一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1946   秋麗三年振りのタキシード   海人

2018年05月22日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 娘の結婚式の為に新調したタキシード。それから二年、姪の結婚式があり再び袖を通した。穏やかな気候の中で列席者の笑顔が溢れている。そんな光景に立ち会える事は幸せな事だ。次に着る時はおそらく、豪華客船クルーズのパーティーになるだろう。このタキシードは、私を幸せな気分にさせてくれるアイテムなのかもしれない。

 月曜から金曜迄は仕事に追われ、土曜・日曜はテニス三昧。この様なイベントや旅行が無ければ、毎日の単調な生活の中で感じた事以外は、なかなか俳句には出来ない。しかし、あと何年続くか分からないが、そんな毎日を幸福な時間と思い、今後も年を重ねていきたい。

 現役を引退したら、何日か費やして芭蕉の奥の細道を辿りながら、吟行をするのも夢の一つでもある。全てを歩きながら、という訳にはいかないと思うが、気になる場所を巡っていけたら良いかなと思う。

 それまでは、自然を読み取る観察眼と、表現力を磨く努力をしなければいけないとは思うが、同時に自分の句風を築いていけたら本望だ。

 

海女小屋に海女の声無しならい吹く

緞帳の如く凍雲山隠し

今一度布団に戻る余寒かな

頬白の絵手紙一筆啓上す

春うらら潮目で変わる海の色

 

朝寝してうつらうつらの秀句かな

酔うており桜の舞に酔うており

葉桜や真白きべべの宮参り

雨蛙雨を呼ぶやら雨が呼ぶやら

山若葉緑黄緑深緑

 

青嵐湖面に描く風の道

からころと金魚の浴衣通り過ぎ

雲の色雲の形で夏を知り

鯔跳びて遥か雲仙煙吹く

百日紅近くて遠き生家かな

 

バーボンとジャズとナッツと秋の夜

老いたれば色なき風の如く生き

野に座せば山より高き紫苑かな

それぞれに帰る家あり秋の暮

木の実落つ水に浮くもの沈むもの


野ざらしの地蔵も眠る小春かな

寒の凪一時にして白波に

夜祭の秩父山麓冬花火

朝焚火漁師差し出す茶碗酒

こんな夜は愛しき人と新酒

(岩戸句会第五句集「何」より 御守 海人)

スイレン(睡蓮)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1945   笑いヨガの教... | トップ | 1947   陽炎や聞けば... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

岩戸句会 第五句集「何」」カテゴリの最新記事