「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

日常について

2021-02-02 08:37:00 | 雑感
なにげなく開いた今朝のフェイスブックに、8年前の今日に投稿した下記の文章が出てきた。
最近は日常と化した日々の暮らしだが、この頃は模索しながら色んな影響を受けてたんだなぁー、とこの突然飛び込んできた自分の文章に新鮮な感動を覚えた。

そう、当たり前に続いている日常だと思っていることには、当たり前でない日常がいっぱいあったことを思い出した。その時どきには色んなことを思ったり感じながら模索の日々であったことで、それらの連続が今であり日々の暮らしであることを。
この投稿から8年後の今の私は、今も残飯や落ち葉を有機肥料にして化学肥料と農薬を使わず、我が家の畑の「極小の宇宙」を日常として食の一部を補ってる。最近は億劫に感じながらも、それが当たり前の日常の生活の一部でもある。

今の生活は、十数年前仕方なく実家に戻って年老いた母と同居して得られた最大のプレゼントだったと今頃気がついた。この畑はご先祖が代々住んで生活していた家だった汚れのない土地なのだと、改めて感謝の気持ちも湧いてきた。
そこでできる野菜は、やはり尊いものであると改めて思う。
最近衰えを感じ出来なくなったことに嘆いていた私は、この日常を丁寧にできるだけ続けていけることが最後までの目標となった。

近所で最後まで畑仕事をしていた母世代の最後のお婆さんが昨年94歳で亡くなった。
昔は6軒しかないこの村に嫁いでからここから出ることも無く、ひたすら畑に向かっていた人生を誰も笑うことができない。
誰一人として、つまらない人生などないはずだ。

2013年2月2日 ·

小泉英政著「みみず物語」を図書館で借りてきて読みました。「里山で落ち葉を集め、みみずの声を聞く、三里塚で有機農業を始めて30年,外部から資源を投入しない,循環する命に満ちた小さな宇宙が,生まれかわりつつあります。」表紙に書かれているこの言葉でこの本が言い表されています。
私が生まれたのは、そのころはわりと大きな農家でした。父が農業を嫌ったのと国道一号線が敷地内の畑の上を通ったので、そのころから徐々にこの辺りは変化し、今では様変わりをしてしまいました。
それにつれて,農業もそのころから様変わりしてしまいました。化学肥料と農薬まみれで奇麗な畑に奇麗な野菜を合理的に作るという農業です。しかし,このごろでは有機農法が見直されてもいますが、まだまだという感もします。
小さいころから泥に塗れて働く家族と保守的な地域を見て育ち,成長するにつれてここから逃げ出すことばかり考えていました。
今は成り行き上,少しばかり残り空き地になってしまった土地を引き継ぎ、そこをまた畑に戻す作業から始め,自家菜園を始めてから3年になります。
出来るだけ,農薬や化学肥料は使わないですることを目標に模索しながら育てていますが、迷うことばかりでした。
この本を読んで、子どものころのこの辺りの自然豊かな風景や生き物の姿が鮮明に蘇りました。今は家庭排水が流れる家の前の溝は、山からの水が流れる奇麗な小川でした。ザリガニやオタマジャクシ、カエルや昆虫たちはみんな子どものころの友達でした。
半世紀以上たった今頃になって,野菜づくりに嵌まってしまい,庭に来る鳥や季節ごとに咲く花々に感動して生活しているというのは、ずいぶんと回り道してきたものだと思うところもあります。
小泉英政さんの「循環農場への道のり」を思うと、正直大変だっただろうなぁ~、と読み終えた後思いました。しかし、信念をもつて長い道のりを歩かれた結果,この本には確かに確信を持たれていることが伝わり、羨ましさすら感じました。
私が嫌ってしまった農業と言う職業に、こんなにも豊かなものが隠れていたことに今頃気がつきました。ここの今のこの風景と同じように、昔の風景はここではもう取り返すことは出来ないのですが、せめてこの私の小さな菜園が、自然に満ちた菜園になるようにして、これからの豊かな暮らしの支えになるようにしたいとこの本を読んで思いました。
最後に、鶴見俊輔著「鶴見俊輔集8私の地平線の上に」の中に英政さんの三里塚の生活に「自分が今ここにこのようにして住んでいることが、そのまま、非暴力の形をとおしての権力批判になっているという自信が、今の彼にはあるようだ」と書かれている。とあつたが、この本に一貫して流れている思想として感じられました。
とても考えさせられました。