山本勘助の事
山本勘助という者がいる、その祖の地を訪ねれば、山本九郎義経の末裔で、代々尾張国に住み、後に三河国に移り住み、勘助まで五代が牛窪に住んだ。
勘助は幼き頃から剣術を好み、諸師に習ってその奥義を得て、眼流という剣術を深く尊び、諸国の豪傑と何度も試合をして負けることが無かった。
そのため方々で恨みを買い、旅にあれば道々で待ち伏せして槍刀で襲い掛かり、また闇夜に歩けば徒党を組んで襲い掛かってくる。
それを早業で幾度となく切り抜けたが、負うた傷は多くあり、今や左の手の指3本欠け、右目は突きつぶされ、脚は薙ぎられて片足短く歩くも不自由である
その後はひたすら軍法に心を寄せて師を求め、築城の縄張りを工夫し、孫呉の妙術を熟学して隊伍練兵の道を自ら発明した。
しかし仕官をする気は見えず、国々の諸侯がその名声を聞いて出仕を促すけれど頑として断り続けた。
一日中、農業に明け暮れて、誰にも会わず、隠者のような暮らしをして年月をすごした。
天文二年も暮れまじかになり、大雪によって庵への道も雪に埋もれてただ白銀の広野となった。
霜月17日に近郷の在民どもが来て「今年は滅多にない大雪だで山道の雪に難儀する鹿、猪猟を共にするべ」との誘いに乗り「気分転換によかろう」と不自由な足ながら猪槍をもって雪の道を上っていった。
剛健な郷民だけが脚絆に雪靴を履き、山中に分け入り、谷間を渡り、木陰を探り雪の中を突いて鹿や猪を突いた
やがて枯れたツツジの中から一匹の大猪あらわれ歳を経た六足物を狩りだした
大猪といえ、その姿は牛のようで鼻嵐にて大雪を吹き払い。牙を鳴らして走り回って郷民を威嚇する
みな怖気づいて誰一人、大猪に立ち向かう者がいない、その時、勘助は尻込みする郷民の間から猪槍を左手三本足りぬ指、親指と小指二本で槍の柄を支え、右手で操って、繰り出す
大猪もさすがのもので牙をふるい隙あらば刺し殺そうと鼻息も荒い
勘助は深い雪をものともせず、大猪の首元、怒れる剛毛の隙を狙って突き刺そうと近づいては離れ、離れては近づく
大猪の周りを神業の如く走り回ること数度、とても足の不自由な人間とは思えぬ早業。ついには大声を発して大猪の首筋に一槍の痛撃を与えた。
大猪、ますます怒り槍の柄を折らんと騒ぎ立てたが、それに構わず抜いては指して弱った頃合いを見ると、一気に投げ飛ばした。
そこへ今まで近づくこともできなかった郷民が一斉に襲い掛かり、さしもの大猪も血潮に染まって息絶えた。
「これで越冬の糧を得た」と郷民は喜び、家路についた。途中より皆と別れて庵に向かう勘助、後より人の気配を感じて振り向けば、そこには15.6の童と50ばかりの老入道が居た、旅姿なれども品格の良さが際立っている。