日々の覚書

MFCオーナーのブログ

想い出のアルバム-OFF COURSE LIVE

2009年05月05日 23時02分04秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Offcourselive

Live/オフコース(1980)

Disc1
1.愛を止めないで
2.Run Away
3.恋を抱きしめよう
4.雨の降る日に
5.思いのままに
6.風に吹かれて
7.汐風の中で
8.失恋のすすめ

9.老人のつぶやき
10.さわやかな朝を迎えるために
11.Chili's Song
Disc2
1.歴史は夜つくられる

2.君を待つ渚
3.SAVE THE LOVE
4.生まれ来る子供たちのために
5.さよなら
6.のがすなチャンスを
7.愛を止めないで
8.僕の贈り物

先日、RCサクセションの事を書いたが、RCと言えば、忘れてならないのがオフコースである。ま、別に深い意味はなく、この2バンドを同時期によく聴いてた、というだけなんだけど(笑)

とはいえ、この2バンド、フォーク寄りのグループとしてデビューしエレキ化(バンド化)してからブレイクしたこと、メジャーになるまでデビューから10年近くかかっていること、といった共通項もある。僕からすると、ライブでの演奏力の高さ、リアルな歌詞、いった点でも共通するバンドだ。ついでに言うと、世間では、RCサクセション=忌野清志郎がいたバンド、オフコース=小田和正のいたバンド、という捉え方をされている点でも共通している。

オフコースは、1969年のヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト全国大会で第二位となり(ちなみに、この時の一位は赤い鳥だったそうな)、翌1970年にデビューした。当時は3人組だったが、2年後に小田和正と鈴木康博の2人となり、この双頭体制は10年間続く。1979年には5人組となり、その年の12月に発売した「さよなら」が大ヒットして、人気バンドにのし上がった。今思い出しても、凄まじい人気だったとしか言いようがない。当時の武道館連続公演の記録を作り、NHKでレコーディングの模様をとらえたドキュメンタリーまで放送されたくらいで、正に社会現象。そういえば、僕の妹も当時オフコースのファンだった(笑) その後、鈴木が脱退し、4人組となって活動を続けるが、1989年に解散。理由はメンバー間での金銭トラブルと言われている。

僕が、オフコースを聴くようになったのは、友人がやってたオフコースのコピバンのヘルプを頼まれたのがきっかけだ。1981年の春頃だったか、そのバンドのドラマーがケガをしてライブが出来なくなったので、代打を頼まれた訳だが、その時初めてちゃんとオフコースを聴いた。正直言うと、女子供がキャーキャー言ってるだけの軟弱なバンドに違いない、とややバカにしていたのだが、渡されたテープを聴いて、その認識が誤っていた事を悟った。彼らは、立派なロックバンドだったのだ。

その事をきっかけに、僕はオフコースに興味を持ち、あちこちからLPを借りて聴きまくった。もちろん、妹にも何枚か聴かせて貰った(笑)。彼らが80年代前半に出したアルバムは一通り聴いたが、一番よく聴いてたのは、おそらくこの『Live』だろう。LPでは2枚組だった。

いや、とにかく、優れたライブ盤である。なんといっても、演奏が見事。当時人気だったTOTOやエアプレイといったバンドに影響されたと思われる、タイトなAOR風の音を聴かせている。5人(4人?)でコーラスもバッチリ決めてるのも素晴らしい。もちろん、ライブならではのノリも十分。ヒット曲だけでなく、ライブをメインとした選曲がされているのもよろしい。アコースティック・セットやドラムソロも入れて、バラエティ豊かな構成になっているのもナイス。演奏レベルも臨場感も選曲も文句なし、RCの『Rhapsody』に勝るとも劣らない素晴らしいライブ盤なんである。

オフコースと言えば、小田と鈴木の双頭バンドであるのは、知る人ぞ知る事実であり、アルバムなども2人の曲が半々、という構成になっているのだが、シングルになるのは小田の曲がほとんどだった為(小田A面、鈴木B面というケースが多かった)、一般的には、前述したように“オフコース=小田和正”というイメージが強い。しかし、実際には2人の似てるようで実は異なる感性のバランスの上にオフコースは成り立っていたのであり、それはベスト盤やシングル・コレクションを聴いてるだけでは分からない。特にライブである。小田の曲に比べると、ギターをアレンジの中心に据える鈴木の曲はロック的であり、ライブ向きでもある。この『Live』でも、「Run Away」「恋を抱きしめよう」「歴史は夜作られる」「SAVE THE LOVE」「のがすなチャンスを」あたりは鈴木の曲であり、ロック的ノリと緻密な演奏は、間違いなくライブのハイライトになっている。特に「SAVE THE LOVE」、なんと7分を越す大曲であり、凝った曲構成にドラマティックな展開、ギターソロもふんだんに聴けて、これがあのオフコースなのか、と驚く人もいるだろう。鈴木は、次作『We are』でも「一億の夜を越えて」という、これまたカッコいい曲を書き、ライブでも盛り上がる曲となっている。こういう鈴木によるロックバンド的側面があるからこそ、小田の曲も生きるのだ。全編小田の曲だけでは、最後まで聴いてられないかも(実際、末期オフコースがそうだった)。

そういった、小田と鈴木のバランスが程よく取れていた時期であり、またオフコース自体もブレイクしてノリにノッていた頃のライブ音源な訳で、悪かろうはずがないのである。この後、人気絶頂の1982年に鈴木は脱退するが、やはり小田とのバランスが崩れ始めていたのだろう。脱退後の鈴木のソロ作品など聴くと、特にオフコース時代と音楽性が変化した様子はなかったので、単にもっとギター弾きたい、という理由だったりして(笑)

確かに、ちゃんと聴いてみるまでは、僕もオフコースを軟弱と決めてかかていたが、よく聴けばそうではない、というのは分かる。前述したが、バンド化してからのオフコースは、AOR的な音を志向していたし、それはビル・シュニーにミックスを任せたことでも明らかだ。ま、AORという時点で軟弱だ、という人もいるだろうが(笑)、オフコースはしっかりとしたポリシーのもと、レコードを作っていたのは間違いない。少なくとも、姿勢の上では軟弱なんかではないのだ。もちろん、出来上がった作品も。

オフコース、特に小田の曲は女々しいから嫌い、と言う人も当時は多かった。そうかもしれない。けど、男だって本音の部分では、十分女々しいのだ。それを隠したり、取り繕ったりせず、小田はストレートに表現していただけの話であって、逆に言えば、これ以上リアルなものはない。男は人前で泣いちゃいかん、というのは単に個人のポリシーに過ぎず(笑)、男の本音をさらけ出した小田の歌詞は、実にリアルなのであり、男だって共感するのである。このあたり、忌野清志郎にも通じるものがあるように、僕は感じていた。女々しい云々ではなく、本音をさらけだす、という点に於いてだけど。

オフコース=小田和正、というイメージは、ソロ転向後の小田と鈴木の活動の差によるものも大きいかもしれない。しかし、それは間違った認識と思うので、オフコース=小田和正、だと今まで思ってた人、その認識を改めるためにも、是非この『Live』聴いて頂きたい。

そういえば、小田と鈴木、それぞれがオフコース時代の曲をリメイクしたアルバムを出してたなぁ。機会があったら聴いてみたいものだ。出来れば、2枚続けて聴きたいな(笑)

あ、ここで、参考までに、前述の僕が代打で参加したオフコースのコピバンが演奏していた曲はというと

SAVE THE LOVE
さよなら
思いのままに
のがすなチャンスを
Yes-No

その時の演奏を録音したカセットのレーベルを見ると、こうなってる。5曲だっけ、意外と少ないな。ドラムソロもやりましたです、はい(笑) あ、もちろん、今となっては、恥ずかしくて聴けないっす(爆)

コメント (5)
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