「英霊の想い<遺族の想い」

2006年08月14日 | 歴史
クレーン船の接触事故が原因で首都圏で約139万件に電力が供給できなくなるという大停電が発生した。

この大停電で信号が止まったり、エレベーターが止まったり、電車が止まったり、株式市場のシステムが止まったりと様々な分野に影響がでた。現在のところ、報道等ではこれ以外の深刻な被害があったとは伝えてないので、不幸中の幸いといっても過言ではないでしょう。危機管理体制をもう少し構築しないといけないと思ったのは私だけでしょうか?

話しはそれますが、最近、明日の「終戦記念日」が近いせいか「首相が8月15日に靖国に行くのか?」等の靖国関連の報道が多いような気がします。その中で僕は「遺族」の存在が最近気になり始めました。靖国に祭られる事に「遺族」の意見はそこまで重要なのでしょうか?

遺族の中にも「A級戦犯」の分祀に賛成の方がいらっしゃいます。さらにいえば、靖国に自分の先祖が祭られてる事に異議を唱える方もいらっしゃる。遺族の想いというのは大切です、しかしながら、「国の為に命をささげた英霊の想い」と「遺族の想い」の想いは必ずしも「=(イコール)」というわけでもありません。

靖国を議論する時に「靖国で会おう!」と別れを告げて、国の為に命を捧げた英霊の想いというものを我々は忘れてるのではないでしょうか?