2~3日前、出張先で立ち寄った店でビールを飲んでいた。そこでは地元のFMを流していて、聞くともなしに聞いてると、そのうちラジオドラマが始まった。タイトルは「Someday」。内容はこんな感じ。
オレは、昔不良だったけど、四十路を迎えた今は、親の跡を継いでパン屋を経営し、堅気な生活をしている。そんなある日、家に古い友人から電話がかかってきた。かつての不良仲間、奴がこの街を出て行ってから、もう20年も会っていない。駅前の居酒屋にいるから来てくれ、と言う。相変わらず強引な奴だ。仕方ないので、行くと答えて電話を切ったけど、不安が胸に広がる。20年ぶりに電話をかけてきて、一体何の用なんだ。また、ヤバい話に引きずり込もうとしてるんじゃないだろうな。
と、なんとなくイヤな感じを抱えながら、居酒屋の扉を押す。おや、奴はどこにいるんだ? と、その時、奥のテーブルにいたサラリーマン風の男が片手を上げた。奴だ。あれ、昔と全然違う。お前も堅気になったのか?
「久しぶり。オレも昔はワルだったけど、今は真面目なサラリーマンなんだ」
「そうか、それは良かった。で、今日は急に何の用なんだ?」
すると、奴は鞄から封筒を取り出して、テーブルに置いた。空けてみると、一万円札が数枚入っている。
「なんだ、これ?」
「ああ、この街を出る時、お前に借りた金だよ。いつか返そうと思ってたけど、遅くなっちまった」
思い出した。確かに金を貸した。けど、忘れていた。しかし、意外だなぁ。
「いつか、と言ってるうちに20年か」
「申し訳ない。それにしても、あの頃のオレらって、口を開けば“いつか”“いつか”ばかりだったよな」
そうだった。二言目には“いつか”ばかりだった。“いつか、いい女を見つける”“いつか、がっぽり稼ぐ”、なんの根拠もなく、いつかはいい事がある、となんとなく思っていた。あの頃は若かった。オレたちにも未来があった。でも、今は...
いや、いつか、またこうして古い友人と笑って酒が飲めるだろう。いつか、また楽しい事があるだろう。いつか、きっと。オレたちはまだ終わっちゃいない。
とここで終わり。そして、佐野元春の「Someday」がフェイドインしてくる、という訳。
「Someday」...間違いなく、佐野元春の代表曲だ。この曲が出たのは1981年頃だったかな。
僕は佐野元春は好きだが、この「Someday」という曲は好きではない。つーか、当時、佐野元春自体も好きではなかった。この曲を初めて聴いた頃、僕は19才か20才。以前にも書いたけど、17才くらいまでは自分には明るい未来がある、と漠然と思っていたが、その後ガールフレンドには振られるわ、大学受験には失敗するわで、20才になる頃には、明るい未来なんて信じられなくなっていた。今思えば、またまだ若いのだから、可能性は大いにあったのだが、あの頃はそんな気分ではなかった。そんな時に聴いた「Someday」が、嘘くさく感じられたのも無理はあるまい。
ご存知のように、この「Someday」、簡単に言ってしまうと、今はツラくても、いつかきっと良い事があるから、それを信じて頑張ろうよ、という内容の歌であって、さしたる理由もなく、いつか良くなる、なんて言われても、自分の未来は決して明るいものではない、となんとなく感じ取っていた僕には、ちっともリアルじゃなかったのだ。単に、キレイごとを並べてるだけのように思えた。60年代風のサウンドであったが、そこがまた僕には嘘くさかったのだ。こんなの聴いて喜んでいるのは、よほど脳天気な奴らだけだ、と思っていた。当時の僕は、佐野元春よりRCサクセションやオフコースの方に、リアリティを感じていたのだ。僕自身が、佐野元春に対する認識を改めるのは、1984年のアルバム『Visitors』を聴いてからである。
あれから25年以上、佐野元春は相変わらず、「Someday」を歌い続けている。今でも、この曲はあまり好きではないが、昔とは違った感覚で聴けるようになった。佐野元春も分かっていたのだろう。“いつかきっといいことがある”なんて、妄想に過ぎないって事を。若い時は、明るい未来があるような気がしてるけど、年を取れば現実をイヤという程知らされる。その時、“いつか”なんてのは、若さゆえの幻想だったのだと、皆気づく。けれど、そういう現実を知りつつ、佐野元春はあえて“Someday”を歌い続けた。“いつか”なんて妄想かもしれない。だけど、妄想じゃないかもしれない。生きているうちは、“いつか、きっと”という希望を捨てないようにしよう。常に前を向いて生きていこう。陳腐ではあっても、彼はそう訴えたかったのだろう、と思う。
また、佐野元春は、自分への落とし前として、「Someday」を歌い続けているのだ、という気もする。その時の心情に正直な歌を作るシンガー・ソングライターの場合、40才になったら20才の時の歌は歌えないだろう。フツーは、20才と40才では、心境に変化があるからだ。かつて、尾崎豊が若者のリアルな代弁者として、カリスマ的な人気を誇っていたが、彼がまだ生きていたら、「十七歳の地図」や「卒業」を歌うだろうか。歌えないんじゃないか、と思う。リアルじゃないからだ。このように、年を取ると昔の歌を歌わなくなる人も多いと思う。そして、それは場合によっては、ファンに対する裏切りとなる。けれど、佐野元春は「Someday」を歌い続ける。自分が作り世に送り出した歌だからこそ、そして多くのファンに愛されている曲だからこそ、決して封印したりしない。当時とは気分が違うから、なんて絶対言わない。自分は今も変わらないのだ、とファンに身をもって示すために歌い続けている。その姿勢が潔いと思う。「Someday」は単なる懐メロではない。
10年ちょっと前だが、佐野元春の武道館ライブの映像をテレビで見ていたら、「Someday」が始まった瞬間、観客が立ち上がり、皆で歌い出したので驚いた事がある。佐野元春自身は全く歌わず、観客だけに任せていた。カメラが客席を移すと、サラリーマン風がかなり目立った。決して、若い人ばかりではなかった。彼らは、それこそ少年少女の頃に「Someday」を聴いて感銘を受け、以来佐野元春のファンであり続けたのだろう。もしかすると、社会の荒波に揉まれる中で、「Someday」こそが拠り所だったのかもしれない。アンセムのように「Someday」を歌う彼らの姿を見ていると、ジーンとくるものがあった。たかが歌されど歌。長い間「Someday」を聴き続け、そのメッセージを年齢と共に噛みしめてきたファンに対して、佐野元春は「もう、この曲は歌わない」なんて、突き放すことはしない。武道館で「Someday」を合唱する観客、それをステージから見つめる佐野元春。場内が正に一体となった、本当に感動的な光景だった。
20才のときとは違い、今なら僕も“いつか、きっと”と思える。いや、40を過ぎた今だからこそ、“いつか、きっと”と思い続ける事が大事なのだ。確かに今までの人生、ろくなことはなかった。けど、この先はいい事があるかもしれない。ちっとくらい希望持ってもいいだろ。“つまらない大人にはなりたくない”とは、こういう事なんだ、となんとなく感じたりなんかしてる。
と、こんな思いにふけっていたら、いきなり携帯が鳴って我に返り、慌てて席を立ったのだった(笑)
例えば、会社で得意先のお偉いさんにヘラヘラしてて~電話切った途端に「チョロいもんだ」みたいな風景を見てると…
必ず浮かんでくるフレーズ
「つまらない大人にはなりたくない!」
~ スターダスト・キッズより
社会人になって、幾度このフレーズを心の中で叫んだ事やら。
「Some day」然り。今でも、当時のまま何も違和感も無く共感を持って歌えるのですわ。
それは今の自分が「その日」に辿りついたワケじゃないかも?でも「いつの日か」辿り着ける夢を捨てない大人が、それだけ居るって事だと思うよお。
上手く言えないけど。。。
くりたんた。は、いくつになっても「つまらない大人」にはなりたくない!これだけは、ずっとずっと忘れないで行きたいです。・・・って、今日はフレ様の命日だから~~~オーナーさんには、フレ日記を書いて欲しかった。つううか、今日書いて(笑)。
友人から、「佐野元春」という
聞いた事ない名前のミュージシャンの
曲を、初めて聴かされた。
♪パーティーライトに
シャンパングラス
シェイキ シェイキ シェイキ
イッツ・ア・フライデーナイト
(歌詞はウロオボエです。^^;)
「ナイトライフ」ってタイトル
だったでしょうか。
♪髪を整えたらタクシーで
11時までに、
ウィ・ゴンナ・バック・ホーム
才能を感じさせるメロディラインも
さることながら、歌詞をこんな風に
メロディに乗せるんかい!って
大層、驚いたのをよく覚えています。
こりゃまた凄い奴が出てきたぞ、と。
当時の歌詞には佐野さん意外にもこういったメッセージが多かったですね。
その頃中学生だった私は、つまらない大人の意味もわかりませんでした。
尾崎豊氏は私と1つ違いなので、リアルタイムで歌詞を意識しましたが、たしかに今生きていたとしても、42歳になった彼はこの曲は歌えないんじゃないかって思います。
>社会人になって、幾度このフレーズを心の中で叫んだ事やら。
>「Some day」然り。今でも、当時のまま何も違和感も無く共感を持って歌えるのですわ
なんというか、若い頃に共感したフレーズが、今でも有効だという所に、佐野元春の凄さを感じます。
>でも「いつの日か」辿り着ける夢を捨てない大人が、それだけ居るって事だと思うよお。
この場合、辿りつくのが目的なのではなく、そう思い続ける事が大事なのですね。夢云々というより、遙かに現実的なものです。早い話、そうでも思わなきゃやってられないよ、ってな感じでもあるのですが(笑)
>今日はフレ様の命日だから~~~オーナーさんには、フレ日記を書いて欲しかった。つううか、今日書いて(笑)。
今日、例の京都のイベントに行きますよ^^ フレディについては、皆さん書くでしょうからね...どうしましょう?(笑)
♪喜楽院さん
>才能を感じさせるメロディラインも
>さることながら、歌詞をこんな風に
>メロディに乗せるんかい!って
>大層、驚いたのをよく覚えています。
>こりゃまた凄い奴が出てきたぞ、と。
その歌詞の乗せ方が、当時は好きでなかったんですが^^;、それまでいそうでいなかった、新しい才能であったのは確かです。しかも、一過性のものに思えた楽曲が、今でもその魅力を失わないとは...佐野元春、やっぱ凄い。
♪にゅーめんさん
>その頃中学生だった私は、つまらない大人の意味もわかりませんでした
実を言うと、僕は今でも分かってません(笑) 自分は「つまらない大人」なのかどうか、自問しながら老いていくのでしょう。それもまた良し、かな^^;
>42歳になった彼はこの曲は歌えないんじゃないかって思います
僕もそう思います。同じように、若者の共感を呼ぶ歌詞でありながら、佐野元春と尾崎豊の決定的な違いは、ここにありますね。