タケシのブログ

日常のいろんな事を書いていきたいと思います。

下関GC、中部銀次郎氏のゴルフ偉業

2014-09-09 20:02:49 | Weblog

大地の巨匠 下関GC
日本オープン優勝者と
2人の日本アマ覇者を生んだ下関GC

下関GCが9ホールで開場した1956年は1942年生まれの銀次郎が14歳の時。開場時期と銀次郎が
真剣にゴルフと向き合った時期が一致するのは興味深い。銀次郎はオープン後、2人の兄ととも
に響灘に沿って作られたリンクスコースで腕を磨いた。
練習に明け暮れた高校時代
毎日学校から帰るとコースへ向かい、陽が落ちるまでボールを打ち続けた。
休みの日には1日2ラウンドは当たり前。ホールアウト後はボールが見えなくなるまで練習場にいた。
高校に進学すると腕前はさらに上がり、兄の一次郎以外、周辺地域に敵はいなくなるほどだった。
銀次郎が初めて日本アマを制したのは1962年、2度目が1964年。ともに甲南大学在学中だったが、
下関GCでの練習が活きたことは言うまでもないだろう。
プロトーナメントでの優勝経験も
大学時代はホームコースを廣野GCに移していたが、卒業後は地元下関の父の会社に就職。
これを機に再び下関GCへと戻ることになる。1966年、67年の日本アマ連覇は同コース所属時に
達成した偉業だ。その後、1974年、78年にも日本アマを制覇したが、これは東京に勤務を移して
からのこと。また、1967年には当時プロトーナメントだった西日本オープンでプロを退けて優勝している。
ちなみに、1961年の日本オープン(鷹之台CC開催)を制した細石憲二は下関GC所属のプロ。
下関GCは日本オープンと日本アマを制していることになる。日本のNO.1ゴルファーを生んだ下関GCとはどんなコースなのか。
コース設計の巨匠・上田治
下関GCを設計したのは上田治。56コースを設計し、井上誠一と並んで日本のゴルフ場設計の歴史に名を遺した巨匠だ。
1907年に大阪府茨木市で生まれ、京都大学農学部で林学、造園学を学んだ。その後、廣野ゴルフ倶楽部を設計した
チャールズ・ヒュー・アリソンの助手としてコース設計の世界へ。1939年には廣野GCの支配人になり、
戦後は荒廃したコースをアリソンの原設計で復活させた経歴もある。

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大地の巨匠 下関GC 伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎を生んだ 響灘の風と青松と白浜

2014-09-09 19:55:43 | Weblog
下関ゴルフ倶楽部は響灘(ひびきなだ)に囲まれた松林の白浜に展開する。およそ1000年前まで海だったが、
土地が隆起して八ケ浜となり、その場所にゴルフ場が作られた。下関GCを語る上で欠かせないのが、
伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎だ。彼の歴史と共に下関GCの魅力を紹介する。
資金難を救った中部利三郎
現在の下関ゴルフ倶楽部は1952年12月に川棚温泉ゴルフ倶楽部という名で3ホールがオープンした。
その後、18ホールに拡張する計画を立て、八ケ浜の用地を買収。1954年にコース工事に着手したが、
資金難に陥ってしまう。そこで乗り出したのが地元・大洋漁業の副社長を務めた中部利三郎だった。
日本アマを6度制覇した伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の父である。翌1955年には川棚ゴルフ倶楽部に改称し、
さらにその翌年の1956年に9ホールで開場。18ホールが完成したのは1960年だった。
下関に生まれ育った中部三兄弟
中部利三郎は3人の息子がおり、銀次郎は三男。兄に長男の一次郎、次男の幸次郎がいたが、
一次郎は1959年に日本アマを制している。銀次郎が日本アマを初制覇する3年前のことだ。
銀次郎の華々しい活躍の影に隠れてはいるが、一次郎は地元で「実力は弟以上」との声も
上がっていたし、銀次郎が常々「尊敬するゴルファーは兄」と語っていたというエピソードも残っている。
元々は野球少年だった銀次郎
銀次郎がゴルフと出合ったのは小学校4年生の時だった。病弱だった息子の体質改善のために、
と父・利三郎はメンバーだった門司ゴルフ倶楽部へ連れていき、一緒にコースを歩いたそうだ。
最初は野球に夢中でゴルフにはあまり興味を示さなかったせいか、クラブを1本だけ持ち、
父のラウンドについて遊んでいた程度。それでも6年生になった時にはハンデ20という
腕前になっていた。本格的にゴルフに魅了されたのは中学入学後だ。





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錦織に1億円ボーナス…「ユニクロ」と柳井氏

2014-09-09 19:51:14 | Weblog
ユニクロを展開するファーストリテイリングは9日、テニスの全米オープン
男子シングルスで準優勝した錦織にしこり圭選手に1億円の特別ボーナスを払うことを決めた。
「歴史的な偉業」と活躍をたたえ、会社側と柳井正会長兼社長が5000万円ずつ払う。
ユニクロは錦織選手と2011年からスポンサー契約を結び、ウェアを提供している。
錦織選手が試合で着ていたウェアと同じ型の商品が全米オープン期間中に完売するなど、売り上げにも貢献があった。
同社は9日の幹部集会で、錦織選手の活躍をまとめたビデオを上映。
柳井社長は「我々もグローバルな舞台に立っている。世界一になるには、
自分や未来を信じ、やることだ」と、錦織選手の活躍になぞらえて社員を鼓舞した。
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9月9日火曜日

2014-09-09 19:48:57 | Weblog
韓国大統領の行動のあいまいさ「公益に関わる」
【パリ=三井美奈】産経新聞のソウル支局長がコラムで韓国の朴槿恵パククネ大統領の
名誉を毀損きそんしたとして韓国検察に聴取された問題で、ジャーナリストの国際団体
「国境なき記者団」(本部・パリ)は8日、韓国当局の対応を批判し、
支局長に対する刑事手続きの取り下げを求める声明を発表した。
声明は「報道機関が政治家の行動に疑問を持つのは当然。国家的惨事
(4月の旅客船沈没事故)さなかの大統領の行動のあいまいさは公益に
関わる問題だ」と主張。コラムが引用した韓国紙の情報は「インターネット上に載っており、
告発対象にもなっていない」と指摘した上で、支局長に対する出国禁止措置も解除するよう求めた。
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