「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

久しぶりに一気読みした本

2022-01-14 10:00:00 | 読書
昨年から小説は図書館で借りることにした。

図書館のHPから検索してあるか確認して予約。本が貸し出されていたら何番目かわかり、また自分の予約状況も確認できるのでとても便利に利用させてもらっている。私の好きな作家の新刊書検索をしたり、アマゾンでベストセラーの本のあらすじを見たりなどして気に入りそうなのを借りている。最近記憶力の低下で読んだ本は読み終わったらすぐに忘れてしまう。 図書館の私のページは 今借りている本と予約している本の記録が残っているが、返却してしまうとさっさと消されてしまう。そうすると題名や著者名もすぐ忘れ、人に話もできない。

亡くなった母も本好きで、買い物のついでに本屋に立ち寄り数冊ずつ購入していたようで、 同居するときに本屋のカバーがかかったまま押し入れにいっぱい入っていた。カバーを外して綺麗な本は引越しの時に母の部屋に整理して並べて置いていたのだが、新聞は拡大鏡で毎朝一番に読んでいたのだが、たまに面白いよと言って私が勧めても本は読まなくなっていた。85歳になっていたのでもう無理かなと思っていたら、目の診察で白内障とわかり勧められて手術をしたら また本を読みだした。結局92歳で亡くなるまで拡大鏡と本をいつもそばに置き 読んでいた。いや読んで いるふりをしていたのかな? というのは、 何の本を読んでいるのか聞いても、ストリーを 話してくれても時代物が現代物になったりで話がつながっていなかった。きっとこの頃は 文字を追っているだけで 、頭の中を通過していなかったのだろう。

ここ数年、私は本や映画などに 感動しなくなったなと感じていてた。これも老化のせいにしていたが、図書館で気軽に借りるようになって、また読書の楽しみができてきた。 夜中に目が覚め寝られなくなったときに、読書は重宝する。面白くない本だとすぐ寝てしまう。しかし反対に面白くなると夜更かしをする。最近は 本が面白くて 寝不足になることがよくある。

昨日から読み始めた本も とても面白く、その本を離せなくなり 、夕食後にさっさとベッドに入り 続きを読みだしたら結局最後まで読んでしまった。読み終えて寝たのは午前3時半ごろになっていた。 そして今朝夫に起こされたのが8時だった。こんなことをしていたら生活破綻してしまうんじゃないかと心配になってきた。

この本は帯に全米500万部突破とありベストセラーの本だった。ほぼ私と同じ時代を生きた少女が主人公でまず共鳴してまったのかもしれない。 私は子どもの頃テレビでアメリカのホームドラマや映画を見てアメリカはすごい国だと思い込み、 その頃は豊かで民主的なのがアメリカ そのものだとずっと思って理想化していた。 日本は戦後の貧しさから脱却しようとアメリっを手本のようにしていた。ところがこの本を読んで私が育ってきた日本の片田舎とちっとも変わらなくて、 読み進むにつれてまるっきり自分とオーバーラップしてしまっていた。田舎の大人(親世代)たちは保守的で差別的で、学校で学ぶ民主的な教育との落差に反発ばかり感じていた子ども時代だった。そして、学校でもこの小説の主人公のカイアのような極貧を生きる少女が身近にいた。その頃は社会全体が貧しい時代だった。
しかしサスペンスストーリのようなこの小説の基底を流れるのが、貧困、虐待、差別、家庭崩壊など現代社会が今も解決できない問題として提起されている。今では豊かなアメリカは幻想であってアメリカも同じではあることは理解できる。世界中でいろんな問題が未解決のまま存在している。
久しぶりに500ページを一気に読んだ本だった。

「 ザリガニの鳴くところ」 ディーリア・オーエンズ著



雨の日。絵を描く

2022-01-12 08:49:00 | 芸術(絵画 音楽他)
昨日は雨。今日もどんよりとした曇り空。ここ数日部屋にこもって絵を描いていた。今の私にとって集中できることがあるのは幸い。この年齢になると、大切なことはやることがあるということ。そして時間を忘れるほど楽しいということ。

今まで生きてきて子どもの頃は、何をやっても楽しい遊びとなって毎日が繰り返されていたような気がする。それが大人になってくるに連れて、他者が気になったり、仕事となって社会的な位置ができたりで徐々に自分の立ち位置が理解できるようになり「しんどい」と感じることが多くなる。


歳を重ねると子どもに返るという。本当に子どもに返れたら幸せではないだろうか。よく認知症などになったら子どもに返って来ると言われるが、私のいう意味は少し違っている。

極端に言えば、「いろんなものが捨てられる」という意味合いがあると思う。それは子どもから大人になり社会に出て色々直面する自分を制約するものから少しずつ解き放たれるということかもしれない。例えば、こんなことを言ったり為ては恥ずかしい。これは常識はずれだからと自分の狭い枠に自分を追い込む。自分は大したことがないと思ったり、また傲慢になったり、自信満々になり奢れたり、常識に囚われて何もできなかったりなど、他にもあると思うが自分を規制する枠から自分を抜け出すことかなと思う。

だいぶ前になるが、朗読を習っていた先生がいろんな人の朗読を評価するときに、私が上手いなぁと当時思っていた人によく「ヌードになりなさい」と言ってあまり細かい注意をしなかった。そう言われた人は「評価してくれない」と不満いっぱいだったようだ。

今ではその先生の言われたことが、なんとなく理解できる。自分を曝け出して自分を表現する。自分に規制をかけて自分の価値観に固執しない、という意味合いだったのかと。

そろそろいろんなものを捨て、小手先のことに惑わされず、人に迷惑さえかけなければ自由に思うままやりたいことをやったらいいのではないか。自分を解き放ってもいいのではないかと。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、小学生の頃勉強のノートや教科書の隙間に絵を描いていた。その頃は無意識に漫画やお姫様を描いていたのだが。それが講じて仕事にした。しかし、才能がないことは少しは自覚していた。かなり無理をして頑張った時期もある。お金をいただくのだからそれに見合うものを作らなくてはと絶えず自分を追い込んでいたようだ。勤めていたときはかなりの激務で胃痛が起こり神経性胃炎から潰瘍らしいと診断され痩せ細っていた。それでも頑張らなくては、良いものを作らなくてはと当時は自分を追い込んでいたように思う。それは自分をある意味では過大評価していたのかもしれない。ダメな自分を認めたくないと。

しかし、この年齢になると自分というのがわかり過ぎてしまっていてる。
子どもの頃に楽しいと感じた気持ちに素直に戻ればいいのだなと感じている。
人は「多趣味でいいですね」なんて言って下さるが「一枚ずつ脱いでヌードになろうとしているだけです」と言いたい。

そして以下がこの雨の日に描いた絵の一部です。
自画像も初めて描いていますが、まだ公開には至りません(笑)
今のところこんな感じで遊んでいます。








新しい透明水彩絵の具

2022-01-10 09:06:00 | 雑感
昨日は一日中絵を描いていました。
ほんとうに久しぶりで、油絵の具の蓋が開かないのでペンチで開けています。絵の具は少し硬くなっていました。
音楽を聴きながら、部屋に閉じこもって描いていましたが、あっという間に時間が過ぎていました。

それと新しい透明水彩絵を当日Amazonで衝動買いしたところ、当日の夜中(10時に置き配)に届きました。びっくり⁉️そんなに急いでもらわなくても良いのに、と思いながらもワクワクしながら、何度も玄関を覗いて待っていました😅💦

水彩絵の具は、50年以上昔から使っていたホルベインを、パレットに出したママの塊を使っていましたが、この新しい絵の具はリーズナブルな割には発色が良いと知り(国産で絵の具の発色が良いのが売り)アマゾンで購入しました。かなりマイナーなメーカーなので心配していました。

さっそく、色を全色をパレットに出して塗ってみると、強烈な色なので少しガッカリ。
それでも出した全色使って悪戯描きをしてたら、色の重なりが綺麗で濁ることもなく気にいりました。十二色のこの絵の具は充分遊び心を満たしてくれそうです。魔法のように、色んな色になり変化します。その段階を見ているのも楽しいです。

満足できる絵は描けませんか、至福の一日となりました。

購入した絵の具は「まっちベーシック透明水彩絵の具12色(白が2色で13本)」です。

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2022年を迎えて

2022-01-03 14:28:00 | 雑感
あけましておめでとうございます。

2022年は果たしてどんな年になるのでしょうか?
我が家の年末から孫家族がきて全員が揃ってお正月を迎えた。
昨日の夜、全員帰宅して私はやれやれでゆっくりして今日は過ごしている。

孫たちは毎年毎にずいぶん成長してる。
一番よくわかるのがお年玉に対しての金銭感覚だった。
大きな金額は、ママが「貯金しとくね」で今まで終わっていた。
だがここ数年小銭を入れた別袋を渡すようになり、その金額が少しずつ増えた。
今年ははっきりと一年生の子も合計金額の価値がよく理解できているようだ。
あれやこれや欲しいものを物色して金額と照らし合わせて迷っていた。
すんなり、欲しいものを買ってしまわないのは金銭感覚が出てきているなと、少し安心した。

ここ数年は体力低下のせいか色々ハブニングもあった。
しかしこれからも前向きで出来ることには精一杯チャレンジしていきたいと思ってる。


写真は娘の小さかった頃(35年ほど前)のぬいぐるみ