おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
最近思い出したことがあります。
小学校4年生の頃、私は、学校でも家でも、境遇が最悪だと思っていました。「自分なんかいないほうがいい」と思っていました。
学校では、超暴力教師によくビンタをされていました。
家では、PTAの副会長をしていた母親に「あんな学校に行きたくない」と訴えるのですが、当時は今と違って「先生様」の時代。母親は、ビンタでもみじ腫れの私の頬を知りながら、何ら策を施すことをしませんでした。
私は、訴えに聞く耳を持たない母親に失望したのでしょうか。口論の末、「もうこんな家にいられない。家出してやる」と、言葉の弾みで走って家を出たのであります。
100メーター以上は思い切り走ったでしょうか。母親は追いかけてきません。
私は、「大日さん」と呼ばれていた、大日如来を奉ってある、町内の小公園に1時間以上たたずんでいました。
私のスートリーでは、病弱だった母親に代わって、お手伝いさんが家出をした私を探しに来るはずでした。
しかし、待てど暮らせど、探しに来ません。
もしかしたら、他のところを探しに行っているはずだと思って、私は、家に戻り、誰にも気づかれずに2階の部屋に忍び込み、階下の様子を探っていました。
「きっと家出した自分のことを話題にして大騒ぎになっているはずだ」。私のシナリオではそうなっていました。
ところが、静かです。いかにも平穏です。
母親が私を探しに行って、誰もそのことを知らないために静かなのかと思って、そっと階段を降りて行き、見つからないように様子を窺うと、母親がいるではありませんか。
「もう少し心配させてやろう」と思って、さらに1時間ほど、2階で静かにしていたら、夕食の仕度ができたようです。
腹も減っています。美味しそうな香りが空腹を刺激します。
でも、階下は、全く平穏なのです。何事もないかの如くです。
とうとう夕食が始まりました。団欒の声が私の疎外感を刺激します。さびしい気持ちがピークに達しました。
「そろそろ心配の声が出てもいいのに」「誰かが俊憲がいない、と声を出してもいいのに」。私は、焦ります。
それでも、いかにも平穏です。
痺れを切らして、驚かしてやろうと思って食卓に突然飛び出して、「バーッ」とやると、たった一声。
「あ、俊憲いたの? 何バカなことやってるの」
私の家出は、全く事件にならないのでした。
5人きょうだいの5番目だと、あまり存在感がなかったようでした。
もし、母親が追ってきたり、探したりしたら、私は、このパターンをよく使ったことでしょう。
私の家出の試みは、完全に空振りに終わったのでした。
さて、これから北海道ツーリングです。家出事件の場所にも立ち寄ります。これまで事件の場所や自転車で走った国道12号を通るたびに、辛さよりも懐かしさを感じるようになりました。私も少しは成長したようです。
私も同じようなことをしていましたね~。(笑)
そんなとき、父は無視していました。というより
私の行動を観察して面白がっていました。
母はヒステリックになっていましたね。相手がヒステリックになればなるほど、ますます行動はエスカレートしました。悪い子供。。。(笑)
正の注目、負の注目ですね~。
この話の先の勇気づけがでてこないとしっくりこないっすね。
でないと、今日の師匠はいないような。
極論かな?
つまり、親子の絆が育っているかということだと思います。それと昔は何~にもなかった。今は家出の青少年を受け入れて甘やかし利用するところがたくさん待っています。
私は親だったら、話を良く聞き、子どもと一緒にどのような解決策があるか検討し、一つずつ実行します。
泣き寝入りではなく、解決策を一緒に実行することで
色々な解決策を教えます。もちろん子どもがもう少し我慢するという決定も一つの選択肢です。
それぞれの立場からのコメントありがとうございました。
母親の対応をあのように書きましたが、当時の私は、母親に許せない気持ちを持っていました。
やはり暴力教師にきちんと対処してほしかった。
家出との前後関係は、はっきりしないのですが、暴力教師に何も言わない母親に抗議して、私は、母親の目の前で小学校1年から3年までの通信簿を全て破り捨てました。
子どもの家出にも関心を持たなかった母親に対する思いは、アドラー心理学の「不適切な行動に注目しない」というようなレベルではなかったのです。
今まであまり書いていないことですが、私が母親を許したのは、成人してからでした。
小学校の高学年の頃は、「PTAの副会長なんかやめてくれ」と、ずっと言っていました。
母親が生きていたら、末子の行動にどんな気持ちを抱いていたのか、聞いてみたい思いがします。
なんだかコメントに触発されて、余計なことを書いてしまったようです。
ら家庭としても紙一重かもしれないのです。
「自分とは別の世界ではなく、紙一重かもしれない」と受け止めたと
き、事件に至る/至らないを分けるものは、いったい何なのでしょうか
? あなたのお考えをお尋ねします。』
のコメントを連想します。
ぼくはこのエピソードには続編があるような気がしてなりません。
あるなら聞いてみたい。
当記事に関する2回目のコメントありがとうございました。
hkimiさんがご関心をお持ちの件は、過去に(1999年)ヒューマン・ギルドのニュースレターの巻頭言に書いております。
次のところをお読みください。
「母」(1-2) http://www.hgld.co.jp/event1/haha1-2.html
「宮沢先生の思い出」http://www.hgld.co.jp/event1/miyazawasenseinoomoide.html
「愛語廻天の力あり」
「愛語」は時に存在の深さだったり、体を張った厳しさだったり。
単なる形式ではないんだと勉強になりました。
しかし、岩井さん(@師匠)が子どもの頃は、親も先生も腹がすわっていたのですね。
先生に家出のご経験がおありになったとは…。
カウンセリングでは一方的に私の母のことを、聞いて頂きましたが、先生の過去のニュースレターも拝見して、感慨深いものがありました。
自分も子供を産んでおりますので、自分の誕生日に、必ずプレゼントを持ってくる母に、この日に感謝しなくてはいけないのは私の方なのに。と、ヒューマンギルドに通ってから、何度も思うのですが。
なんでも物やお金を渡せば、相手は言うことを聞くと思っている風潮の実家の考え方が嫌で、感謝の言葉には至りません。
やがて来る両親との別れを思うと、このままではいけないなとは思うのですが。
先生のコメントからこんな気持ちになりました。
いつも大事な事を、気づかせていただいて、ありがとうございます。(涙)
お見舞い申し上げます。
私もパソコンで内職の仕事を請けた最初の仕事中、ハードディスクがやられてしまい、徹夜続きで、なんとか自分の責任を果たした経験があります。
今、仕事を始めて、その時、悔しくて勉強したパソコンの知識が、大変役に立っています。
あの時、パソコンが壊れなかったら、あそこまで勉強できなかったことを思えば、今となれば、良い経験でした。
でも、その時は大変ですよね。
暑い日が続きますので、お疲れがでませんように。
先生のご活躍をお祈りいたします。
ご無沙汰しております。久しぶりのコメントありがとうございます。
ハウオリさんのご様子は、mixiの日記で拝読しております。
お母様とのことは、もう少し時間をかけて対処すればいいのですよ。
また、パソコンのご心配ありがとうございます。
研修用に使うパワーポイントは、私が気前よく人にあげていたので、そのことがプラスに働き、同じファイルが戻ってくる幸せを感じています。
私も今回のことから大事な学びをしました。