作者伊丹三紀彦は、俳句の切れの位置を、作り手の側から明確に示すために「分かち書き」を提唱した。
つまり、掲句の「一本」と「白椿」の間にある空白の一マスがそれであ
る。しかし、この句の場合、そんな空白はなくとも同位置で切れていること
は、誰が読んでも歴然としている。
さてこの句、確かに何本筆があっても、一番使い良くて手に馴染む筆は、
必ず1本あるものだ。筆ではないどんな道具であろうとも色々集めてみて
も、究極は一つになってしまう。
ミツバツツジ(三つ葉躑躅)
作者伊丹三紀彦は、俳句の切れの位置を、作り手の側から明確に示すために「分かち書き」を提唱した。
つまり、掲句の「一本」と「白椿」の間にある空白の一マスがそれであ
る。しかし、この句の場合、そんな空白はなくとも同位置で切れていること
は、誰が読んでも歴然としている。
さてこの句、確かに何本筆があっても、一番使い良くて手に馴染む筆は、
必ず1本あるものだ。筆ではないどんな道具であろうとも色々集めてみて
も、究極は一つになってしまう。
ミツバツツジ(三つ葉躑躅)