好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

良寛 漢詩  子供と遊ぶ

2007-12-14 15:08:02 | Weblog
良寛 良寛と子供 (良寛のこころ)から (全国 良寛会)から抜粋
青陽二月初    青陽2月初め
物色稍新鮮    物色ようやく新鮮なり
此時持鉢孟    このとき鉢孟(はつう)を持し
騰々入市廛    騰々として市廛(してん)に入る
児童忽見我    児童忽ち我を見
欣然相将来    禁ぜんとして相将(ひき)ぬて来る
要我寺門前    われを要す寺門の前
携我歩遅々    われを携へて歩み遅々たり
放孟白石上    孟(はら)を放つは白石の上
掛嚢青松枝    嚢(ふくろ)を掛くは青松の枝
千批闘百艸    ここに百艸(そう)を闘はせ
千批打毬子    ここに毬子(きゆうし)を打つ
我打渠且歌    われ打てばかれしばらく歌ひ
我歌渠打之    われ歌へば かれこれを打つ
打去又打来    打ち去り又う打ち来りて
不知時節移    時節の移るを知らず
行人顧我笑    行人われを顧みて笑ふ
曷因其如斯    なにに因(よ)ってかそれかくのごとき
低頭不応他    頭を低(た)れてかれに応へず
道得亦何似    道ひ得てもまた何かにか似む
要知箇中意    箇中の意を知らむと要するも
元来祇這是    元来ただこれこれのみ

春のなかばに 子供たちと遊ぶ様子が そして時の過ぎるのも
忘れ夢中になってしまう、
道行く人が良寛を見て笑い 其の気持ちを尋ねるが
答えたと分かって貰いないからただ頭を垂れるだけ
私の心の中は 知らないだろう

何回か詠むと 少し良寛さんが 言わんとすることが解かってくるかも、
良寛さんも詩歌は全部 分からなくとも 自分に分かる範囲で理解すれば
誰かが要約したり解説したことが 本人の又作者の言いたいことか そん事が
分かる筈がない だから自分で そして何回か読んで居る内に 又別の解釈も
参考にしても 全部其の通りに解釈 覚えなくとも、

受け取る人で 詩歌の答えは1つではない そんな考え方が良寛さんの
漢詩 万葉でも その人の個々ようで正しいとか 間違いとか無いようだ、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする