「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

春の風景

2019-03-20 22:10:00 | 雑感
かなり温かくなったと感じた日だった。
車の外気温は22度。

今日は図書館の音訳の会合があり、いつものレストランでいつもの友人とランチを済ませてからすぐ近くの通りにあるカンヒザクラ(寒緋桜)の並木の花見に誘われぶらりと散歩。
公園ではコブシが咲き乱れ、タンポポ、オオイヌノフグリ、オドリコソウ、ホトケノザが草に紛れて彩る。やっと春到来という感である。

私はこの時期から本格的な春夏野菜の準備で忙しいはずだが、少し余裕がでてきたのか逸る気持ちはそれほど湧いてこない。
すでにトマトは昨年と同じ品種のサカタの大レイカ、中シンディー、小アイコと昨年のタネの残りで伏見シシトウ、カモナス、真黒ナス、カラーピーマン、大ピーマンなどの苗を育成中。
昨日は、昨年より10日ほど遅れてじゃがいもキタアカリの植え付けた。
今日はかぼちゃの植え付けと、この時期は次から次へと畑仕事が待ち受けている。

ほったらかしのヤーコンも今頃収穫して、今日の夕食にブロッコリーの脇芽とゴママヨ和え。ヤーコンはタネからもう新芽が出ていた。作り出して数年経つがどんどん増える。

畑には大根や白菜など菜物の残り野菜が花を咲かせ始めているが、十分食べられる。私の畑は野菜の食品庫のようなもので食材はいつも畑の野菜の収穫からレシピが決まる。
野菜に花が咲き始めると筋張ったりまずくなったりするのだが、花の蕾あたりは柔らかくて美味しかったりする。

ここに来てこのような生活がもう十年も過ぎると、毎年繰り返される日々が当たり前のこととして過ぎ去っていく。
なのに春を迎える時はいつも心踊るのはなぜなのだろうか。
それは無彩色から徐々に彩色されていく自然の美しさに命の芽生えを感じるからだろうか。
いつも行く星田でも枯れたような色彩の木々がこれから徐々に色が付き、5月の連休の頃にはこんなにも緑の種類が多いのかと色彩の多様さに驚き感動する。そしていつもの同じ場所に咲く花を発見しては安堵する。
クライミングが上手くなるということはもう諦めかけているのにもう二十年以上も通っているのは、この変わらぬ自然に包まれていることが私にとっての癒しなのかもしれない。

年を重ねて先が見えて来たときには、この平穏な日々が愛おしく感じるのだろうか。そして私もその時期を迎えようとしているのだろかとふと思ったりする。