「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

映画「東京タワー」

2007-04-26 20:49:58 | 映画
今日は蝙蝠谷にクライミングに参加の予定だったが、ちょっと用事が出来て行けなくなった。だいぶ岩場からは遠ざかってる。時間の合間を見て、映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を観て来た。
これは原作を読んで、テレビドラマで見て、今回の映画なので新鮮味に欠けていた。この本の原作は、もう200万部を越えてしまっているらしい。凄いなぁ~。今回の映画は、オカンが樹木希林で若いときは娘の内田也哉子がやっていたが、これはさすがに親子だなぁ~と思う程似ていた。内田也哉子の演技は樹木希林にはまだまだという感じはしたが、個性的で良かったと思う。
やっぱり、映画とテレビの大きな違いはセットにあるようだ。改めて、リアリティーをもって私に迫って来たようだ。それにしても、やっぱり樹木希林は魅力的なオカンだった。というよりは、樹木希林が魅力的なのだろう。
親の子どもに対する愛、子どもの親に対する愛を改めて考えてしまった。子どもは愛情一杯に育てられると、大人になってまた愛情を持てる大人になるということなのだろうか。最近は「愛情=甘やかす」ということと履き違いをしていないだろうかと思うことが良くある。貧しい時代の方が、子どもはちゃんと育っていたように思うのは気のせいか…。
ちなみに、私の隣に座っていたオカンは映画の間中泣いていたようだ。

2006/1/21本を読んだときのブログ
「東京タワー」  読書
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー著
この本、ベストセラーらしい。私は全く知らなかった。友人が「読んでみてみ」と手渡してくれた。「この本なに?」「エー、知らんのん?」「外国人の作家みたいやのに、東京タワー? オトン? オカン? どうなってんねんや…」「ごたごたいうてんと、とりあえず読んでみ~!」と言うような訳で、借りて来て読んでしまった。娘に知っているかと聞いてみたら、涙…涙…の本だということで職場の話題になっていたので読んだという。知らなかったのは私くらいなのか?
これは、作家の私小説で子供の頃から現在までのお話。副題の「オカンとボクと、時々、オトン」通り、両親は別居で母親に育てられて、父親は時々登場するがいわゆるマザコンではと思う程の密接な母との結び付きのなかで成長するが、高校から母親とも別れ別府へ、大学で東京。そして最後に東京へ母を迎えて一緒に暮らし、癌で亡くすまでの話し。1963年生まれの著者リリーさん、私とは一回りは歳が違うのだが、何だか共通の経験をしていて近親感を持ってしまった。
それは地方から東京に出て行って、東京というところの捉え方が「なるほど、そうそう」とうなずきながら読んだ。仕事も同じような仕事をしていたせいか、私が東京にいた1970年代の前半もそうだったなぁ~、と懐かしく思いながら読んでいた。私は、結局故郷に帰ってしまったのだが…。
私が東京にいた頃には、東京に夢を見て出て来たデザイナーやカメラマン、漫画家志望などで食べられない人がたくさんいた。しかし消費者金融などという物は無く、みんな汚いアパートで共同生活などしながら肉体労働などのアルバイトをしていた。しかし大方の若者は夢破れ疲れて故郷に帰って行った。私の仲の良かった作家志望の友人は、お金がなくなるとコーラーの瓶を酒屋の裏から盗んで来て、違う店に持って行って1本10円で引き換えていたのを思い出した。それらの人たちが、この本の登場人物と時代は違うがオーバーラップしてきた。
最後に、東京タワーから眺めて「東京の風景すべてが巨大な霊園に見えた」「故郷から胸をときめかせてやって来た人々。この街は、そんな人々の夢、希望、悔しさ、悲しみを眠らせる、大きな墓場なのかもしれない」。これには、「うん、うん、」とうなずいてしまった。
オカンもオトンもその辺にいる平凡な庶民的な親だが、深い愛に溢れている。また子どものときにはひどい親だと思って育っても、大人になれば違った見方で見ることも出来る。なんだか、そのへんにいそうな家族でもある。
この辺に、ベストセラーの秘密がありそう。
歳とともに涙は枯れていくのか、ちなみに私は涙が出なかった。


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