった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


昨日は千葉市の京葉銀行文化プラザで東フィル千葉市定期の本番の予定でした。
ゲネプロが午後3時開始でしたので、それぞれが席に着いて楽器と自分の調子を整えていたその時に強烈な揺れが襲ってきました。
何時まで経っても収まる事の無い強い揺れ、ホールの壁がばりばりと音をたてライトが大きく揺れる中。
みんな楽器を抱えながら震えていました。

最初の揺れが収まった時、凄い揺れだったねなどと言いつつゲネプロをとも思いましたが。
ちょっと落ち着くのを待ちましょうと開始を15分遅らせて待っていた時。
また次の揺れが。
これはただ事では無いと思い情報を調べてみれば東北で大変な震度と津波警報。
袖のテレビを覗いてみれば信じられない光景が。

続く余震に不安感を抱えつつ、楽器をしまい燕尾服も撤収していつでも避難できる体制で待つことに。
演奏会の開催をどうするか主催の千葉市の振興財団さんと話し合いがもたれているその間にも。
テレビを見れば市原で大爆発、お台場でも火災。
そして東北沿岸を襲い始めた津波の映像。
この世のものとも思えない映像を見て凍り付く我々。

結局演奏会は中止となりましたが電車も道路も使えなくなり千葉から出られない状況になりました。
夜九時まではそのまま文化プラザに居ましたが、エレベーターは止まり暖房も故障。
寒さに震えながらも食料を確保したり家族への連絡を取ろうとみんな必死。
しかしなかなか連絡も取れず、そのうとに文化プラザの閉館時間になりました。

その後は近くの市民会館へ移動。
ここは千葉市の避難所として使われていましたが。
演奏会の主催の振興財団のはからいで4階のフロアーを東フィルのために確保していただきました。
下の階やロビーには一般の皆様が避難していました。

その4階の会議室で一夜を明かしてきました。
続く余震に不安を覚えなかなか眠る事も出来ず。
そして夜中ともなれば部屋も寒くなってきて。
コートを体に掛けても上半身しか覆えない。

そんな時に千葉市の非常時の緊急用の毛布がみんなに配られました。
その毛布の暖かさ、本当に暖かかった。
有り難いものです、この時のために自治体は非常時の備品を揃えてくれているんですね。
昨日はその毛布の暖かさに感激しながら夜を過ごしました。


今朝になって鉄道も復旧するという事でみんな飛び起きて千葉駅へと走っていきました。
私は車で千葉脱出を試みて何とか5時間をかけて家まで帰ってまいりました。

実をいうと夕べ一度車で脱出を試みたのですが、千葉駅周辺の道路がピクリとも動かず断念したのです。
今日は昨日ほどでは無かったものの駅周辺から国道14号方面はやはり動かない。
ナビの地図をにらみつつ空いている道を無理矢理走ってみました。
途中の幕張のあたりは停電で信号機も働いていませんで。
交差点ではなかなかスリリングではありましたが何とか千葉県を脱出。
5時間の所要時間の半分以上は千葉県脱出に費やしました。

電車組も結局電車が走り出すまでに2時間待ったとか。
どちらにしろ大変な二日間でした。

今日は新宿文化会館で戦争レクイエムの本番の予定でしたが、こちらの演奏会も中止に。
ミューザ川崎ではホールの天井が落下して今月いっぱい休館するそうです。
また池袋の芸術劇場もパイプオルガンが破損したらしいですね。
サントリーとトリフォニーでは予定通りに演奏会は開かれたそうですが。
問題はこれからでしょうね。
来週は東フィルの100周年記念演奏会があるのです。
少しばかり微妙なタイミングになってしまいました。
どうしたら良いものでしょうか。

溢れる

2011-03-10 02:17:05 | Weblog
昨日の長くもフレッシュな演奏会も無事に終わりました。
若い人たちの門出となる演奏会のお手伝いが出来たという事だけでも嬉しい気持ちになれますね。
みんな努力を重ねて更に素晴らしい音楽家への道をしっかり歩んで行って欲しいものです。

さて今日は新宿文化センターでブリテンの戦争レクイエムのリハーサルでした。
本番は土曜日に新宿文化センターで行われます、あまりに巨大な編成と合唱団なので本番のホールでリハーサルをしています。
今回はこのホールが主催なのでこんな贅沢も出来るんですね。
素晴らしい環境でリハーサルを重ねられるのは貴重な体験です。

この曲、第二次大戦の犠牲者の為に書かれて。
初演時にはイギリス、ドイツ、ソ連のソリストが起用されたそうですね。
戦ったお互い同士、そのわだかまりを超えて音楽を通して一つになろう。
そして敵味方を問わず犠牲になった人たちの冥福を祈る。
その為に書かれた曲。

東フィルも18年ほど前に大野和士さんの指揮で演奏しました。
その時はソリストに日本人、中国人、韓国人という三か国から。
東アジアで戦った者同士、一つになろうではないかというコンセプトの下に。

毎年行われているアジアフィルもこのような趣旨で行われています。
目的は他にもあるにせよ、この三か国の音楽家が一同に会して演奏する事には重い意味合いがあります。
そんな事をも思い出しながらのリハーサルです。

さてこの曲、巨大なオーケストラと小さなオーケストラ。
大人の合唱に児童合唱と三人のソリストというとにかく大人数で取りかからないといけない曲。
新宿文化のステージもピットを上げて最大の面積にしてはありますが。
それだけの人数がステージに上がると、それだけで壮観です。
オルガンもありますし、二階の客席では児童合唱も歌います。
凄いことになってます。
見るだけでも価値があるかも。

と言いつつ来週の事を考えてみると。
グレはこれどころじゃ無いとんでも無さ。
オーチャードのステージを埋め尽くすオケとソリストと合唱団。
いったいどういう事になってしまうのだろうか?

更に

2011-03-08 00:36:44 | Weblog
今日の関東地方は午前中に雪が降りました。
横浜辺りでは8時半を過ぎたあたりから雨が雪に変わり見る見るうちに家の周りが真っ白に。
今年は寒い冬ですが、本来の冬ならばこんなに横浜では雪は降らないはず。
やはりどこか気候が変化しているのではないかと思います。

そんな今日はオペラシティでリハーサル。
去年の日本音楽コンクールの優勝者のコンサートのリハーサルです。
バイオリン、ピアノ、フルート、オーボエ、声楽、そして作曲。
6部門の優勝者がそれぞれ演奏、または発表します。

印象に残ったのは作曲部門の打楽器とオーケストラの為の競奏という曲。
何とも鮮やかな曲。
打楽器のソリストが演奏するソロが本当にかっこ良いのです。
演奏しながらソロを聴いていて感じる何ともいえない颯爽とした格好良さ。
聴きばその爽快感をきっと感じられるはずです。
特に最後の決めの素晴らしさ。
いいですねえ。

そして驚いたのがバイオリンの彼の年齢。
土曜日のソリストが19歳と書きましたが。
今日の彼、同じチャイコフスキーの協奏曲(2&3楽章のみ)を弾く彼はこの4月から高校生!
つまりまだ中学生!
いやはや何ともオジサンは言葉もありません。
凄い時代になったものです。
先生が付きっきりで世話を焼いていた姿はまだ中学生らしいものでしたが。

これからの弦楽器はどんどん低年齢化の傾向に拍車がかかるのでしょう。
凄いなあ。

19歳!

2011-03-07 00:38:38 | Weblog
昨日は大田区のアプリコで本番。
曲目は全部チャイコフスキーという大胆な演奏会。
ハムレットのエレジー、バイオリン協奏曲、白鳥の湖という3曲。

白鳥の湖はオケのすぐ目の前でダンサーが踊るという公演。
オケと客席との限られたスペースなので主役の二人とロットバルト、それに白鳥が8人というメンバーでのステージ。
当然演奏される曲も荒筋に沿った有名な物だけ。
でもやはり音楽と踊りとをきちんと見られるというのは良いもので。
白鳥湖独特の雰囲気はちゃんと再現できるのです。

協奏曲のソロはまだ19歳。
それも昨日がジャストお誕生日。
ゲネプロの時にサプライズでHappy Birthday to Youを演奏してお祝いを。
本当に若い!

その若さが良い方向に出ていた演奏でした。
力強く伸びやかに、陰りも無く気持ちのよい春の太陽のような演奏。
若さ故の危うさとは無縁で、ひたすら前に突き進んでゆく。
それに音の美しさ。
見事な演奏でした。
19歳、これからが本当に楽しみな若手でした。


しかし、ここへ来て花粉が大量飛散。
薬も強い物に変えたし、マスクも手放せないし。
しばらくは辛い日々が続きます。
目もつらいし、何より体が異常にだるい。
これが花粉症の一番の辛いところ。
このだるさ、どうにかならないだろうか。

幸せパワー

2011-03-04 02:28:27 | Weblog


今日はDOCのツアーで出会った二人の結婚パーティー。
飯田橋の会場で夕方から仲間内で盛大にやってきました。

2009年のDOCツアーで出会った翼君とヨッピー。
目出たくゴールインです。
ですからケーキもほら、あの人気者の形でしょ。

会場内にはDOCのツアーに参加したメンバーが多数駆けつけて。
二人を盛大に祝福してきました。

司会はもちろんフランチェスコ。
いやあ本当に楽しいパーティーでした。
二人の幸せが会場中に溢れてましたから。
みんなもそのお裾分けをいただきました。
しばらくその余韻の中で生活できそうです。

彼らの他にもDOCのツアーで出会ってゴールインしたカップルは多数。
毎年、一組づつ増えているのではないでしょうか。
素敵な出会いの場ともなっているDOCのツアーです。

お二人ともお幸せに!

アクシデント

2011-03-03 00:26:02 | Weblog
河津で桜を楽しんだり、沼津ではおいしい魚を食べたりと伊豆のツアーは楽しい事がたくさんありました。
でも一方でオケにとって非常に重大な出来事もおきました。

伊東での演奏会が終わり各自次の公演地である沼津へと移動。
その夜の事、東フィルティンパニー奏者の高野さんが交通事故に遭われたのです。
ホテルからコンビニに向かう横断歩道。
青信号で道を横断中に前方からの右折車にはねられたのです。

幸いなことに命に別状はありませんが。
この世界は体が動かなければ仕事になりません。
打楽器奏者ともなれば両腕を怪我することは命取りにもなりかねません。

左の鎖骨を骨折、肋骨にもヒビ、右膝を陥没骨折、あとは切り傷と打撲。
これだけ痛めつけられれば充分というもの。
救急車で搬送され緊急入院となりました。

しかしツアーはまだ2回の本番が残っています。
急遽東京から代わりのメンバーを呼び寄せてティンパニーを演奏してもらう事となりましたが。
翌日も最終日もゲネプロは30分しか時間がありません。
とても全曲を練習する時間はないのです。
要点だけを説明し後はぶっつけ本番となりました。
ゲネプロが終わってからもコンマスと指揮者がテンポの事などを熱心に説明していましたが。
音を出してみなければ本当の所は掴めません。

しかし急遽駆けつけてくれた幸西(こうざい)氏、見事に2回の本番を成功させてくれました。
本当に助かりました。
オケのピンチを見事に救ってくれたのです。
ありがとうございました。

三島での最終公演が終わってから沼津の病院へ行き、入院中の高野さんを見舞いに。
で、驚いたのがその姿。
聞いていた怪我の度合いからベッドにがんじがらめに縛り付けられているかと思いきや。
何の固定具もしていなくて普通の寝間着姿!
確かに右膝は曲げも伸ばしも出来ずに腫れ上がっていましたし。
左の鎖骨など折れた骨が斜めに突き出していて。
痛みはあるものの見た目はとても重傷とは思えない姿。
今の医療はこうなんですね。
膝は手術が必要な程悪いのですが、それでもそのままだし。
鎖骨も変に固定する事もなく。
傷が治った後々の事を考えて筋肉を固めないようにしているんですね。
ギプスで固定してしまうと本当にリハビリが大変ですから。

膝の手術は東京の病院へ転院してから受けるそうです。
でも全治3か月、それからリハビリ。
楽器を自分で納得の行くレベルで演奏できるまでには長い時間が必要です。
でもエネルギーを失ってはいなかった、あの姿を見て安心しました。

ティンパニーという非常に重要なポストを担っていた一人がしばらく抜けるのです。
メンバーのやり繰りも大変になってきます。
オケ全員で協力して乗り切っていかなくては。



春の先駆け

2011-03-01 00:24:18 | Weblog


伊豆でのツアーも終わり夕べ遅く帰宅しました。
雨が降ったり急に暖かくなったり風が狂ったように吹き付けたり。
そんな自然を感じながらのツアーとなりました。

河津ではちょうど桜祭りの真っ最中。
下田と伊東の往復の途中、2度ここを訪れて桜を見てきました。
伊東から下田へ向かった木曜日はあいにくの雨模様。
下田から伊東への金曜日はこれ以上ない快晴、でも風がもの凄く。
でも金曜日は何しろ暖かく、お花見の人波も凄い流れに。

この日は川の上流、河口から2kmくらいの所を歩きました。
このあたりは川の両側に桜が続きます。
桜の下には菜の花が緑と黄色の帯となって、濃いピンクの桜の帯と対になり春の先駆けを感じさせてくれます。
素晴らしい光景でした。