日々の覚書

MFCオーナーのブログ

二日酔い・断水・棚整理

2005年12月18日 18時05分28秒 | 与太話
今朝目覚めたら、やや二日酔い気味だった(-_-#)

昨夜、とってもフォリナーな忘年会があり(なんじゃそれ)、結構楽しく飲んでいたのだが、でもそんなに飲んだ記憶はない。暮れのこととて、どの店でも1時間半ほどで追い出されてしまった為、珍しく3軒はしごしたのだが、どの店でも滞在時間は短かったから、飲んだ量は大した事ないはずだ。やはり風呂に入らずに寝てしまったのがいけないのだろうか。かなり酔っ払っていても、ちゃんと風呂入ってから寝ると、翌朝の目覚めはいい。本当は、酔っ払った状態で風呂入ると血糖値が急激に上がるので、良くないのだそうだが。

とはいえ、起きてしばらくボーッとしてたら、二日酔いは消えたので、昼飯前に昨日買ってきたCDなんぞ聴いていたら携帯が鳴った。出てみると会社の人からで、「今家にいるなら、棚持ってくぞ」、そういえば、台所で使っていたレンジ棚がいらなくなったので、良かったらあげるよ、と言われていて、有り難く貰う事にしていたのだ。それをこれから持ってきてくれるという。10分後に到着するとの事だったので、着替えてマンション下へ降りていった。そして、ライトバンでレンジ棚到着。二人がかりで部屋まで運び(意外と軽かった)、部屋の隅に置いて貰った。う~ん、聞いてはいたけどデカい。↓こんな感じ。
 
P251iS05891

隣のカラーボックスと比較してもデカいのが分かる。これを何に使うのかというと、収納し切れなくなっていたCDや本を、ここに入れようという魂胆。でも、さすがにレンジ棚、本棚とは勝手が違う(当たり前だ)。棚自体は大きいのだけど、仕切り板がないので、本を並べても上の空間が余ってしまう。さて、どうしたものか。結局、カラーボックスにあった書籍類を全てレンジ棚に移し、カラーボックスにCDを並べる事にした。

昼食後、作業に取りかかる。埃にまみれた本を拭くだけでも大変。しばらく作業してからコーヒーでも飲もうと、やかんに水を入れようとしたら蛇口から水が出てこない。そうだ、今日の午後断水だと貼り紙がしてあったっけ。すっかり忘れてた。しかし、日曜日に断水するかねぇ。ま、やかんには昼にお湯を沸かした時の残りがあったので、それでお湯を沸かしてコーヒーを飲む事はできた。

という訳で、先程いちお作業終了。

P251iS05892 レンジ棚の一番上に雑誌類を収納。上段はレココレ

P251iS05893 カラーボックスはCDの二段積み

作業は済んだけど、積んであったCDや本が棚に納まっただけで、部屋全体が片付いた訳ではないのが、ちと虚しい(爆)


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Happenings Ten Years Time Ago

2005年12月17日 00時31分46秒 | 与太話
12月も半分が過ぎ、2005年も残す所あとわずかだ。うちの会社に関して言えば、年内の営業日は残り7日。秒読みである。ほんと、今年は早かったなぁ。思い返してみると、実に色々な事があって充実していた一年だったと言えるだろう。自分の生涯でも印象的な年として、2005年は長く記憶されるに違いない。

所で、ここ10年で見てみると、印象的だった年が3回ほどある。1995年、1998年、2001年、の3回だ。この時一体何があったのだろう。振り返ってみると、

1995年
この年はなんといっても、阪神淡路大震災であり、オウム真理教である。この年ほど、めまぐるしく新聞の一面を大事件が飾っていた年はないように思う。年が明けてすぐ大震災。当時、神奈川県に住んでいたので、実感としてはやや乏しかったのだが(被災地の皆さんには申し訳ないけど)、テレビや新聞で見る地震のニュースは大きな衝撃だった。地震で家屋が倒壊しても火災保険はきかない、なんて事を知ったのもこの頃で、日本中の人たちが、改めて地震への関心と警戒を深めたのではなかろうか。後年、関西へ移ってきて、神戸の三宮付近へ行ってみたら、地震の痕跡はほとんどなく、その復興のパワーにひたすら感心した記憶がある。
そして、3月に起きた地下鉄サリン事件、それに続くオウムネタの数々。テレビも新聞も雑誌もオウム真理教についてのニュースが流れない日はなく、日本中がオウムウォッチャーになっていた。あの頃、みんなオウムに関してはやたら詳しかったよなぁ(笑) 公衆の面前でのオウム幹部刺殺事件とか警察長官狙撃事件とか、まるで映画でも見ているかのような、ある種非現実的な事件が常に新聞の一面を賑わしていた。うまく言えないけど、ヘンな空気が漂っていたような気がする。何が起きても不思議ではないような。“世紀末になると、人心は不安定になり、その結果宗教が流行る”という言葉を思い出したりしていた。
個人的には、この年の2月初めてエルトン・ジョンのライブを見た事が思い出深い。マジ感動したなぁ(笑)

1998年
この年が何故印象深いか。社会的な出来事とは全く関係なく(笑)、きわめて個人的な事なのだが、この年の5月ついにパソコンを買ってインターネットを始めたのだ。僕個人はこの年を“インターネット元年”と呼んでいるが(笑)、大げさでなく、この年を境に僕の人生は変わってしまった。毎日会社へ行って適当に仕事をし、休日は好きな音楽に浸る生活を何年も続けていた僕が、新しい世界を知り新しい友人を得て新しい活動を始めた、そういう年なのだ。ある意味殻を破ったというか壁を乗り越えたというか。だいたい、30も後半になってから、仕事以外で新しい知り合いが出来るなんて、考えた事もなかった。元々そんな社交的でもないし。所が、インターネットを始めた事によって、同好の士と何人も知り合いになり、これまでとは全然違う方向へ僕の世界が広がり始めたような気がする。この年の暮れ、ネットを通じてしばらくご無沙汰していたバンド活動も再開した。今の僕のほとんどは、この年から始まっている。ただスタジオで音を出すだけではなく、ライブを目的としたバンド活動は、後のFIREWALLやFOREFINGERといったバンドに繋がっていくし、この翌年には自身のホームページを開設するに至った。実は、当サイトでもお馴染みの忍者さんと知り合ったのもこの1998年なのだ。本当に、僕の第二の人生のスタートの年と言っても、過言ではないかも(笑)

2001年
この年も色々あったよ。出会いも別れもあった(笑) FIREWALLも年間4回もライブをやったりして、活動のピークだった。横浜FCはこの年からJ2に昇格したし。人間関係に嫌気が差して、本気で会社を辞めようと考えていた年でもある。つまり、私生活は好調だったけど、仕事(会社)面では最悪だったという訳ね。会社を辞めようと決心しただけで、こんなに気持ちが軽くなるものなのか、と驚いたものだ(笑) ま、最終的には会社を辞めるのは思いとどまり(この時点で僕は負け犬となった)、辞令を受けて秋から関西へ来た訳なのだが、これは一応正解だったと言える。正にターニング・ポイントと言っていい年だった。

ま、今年も含め印象に残る年も多く、思い出深い10年だったと言っていい。波瀾万丈とは言えないが(爆) 来年以降も印象に残る年が続けばいいなぁ、と思っている。あ、それと、記事タイトルはもちろんヤードバーズの曲名からで、大した意味はない。僕にとって、この10年は決して“幻”ではなかったしね(笑)

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ホントに名盤?-歴史的名盤を検証する-

2005年12月11日 16時04分44秒 | 音楽ネタ

ロックが誕生して今年で50年だそうだ(ロック元年をいつとするかは諸説あるようだが、近頃ではビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットした1955年を元年とするのが一般的らしい)。新しい物の代表であったロックも、今や立派な古典となってしまったという訳。となると、名盤を紹介したりロック史を振り返ったりする、いわばガイド本みたいなのが数多く出版されるのも当然なのだが、そういったガイド本で必ずといっていいほど“歴史的名盤”として紹介されているアルバムがいくつかある。ただ、時々そういうのに対して疑問を持ってしまう事もある訳で、今回はその“歴史的名盤”に茶々を入れてみたい(笑) ガイド本の類を参考にしてCDを買う若い人も多いと思うし、そういった人たちに偏った情報を与えるのは良くないのではないか、という気持ちもある(爆) やはり、色々な意見や情報があり、それらを吟味してから決めるのが一番だ。という訳で、“歴史的名盤”という世間の評価に疑問を呈してみるのだが、決して「これ嫌いだから」というネガティブな見解で書いているのではない事を分かって頂きたい(爆)

SGT Peppers Lonely Hearts Club Band/The Beatles
SGTPeepers

このアルバムの功績は、いわゆる“コンセプト・アルバム”という概念を定着させた所にある。ローリング・ストーン誌はこのアルバムが出た1967年を“ロック・アルバム元年”と位置づけ、20年後に「ロック・アルバム100選」という特集を掲載したが、堂々の一位はやっぱり『サージェント・ペパーズ』だった。確かに重要なアルバムと思う。これ以後皆こぞってコンセブト・アルバム(もどき)を作り始め、もしかしてプログレの概念もここから始まったのでは、なんて事も考えてしまう。スタジオ内で次々と湧いてくるビートルズのアイデアを具現化するため、4トラックのレコーダーを2台同期させて8トラックにする機械まで作ってしまった、なんてエピソードも、このアルバムの凄さを物語っている。けれど、本作はビートルズの全アルバム中最も“楽曲の出来よりもアイデアの方が上回っているアルバム”なのである。スタンダード的な名曲といったら、せいぜい「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ~」と「ルーシー・イン・ザ・スカイ~」くらいだろう。楽曲のレベルは(ビートルズにしては)落ちるけど、それを斬新なアイデアとコンセプトで補ったアルバム、というのが正しい評価ではなかろうか。ま、そういうアルバムなんだからいいんだ、と言われてしまえばそれまでだが。

Pet Sounds/The Beach Boys
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その『サージェント・ペパーズ』に大きな影響と刺激を与えた、といわれるのが本作。ビーチ・ボーイズというと、どうも悲劇のバンドというイメージがついて回るが、そのきっかけとなったアルバムではなかろうか。実際、ブライアン・ウィルソンが自信を持って作り上げた本作がメンバーにもレコード会社にも不評で、次作『スマイル』で挽回を計るも結局未完成のまま挫折し、結果精神を病んだブライアンはまともな活動はしなくなり、他のメンバーでなんとかバンドは続けていくものの、ジャック・ライリーやらユージン・ランディやらの悪役も登場して展開される波瀾万丈のバンド・ヒストリーは、失礼ながら大変面白いし興味深い。そういったインサイド・ストーリーがあるものだから、余計にこの『ペット・サウンズ』は悲劇の名盤扱いされるのではないか。特に後追いの人たちにとっては。確かにいいアルバムではあるが、ややマニアックな雰囲気もあり、決して一般に幅広く受け入れられるアルバムとは言い難いような気がする。特に、サーフィンヒットを連発していた当時のビート・ボーイズのアルバムとしてはイメージチェンジもいい所で、そりゃレコード会社だって素直にうんとは言わないだろう。このアルバムをリアルタイムで体験した人の話も、よく聞いてみるべきかも。

Exile On Main ST./The Rolling Stones
ExileOnMainSt

今はどうか知らないが、かつてストーンズのセッションはだらだらと続く、というのは有名だった。ミック・テイラーもそれがイヤで辞めたという話だ。実際に現場にいた訳ではないので何とも言えないが、このアルバムを聴いてると、そのダラダラセッションというのは本当なのだ、と思えてくる。決して悪くはないのだが、2枚組で曲数が多いせいか、散漫な印象を与えるのだ。途中で飽きてくるというか。曲の出来にも差があるし。冒頭の「ロックス・オフ」や「リップ・ディス・ジョイント」は文句なしにカッコいいのだが、段々だれてくる。「スイート・バージニア」とかいい曲はあるんだけど。この頃のストーンズが一番良かった、という声も多いけど、このアルバムはいただけない。南部的アプローチのストーンズを聴くのなら絶対『スティッキー・フィンガーズ』を推すね。

All Things Must Pass/George Harrison
AllThingsMustPass

ビートルズ解散後、いち早く成功を収めたのはジョージだった訳で、本作は3枚組というボリュームにもかかわらずベストセラーとなった。数年前にはセンチュリー・エディションなんてのも出て、名実ともにジョージの代表作とされているが、どうもジョージらしさは稀薄な気がする。音的には当時イギリスで流行りだったというスワンプ風、プロデューサーはあのフィル・スペクター、レオン・ラッセルやエリック・クラプトンといったゲスト陣も豪華、と話題性だけは十分なんだけど、そういった物にジョージ自身の持ち味が消されてしまっているように思えるのだ。タイトル曲や「イズント・イット・ア・ピティ」なんかに感じられるだけ。ジョージ本来の持ち味は他のアルバム、例えば『リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』『ジョージ・ハリスン帝国』『慈愛の輝き』といったアルバムの方によく表れていると思うのだが、どう思います?

Layla And Other Assorted Love Songs/Derek And The Dominos
Layla

一応、デレク&ドミノスというバンドのアルバムだが、世間ではエリック・クラプトンのアルバムという認識だろう。「いとしのレイラ」という強烈な曲があるせいで、非常に評価が高いアルバムだが、南部のロックに接近したクラプトンの新境地という一般の評価には首をかしげる。本作は2枚組で、例の「いとしのレイラ」はD面に収録されているのだが、この面以外は基本に忠実なブルースで、言うなれば「いとしのレイラ」は異色な曲なのだ。確かにこの曲、無茶苦茶カッコいい。ロック史に残る名曲だろう。けど、それをアルバムの評価にまで引っ張っていくのはちと強引だ。南部に接近した云々、というのなら後の『ノー・リーズン・トゥー・クライ』や『スローハンド』をもっと評価するべきだろう。何故本作ばかりがもてはやされるのか。それはやはり「いとしのレイラ」があるからだ。親友の妻への恋心を歌う、というスキャンダル性も十分なこの曲、フツーのブルース・アルバムを歴史的名盤の域にまで持ち上げてしまった。

Goodbye Yellow Brick Road/Elton John
GoodbyeYellowBrickRoad

この頃(70年代半ば)のエルトンは正に飛ぶ鳥落とす勢いだった。そんなエルトンを象徴するアルバムと言っていいだろう。実際ベストセラーになり人気も高い。タイトル曲や「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」のような後世に残る名曲も生んでいる。だが、ここでのエルトンはエンタテインメント性十分といえば聞こえがいいが、ちょっとはしゃぎ過ぎ。色々なタイプの曲を詰め込み、派手なアレンジを施して、却って中途半端になっているように思えてならない。次作の『カリブ』にも同じ事が言える。確かに楽しく聴けるアルバムではある。でも、完璧なまでの詩情と美しさに満ちた『キャプテン・ファンタスティック』にはとてもかなわない。

という訳で、“歴史的名盤”を僕なりに検証してみました。また敵を作りそう(爆) こういう企画の場合、本来なら、『クリムゾン・キングの宮殿』や『狂気』『ジギー・スターダスト』『レッド・ツェッペリンIV』といったアルバムも俎上に上げなければいけないのだろうけど、これらのアルバムについては、“歴史的名盤”という世間の評価にも納得しているので取り上げません(爆) 結局は好みかい! ま、それはともかく、これから色々聴いてみようという皆さん、歴史の長いアーティストになればなるほど、様々な作品を作っているものなので、決して一枚だけ聴いて納得したりしないようにお願いしたい、とオジサンは思うのです(笑)

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豚汁考

2005年12月10日 00時42分19秒 | 与太話
寒くなってきた。本格的に冬なのである(今頃何を...-_-#)

で、この時期になると、突如巷に溢れ出すのが、おでんと豚汁である。もちろん、このどちらも夏でも食べれるのだが、何故か寒くなると、あちこちのコンビニや定食屋で一斉に「冬季限定」メニューとして登場する。すっかり冬の風物詩というか定番になってしまっている訳だ。

僕は、おでんはどうでもいいが(笑)豚汁は大好きだ。なので、この季節になると豚汁を食べる事が多くなる。で、毎年思うのだが、豚汁って食べる所によって全く変わってしまう食べ物だ。家庭だろうが食堂だろうが、どこで食べても同じ物が出てきた事がない。作る人によって、全く違う物になる。でも、どれも豚汁なのだ。考えてみると、とても不思議な事ではなかろうか。どんな料理でも、作る人の好みによって違いが出てくるけど、基本線は同じのはずだ。ラーメンだって麺が細いとか太いとか、醤油とか味噌とか豚骨とか様々なパターンがあるではないか、と言われてしまいそうだが、絶対に変わる事のない基本線がある。これをやってしまったらラーメンとは呼ばない、というルールがあると思うのだ。けど、豚汁はそうでもない。具だって味付けだって全く違ってしまう。豚汁と言いながら牛肉が入っているのだって食べたことあるし。何故、豚汁はそういった制約がないのか。

そういう食べ物こそ、「○○家に代々伝わる豚汁はこれだ!」みたいなのが厳然として存在するのだろうか? 違う環境で育った男女が一緒に暮らし始めた時、料理で対立するというのはよく聞く話だけど(お雑煮とかね)、豚汁を巡ってケンカになったりしないのか? 「なんで豚汁に糸こんにゃくが入ってないんだ」「そんなの邪道よ」「なんだと、ねぎを入れる方がよっぽど邪道じゃないか」なんて。世間で認められた、はっきりとした形が曖昧なだけに、余計にその溝は深いような気もする。この豚汁とあの豚汁は違うものだけど、でも豚汁である事には変わりはない、それだけにどちらも一歩も譲らないような。下手すると離婚に繋がってしまう。うむ、そう考えると罪作りだなぁ、豚汁って。

参考までに、僕の母がよく作っていた豚汁は、合わせ味噌で、具は豚肉の他、さつまいも、さといも、ごぼう、人参、こんにゃく、長ねぎ、といった所で、大きめにカットしてあった。根菜ゴロゴロがポイント。で、2~3日前に近所の定食屋で食べた豚汁は、合わせ味噌味は同じだけど、具は豚肉、人参、たまねぎ、じゃがいも、ごぼう、などで細かく刻んであった。その他、場所によってはまるで肉じゃがみたいだったり、ただの味噌汁みたいだったりするし、ポトフじゃねぇ~か、なんて豚汁も食べた事ある。魚が入っていたのもあった。ほんとに、色々なパターンがある。人生いろいろ、豚汁もいろいろ。

でもやっぱり、豚汁は美味い。冬の楽しみは、誰が何と言っても豚汁だ(笑)

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Ian Anderson Special Message

2005年12月07日 22時32分41秒 | 音楽ネタ
今日も仕事帰りに夕食を済ませてからプラプラと帰宅して郵便受けを覗くと、そこに「冊子小包」と書かれた封筒が。なんだろう、と手にとり差出人を見ると、なんと“東芝EMI株式会社”とあるではないか! 全く心当たりもなく、部屋に戻ってそそくさと封を切ると中から出てきたのは...

IanAndersonSpecialMessage1 IanAndersonSpecialMessage2

なんと、これは『Ian Anderson Special Message CD』ではないか! そうだ、思い出した。今年の4月、来日を記念してジェスロ・タルの旧譜が再発され、それらのCD帯に付いている応募シールを集めて送ると、抽選でスペシャルなCDが当たる、というキャンペーンがあったのだ! で、僕もそれに応募したんだった。でも、すっかり忘れてたよな。なにせ、締め切りは6月末でもうかれこれ半年も前のこと。元々くじ運の悪い僕は、応募ハガキをポストに投函すると、そのまま忘れてしまったのだ。まさか、当選するとは...それにしても遅過ぎないか? くどいようだが半年経ってるぞ。確かに、同封されていた東芝EMIからの手紙にも「大変遅くなりました」とは書いてあるけど(笑) 当選した喜びも半減だな、これじゃ。

と文句を言うのはこれくらいにして(笑) このCDの内容はというと、特にどうって事はないかもしれない(おいおい) イアン・アンダーソンが日本のファンに向けたメッセージが収録されているだけだ。けど、そのメッセージが、なかなかにアンダーソンらしくて、ちょっと微笑ましい。普通、この手のメッセージは、「いつも暖かく迎えてくれる日本のファンに大変感謝しています」とか「また日本へ行けると思うと楽しみでなりません」とか、正に日本のファンが喜びそうな事を言ってご機嫌をとる、ってのがほとんどだが(ミュージック・ライフのインタビュー記事を思い出して欲しい)、さすがアンダーソン師匠、自分とバンドメンバーの紹介に始まり、近況報告、リマスタリング作業中の旧作についての宣伝、と続いて媚びるような事は何一つ言わない(笑) もちろん、目前に迫った来日の事には触れていて(このメッセージが録音されたのは、今年の3月らしい)、日本へ行くのは今回が初めてではない、なんて分かり切った事をのたまっている(笑) 初めて日本を訪れた時、我々は風変わりなバンドだったから、日本のファンは火星から来た者のように我々を見ていた、なんて事も言ってる。でも、その際に経験した新幹線や和食は、いい思い出になったらしく、今でも週に一度は和食を食べるそうだ。

最後の方で、古くからのファンも新しいファンも是非我々のコンサートを楽しんで欲しい、と言っている。タルと同世代のバンドたちが活動している間に一度は見ておいた方がいい、皆いつ死んでもおかしくないし、そうなってからでは遅いのだから、なんて発言するに至っては、ほとんど脅しだ(爆) ま、やっぱり皮肉屋なんだね。さすが英国人というべきか。

所が、このスペシャルCDはこれだけでは終わらないのだ。最後の最後に、なんとアンダーソンのアコギの弾き語りによる「マザー・グース」が収録されている。これこそ、究極のファンサービスであろう。多くのファンは言葉なんかより音楽を伝えてくれる事を望んでいるのだ。近頃、プロモーションで来日して、テレビで喋りまくって一曲も歌わずに帰る外タレが多くて辟易するが、イアン・アンダーソンはやはり違う。分かっている。さすがだね。

という訳で、年の瀬に思わぬサプライズでした。携帯で撮ったんで、写真が小さくて見にくいな。申し訳ないです。


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