すでに信虎の腹は決まっており、覆す気さらさらなく明日をもって定国の切腹は決まった。それだけにとどまらず定国の嫡子、弥太郎にも父同様、切腹の沙汰が下った。
後日、弥太郎の心に父の仇を討たんという心が起きるやもしれぬ、というのがその理由であった。
日頃より、定国の忠勤ぶりを見て来た心ある士は、これを定国に伝えた
定国は驚いて、「短慮にて白山を殺した儂が切腹を賜るのは覚悟の上であるが
、なんの罪もない息子までもが同罪切腹とは理にかなわぬことである、文を書く故、これを倅に是非渡していただきたい」 とその士に託した。
弥太郎は文を見た、そこには「儂の死は当然としても、罪なきお前にまで類が及ぶのは御屋形の暴挙であるから、おまえは今井の血統を絶やさぬがためにも、今すぐにこの地を離れてかくまってくれる場所へ行き、そこでじっくりと今後の生末を考えるべし」とあった。
弥太郎は「父上の死に準ずるを得ないのは親不孝であるけれど、ここは偲んで父の仰せに従い、他国へ逃れることとしよう」
そのように言って、とるものも取らず、さっそくに旅立った、頼った先は、武田家と盛んに戦を行っている宿敵、信濃葛尾城に本拠を置く、村上頼平であった。
その頃、信州村上と言えば数代にわたり続く名家であり、頼平は剛勇の大将として名高き人である
信虎は、たかが獣一匹の為に重代の臣を殺し、諫める忠臣を遠ざける愚行を重ねた、しかも一つの仇をも持つことになってしまった。
昔、楚の平王は忠臣であった伍子胥(ごししょ)の父兄を殺害したので、伍子胥は逃れた
呉国に逃れた伍子胥は、後に呉の軍師として楚に攻め込み楚の都を落し、平王の屍に鞭打ったという。
弥太郎の才知は伍子胥に及ぶことはないが、怨恨の心は伍子胥のそれとなんら変わることはない。
荻原常陸介に預けられていた定国に切腹の沙汰が申し渡され、検使役として多田三弥を荻原家へ送った。
定国は三弥に対して「一時の過失により、君寵愛の畜類を殺したことは罪であるが、罪重きとはいえ人をもって獣にかわるとは未だ聞いたことがない
君を恨むことはないが、このようななされようでは、当家の危機はすぐそこに迫っておろう。 この儂の言葉、かならずや君にお伝え願いたい」
そう言うと、一尺三寸の中巻した行光の脇差をとりあげみぞおちの下に突き立て、「エイ!」という声と共に後ろの方に突き立てる
切っ先は背骨の上に抜け通り、定国は鬼の形相となって館の方を睨みつけうつ伏せに倒れ込みこと切れた。
荻原と多田は顔を見合わせ嘆息した、しかし定国の遺言は信虎に伝えられることはなかった。