「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

お正月気分もそろそろ

2008-01-12 14:13:07 | 雑感
連休の初日の今日は雨なので、久しぶりに家でのんびりとしている。
水曜日は、不動でクライミング。s労山では恒例らしいが、不動でお雑煮を作り、ケーキ屋さんのメンバーの差し入れの特製パイを頂く。このパイには驚いた。「タイパイ」とメンバーの一人が言うのだが、見るまでその意味が分からなかった。見ると、それは魚の鯛の形をしたアップルパイであった。
子どもが小さい頃にはお菓子やパンなどを作っていたので、パイを作る手間ひまは充分分る。丸型でも大変なのに、鯛の形に作るなんてさすがだと感心すること頻りである。パイは生地自体大変な手間と時間がかかるので、私は市販の冷凍のパイ生地を購入していた。それでもパイは面倒なのであまり作っていない。
この日は、私と同様餌に釣られたのか、16人程の人が集まる。他のパーティーもあって不動の正面は20人近くもいて、思うようには登れなかった。というよりも、お餅とパイの重量がずしんと応えて、思うようなクライミングは午後からは出来なかった。これは、新年早速の言い訳になってしまった。
しかし、楽しいひとときを皆さんと共有出来たのはとても嬉しかった。不動は春のようなポカポカ陽気で、それも気分がいい。我が家からは遠いのだが、行って良かったと思った。ホシダもそうだが、やっぱりワイワイと同じ趣味を過ごせる仲間は私には大切な存在だ。
10日は、朗読の会の新年会だった。こちらも総勢で25名程が集まりワイワイと過ごす。新年号のテープ雑誌も本の朗読も終わり一段落してやっとホッとしていただけに、ビールの酔いも心地よかった。
11日の、対面読書も午前中に終わってぎっしり詰まっていたスケジュールから解放され、ストーブの前で2時間程、意識不明の昏睡状態に陥り死んだように眠ってしまった。よっぽど疲れていたのだろう。
年末年始の慌ただしさからずっと続いた忙しさから解放され、緊張感も無くなってしまった。明日からは、クライミングの予定が入っているので、束の間ではあるがほっこりしている。天気が良くなってほしいものだ。


差し入れのタイパイ


タイパイの解体に大騒ぎ! やっ、三枚には下ろせぬぞ~!


満足! ごちそうさまでした。美味しかった。


昨日のNHKスペシャル

2008-01-08 23:42:25 | クライミング
昨日の夜十時、テレビの画面に釘付けとなった。城山でご夫妻にお会いしたばかりだけに、近親感が湧いていた。沢木耕太郎著「凍(とう)」の朗読を以前聞いて頂いた人たちも何人か、電話やメールで放送の案内を頂いた。
自分の可能性を信じ、限界に立ち向かう。何かに向かっている人の目は、きらきらと輝いている。山野井さんの岩壁を見つめる目はとても印象的だった。多分、子どもの頃からそんな目でいろんなものを見つめて来られたのだろう。妙子さんは淡々としているだけに、指が無いというハンディーを見る人に忘れさせている。「指が無いとかいうのは、登るのに関係ない」と山野井さんは何度も登攀中に言ってる。
ただ、登りたいという衝動でひたすら向かうだけ。こんなにも、純粋に生きられるというのは幸せなこと。指が無いことなど、どうと言うことが無いという。ありのままを受け入れ、それでもやりたいことをやり続ける。
私の回りにも、障害を感じさせないで前向きに行きている人がたくさんいる。その人は山野井さんに負けずに魅力的に見える。
凄いことをするだけが、偉いのではないよ。きらきらと、目を輝かせて生きていることが素敵なんだよ。この番組の二人の登攀から、私はそういう風なメッセージを受け取っていた。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080107.html

ホシダ登り始め

2008-01-06 22:48:38 | クライミング
年が変わっても生活が変わるという訳ではない。行きつけのホシダで今日は登ってきた。ホシダに行き始めてから今年で十年目になる。
40人の定員に近い人数になると、さすがにルートも混んでいてなかなか思うようには登れなかった。
この十年で顔ぶれは変わってしまっているが、いつものホシダの情景だった。当初からの人も数人混ざっているが、ほとんどの人は最近の人たちだ。長い間飽きずにやっているなぁ~と我ながら感心する。十年前に比べたら左右のハングも登れるルートが出来たし、十年にしては僅かだが進歩をしている。しかし、まだまだ登れないルートばかりだ。登れないということが、私の場合は続く一因かもしれない。
私がホシダに行き始めた十年程前に、60歳の3人程のグループをホシダで見かけ、凄いなぁ~と思って感心していた。そのうちの一人は少し前までホシダで見かけていたが、もう来られていない。その頃から見ると今では60歳以上の人も珍しくなく、だいぶ増えているが全体からの割合は当然少ない。私も、60歳までにもう僅かしか残っていない。
これからクライミングを長く楽しむには、ホシダは適しているかも知れない。それは、岩場に比べると安全だというのと中高年の仲間が多いということ。それに、家から行きやすいという条件が揃っている。平日、いつ行ってもビレーをしてもらえるのも大きな魅力だ。
よく考えたら、ホシダでも70歳以上といえば一人だけしかいない。自分の年齢を考えたら、あと十年も続けられるとは思わないが出来るだけ細く長くクライミングや山は楽しんでいきたいと思った。
いや、今私がやっていること全て、たとえ進歩しなくてもあと十年続けられればいいなあと思った。
私も知らない間に歳をとったものだ。



2008年のスタートは城山から

2008-01-05 23:39:30 | 雑感
新しい年2008年がスタートし早くも5日が過ぎてしまった。今年はどんな年になるのだろうか。
年末年始恒例の城山クライミングは、今年は2日からとなった。お陰で30日は母の餅つきを手伝い、実家の掃除をする。年老いた母に取って掃除はどうも苦痛なようで、かなり汚い。それでもそこで暮らしていたら、その汚さも麻痺してしまっているらしい。とくに生活の中心の茶の間は、ゴミだらけになっている。母に「何もかもほかされて(捨てられて)しまう!」と文句を言われながら、せっせとゴミ袋に押し込むと何と3個も出来上がってしまった。
31日は、我が家の掃除と買い物とちょっとした煮物をしてみた。特筆すべきは、母のお正月の定番である棒ダラを今年は私が煮てみた。母の棒ダラは、我が家の子ども達が小さい頃からの好物で「おばあちゃんの棒ダラ」と言い毎年楽しみにしていた。しかし棒ダラは、一週間程水に浸けてから出来上がるまでかなりの手間ひまがかかり、数年前から面倒がってもう煮なくなってしまっていた。。たまたますでに水に浸けてある棒ダラをスーパーで見つけて、今年は私が煮てみた。柔らかく出来上がったが、母の味と比べると薄味になってしまったようだ。それでも初めてにしては上出来で、母も娘達も喜んで食べてくれて、あっという間に無くなってしまった。
お正月元旦は、母も交えて5年ぶりに家族揃ってお正月を迎えた。そして何よりも珍しいのは、石清水八幡宮まで家から歩いて初詣に家族で出かけたことだ。お正月を初詣でスタートというごく普通の過ごし方を、山へ行き出してからはしていなかったことを初めて自覚したこととなった。いざ出かけてみると八幡宮の本殿へは長い行列で前まではなかなかたどり着けない。しばらく並んでみたが諦めて、列から外れてたところでお参りして帰ってしまった。
初詣の人出を見て、これが日本人の正しいお正月の過ごし方なのでは、と思い出させてくれた気がした。特にこの4年間は、修善寺ユースホステルのお雑煮やお節料理と、岩場でクライミングに興じて過ごしてきたが、やっぱりこれは尋常ではない。
久しぶりに人並みの元旦を迎えて初詣にも行き、単純な私はきっと今年は良い年になるに違いないと思えるのだからお目出度い。
それでも2日の早朝から城山に向かった。修善寺ユースは改修中ということで休館らしいので、クライミング仲間から聞いていた民宿福井に宿泊した。ここは温泉というメリットはあるが、やはり修善寺ユースに軍配が上がる。
3日間のクライミングはとくに成果はなかった。心の愛も登れなかった。ほとんどムーブも固まっているのだが力つきてしまう。自分の限界をつくづく感じたクライミングだった。初詣でしっかり本殿まで行ってお願いしなかったせいだろうかとふと頭をかすめるが、これは実力だから仕方がない。いやいや、他力本願は良くない。しかし楽しく登れたので、良しとしよう。
これは余談だが、城山でとても嬉しかったのは山野井泰史さんと妙子さんご夫妻にお会い出来たことだ。特に妙子さんは沢木耕太郎の「凍」を読んで以来のフアンであるだけに、少しお話が出来たのも嬉しかった。会った印象は、凄い人というよりも優しそうで気さくな感じがした。しかし、その手に私の目がいった瞬間妙子さんの強さを目の当たりにしたようでたじろいでしまった。
どんな困難に出くわしても、ごく当たり前のように平気でいられる強さを感じる。「あまり登れないんですよ」とおっしゃりながら、指の無い手でちゃんとホールドを掴み登って、山野井さんのビレーもされている。それも、ごく当たり前に…。
本での印象以上に、凄い妙子さんがさらりと私の中に入って来たような気がした。