いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

ロンドン五輪・・・選手諸君。もういい加減「国民に夢を与えたい」とは言わないでもらいたい。

2012年07月14日 23時20分42秒 | 日記

 ロンドン五輪が、あと2週間と近づいてきました。
 五輪は、いつでも、わくわくします。

 しかし、今回の五輪は、がっかりすることが多いのです。

 すでに何度か書いているので、もうあまり書きたくないの
ですが、書かざるをえません。
 五輪に出場する選手が、次から次へと、
 「日本に夢を与えたい」
 「見ている人に夢を与えたい」 
 というのです。

 以前は、そうですね、北京五輪のころは、こんなことを
言う選手は少なかったと思います。
 きっかけは、去年3月11日の大震災だったような感じ
がします。
 震災で被災した人に「夢を与えたい」ということから、
言うようになったのではないかと思います。

 しかし、「夢を与える」という言い方が、どれほど
「上から目線」であるか、選手たちに、気がついてほしい
のです。

きょう、テレビでニュースを見ていたら、女子体操の選
手が五輪への抱負を聞かれ、笑顔で、
 「夢を与えるような演技をしたいです」
 と答えていました。

 笑顔で答えていましたから、悪気はまったくないのでしょう。

 しかし、五輪の大舞台で、床運動や平行棒の演技に臨む
とき、体操の選手は、
 「夢を与えるような演技をしたい」
 と思うはずがないでしょう。
 
 演技に臨むときは、きっと、

 失敗しないかなとか、
 失敗したらどうしようとか、
 うわー、緊張してきたとか、
 平行棒から落ちないようにとか、
 着地が決まるようにとか、
 なんとか成功したいとか、

 そう思っているはずです。

 これからメダルをかけて、床運動をスタートするという
とき、夢を与えるような演技をしようなどと思って演技を
する選手は、いないでしょう。
 いたら、おかしいですよ。

 そしてなによりも、「夢を与える」という言い方は、傲
慢で、えらそうな言葉で、上から目線の言い方です。

 大きなお世話です。
 
 どうして、そんなことに気がつかないのでしょう。

 「夢を届けたい」というのなら、まだしも、分かります。
 それは、相手と同じ目線に立っています。
 しかし、
 「夢を与える」というのは、相手より上の目線でモノを
言っています。

 正直にいえば、「私は国民に夢を与えたいです」と抱負
を語る選手の試合は、見たくないですね。
 本当に、大きなお世話です。

 昨日は、10代の選手が、やはり、抱負を聞かれて、
 「夢を与えるような試合をしたいです」
と答えていました。

 きっと、深くは考えていないのでしょう。
 しかし、10代の選手まで簡単に口にするということは
「夢を与える」という言い方が、普通になってきたという
ことなのでしょう。

 さらにその前には、水泳で、3番手というと申し訳ない
のですが、記録的にはメダルは厳しいだろうという五輪選
手が、五輪への抱負を聞かれて、
 「みなさんに夢を与えるような試合をしたいですね」
 と答えていました。

 しかし、メダルはちょっと厳しいぞ、という選手まで、
 「夢を与えるような試合をしたい」
 と答えるというのは、おかしいでしょう。
 そんなことを言う暇があれば、君は、もっとがんばれよ。
 
 さらにはまた、女子レスリングの選手も、
 「夢を与えるような試合をしたい」
 と答えていました。

 違うだろう。
 君の抱負は
 「絶対に金メダルを取りたい」
 だろう。
 「金以外は、ほしくない。私は絶対に金を取ります」
 だろう。

 別に、君に夢を与えてもらおうとは思わないよと、言い
たくなります。

 国会議員になって評判を落としてしまいましたが、かつて、
女子柔道で金を取った国民的ヒロイン、谷亮子選手は、五輪に
出るとき、
 「国民に夢を与えるような試合をしたい」
 とは言いませんでした。
 彼女は、そんななまやさしいことではなく、
 どうしても、金メダルを取りたかったのです。
 だから、谷選手は、抱負を聞かれて、
 「最低でも金」
 と答えて五輪に臨み、みごとに金を取ったのです。

 「夢を与えたい」
 などという言葉は、金を取ろうという選手の言葉ではあ
りません。
 上から目線であると同時に、試合に臨む選手の言葉と
しては、実に甘い言葉です。

 どうしても金メダルを取りたい、なにがなんでも金メダ
ルを取りたいという選手は、
 「夢を与えたい」 
 などとは言わないのではないでしょうか。
とにかく金を取りたい。なにがなんでも勝ちたい。
 そう思っている選手は、抱負を聞かれて、
 「勝ちたいです」
 「金メダルがほしいです」 
 と言うのではないでしょうか。
 
 五輪に出る選手は、何年にもわたって、苦しいトレーニ
ングを積んできたはずです。
 五輪に出たい。
 それは、五輪が世界で最高の試合だからです。
 だから、五輪に出たい。
 
 なぜ五輪に出たいかというと、
 それは、選手自身が出たい、
 そう、自分が出たいからです。

 そして、五輪で勝ちたいのは、
 自分が勝ちたいのです。

 率直にいえば、スポーツというのは、すべて、選手が、
自分のためにやるものです。


 水泳でも、陸上でも、柔道でも、サッカーでも、体操でも、
ボートでも、そう、すべての競技で、選手は自分が勝ちたい
からやるのです。
 勝ちたいと思って練習してきた選手が世界中から集まり、
その勝ちたいという思いをぶつける。
 その結果、私たちは、すばらしい技術を見ることができ、
あるいは、すばらしい試合を見ることができ、ものすごい記
録を見ることができ、そして、魂が震えるような感動を経験
するのです。

 選手は、自分のために試合をするのです。
 その結果として、感動的な試合が生まれる。

 感動的な試合をしようと思って試合をするから感動的な試
合が生まれるのではありません。


 選手は、だれもが、自分のため、自分自身のために、五輪
に出場し、試合に出るのです。


 だから、抱負を聞かれたら、
 「はい、私は、勝ちたいです」
 「私は、勝つために、練習をしてきました。私は勝ちます」
  と答えてほしいのです。
 
 それが、スポーツです。
 
 夢を与えたいなどと話して試合に臨むと、まず間違いなく、
勝てないと思います。
 
 そうではなく、自分のために勝つんだと、そういう気持ち
こそが強い気持ちであり、そういう強い気持ちの選手の試合
こそ、素晴らしい試合になるのです。

 五輪に出る選手のみなさん。
 夢を与えたいなどという「甘い気持ち」で試合に出てはい
けません。
 「自分のために試合に出る」と思ってください。それこそ
が、「強い気持ち」です。

 あなたたちは、自分のために試合をしてください。

 もう、「夢を与える」などと言わないでほしい。
 「勝ちたい」と言ってほしい。
 そして、自分のために、五輪に出てほしい。
 
 選手は、自分のために試合に出て、
 自分のために金メダルを取ってきてほしいのです。

 心から、健闘を祈ります。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
同感です「夢を与える」 (鬼編集長)
2012-08-09 01:27:02
わたくしも「夢を与えたい」という言葉の使い方に首をかしげている一人です。他方では「ネコにエサをあげる」と言うのですから、われわれ国民の地位も今やたいしたことございませんな(苦笑)
返信する
同感ですが。 (ぽてちん)
2012-08-19 21:27:51
まったく同感ですが、私が最初にその表現にカチンと
きたのは、谷亮子選手だったですよ。
あれ以来、やわらちゃんへの見方が変わったですよ。
返信する
ありがとうございます。 (筆者)
2012-08-20 14:42:24
ぽてちんさん。

コメント、ありがとうございます。

谷亮子選手も、「与える」という言葉を
口にしていたんですね。
それは知りませんでした。
ご指摘、大感謝です。

それにしても、これほど、評価が変わって
しまった選手は、珍しいかもしれませんね。

引き続き、また、ご愛読ください。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-05-23 18:58:41
夢を与えるって言い言葉だけどな
結構捻った考え方してるんですね
返信する

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