タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

~サワガニの棲む天然水を口にしてみる~

2014-10-31 | その他

水清ければ魚棲まずと言いますが、最近目に触れることの少なくなっ

た「サワガニ:沢蟹」、その番いが三瓶山の麓に湧き出る清水「池」の中で

水藻や水中の虫を、あのハサミを巧みに使って口に運んでいます。

冬眠期に備えて栄養分の備蓄をしているのでしょうか。

私がこの地に住んでいた、昭和40年代末頃には、雨上がりの土道や、

川の石を退かすと、その下からゴソゴソと出てきて、ごく身近に見られた

のですが・・・聞けば、上流部に出来たキャンプ場やリゾート別荘排水な

どの影響で、水質が多少変わって来ているのでしょうか。

そのために少なくなってきているのか・・・それとも、私自身がこんな深山に

け入る機会が少なくなって、目にすることがないのかもしれません。

いずれにしても、今は自然水ブームで、富士の天然水など様々な水が店頭

並ぶ時代ですが、試しにここの水を一口含んで見ると、「これは美味し

い」、まさに名水百選をしのぐ美味しさです。(厳密には無味無臭で、「美味しい」

とは言わないでしょうが)  ~とにかく美味しい~

さすがにカニは棲むけれど、ヤマメやイワナ、マスなどの他に、「魚は棲

ない」様です。

淡水に棲むカニの中でも、このサワガニだけは、一度も海に出ることなく一

を故郷のこの水(純淡水)の中で過ごすそうです。

”人一倍”土地への愛着が強い生きものなのかもしれませんネ。

~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~

ルイ・アームストロングの「聖者の行進」をどうぞ


「野紺菊」の花言葉~「守護、忘れられない想い、長寿と幸福」

2014-10-30 | 植物

20数年振りに、旧知の友から(友と言っても、一回り以上違う「大兄・友」)から

話があり、「新聞で名前を見て、是非とも会いたい。」とのことであった。

聞けば、数年前に屋根から落ちて骨折し、以来、次から次へと病を得て、

今は自宅で厳しい闘病の日々を送っているとの事であった。

明日にも行きたいところであるが、日和の良い日にと思いつつ、電話から

三日目の今日になって、会いに行くことにした。

大兄とは、山深い国立公園三瓶山の北の地に、私が駐在員として赴任して

間もなくの事、大兄宅を初めての訪問し、話をしているうちに意気投合した

のが、来40数年来の交流の始まりだった。

在任中(2年間)は、いろいろとお世話になる事ばかりで、ご迷惑も掛けた

が、懲りずに今も家族でのお付き合いをさせてもらっている。

お互いに顔を見るなり、昔を思い出し、感極まって涙涙の再会となってしま

った。

奥さんによれば、昨日、今日と体調はあまり芳しくない様であったが、懐か

しい昔話に笑顔も出て、あれやこれやと話が弾み、彼も心から嬉しそうであ

った。(翌朝、あれからとても気持ちが良いらしく、今朝は庭木にはさみを入れたいる・・・と

の電話があった

人間、歳を重ねて行くと「老・病・〇」は避けて通れない事ではあるが、彼

は、これまで幾度も辛い手術を重ね、四度も死線を超えて来たと、笑って

言いながも、健康な頃と変わらず、淡々として苦境を受け入れ、事もなげ

に病闘っている。

実のところは、数日にも厳しい状況であった様なのに、一体この精神力・生

き様は何と言うことだろうか・・・「私の求めて止まないどんなときも普通に生

きたいという道」を、彼は確かな足取りで実践しているのだ、私はただただ

圧倒されるばかりであった。

見舞に来たつもりが、彼の闘病の様子を目の当たりにして、逆に励まされ

「勇気と希望」を貰ってしまいました。

彼の手により整然と刈り込まれた、庭園がベッドの正面に眺められ、丹精

込めた松の根方には、「野紺菊」の薄紫の花が見事に咲き誇っていて、 

日々に彼の心を癒してくれていると思うとちょっと嬉しくなった。

奇しくも、この日(10・28)の誕生花は「野紺菊」であり、花言葉も「守護、忘

られない想い、長寿と幸福」とあり、「今日の再会と彼の明るい今後」を示

唆するかの様である

~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~

童謡「野 菊」

遠い山から吹いて来る 小寒い風にゆれながら 

けだかく清くにおう花  きれいな野菊うすむらさきよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


~タンポポの綿帽子を、秋風がどこか遠くへ運んで行く~

2014-10-28 | その他

「風の丘」の広場には、たくさんのタンポポの綿帽子が秋の風に揺れています。

時折吹く強い風が、白い羽根トンボの様な綿毛の種を、空高く舞い上げてどこか

に飛んでゆきます。

タンポポの茎もこの春先には、地に這う程に短かったはずなのに、何時の間に種

を遠くに飛ばすように工夫したのでしょうか、思い切り背伸びして、背伸びして、今

ではスクッと立ち上がっているかの様です。

創造主は万物に、その誕生に使命を与えたのでしょう、タンポポも風の吹く頃には

自ら背をいっぱいに伸ばし、吹き上げるその”風には”遠くへ遠くへと、種を運ばせ

る役目を与えたのでしょう。

同じ様に、今が旬の柿の実も、一番美味しい時期に実を人々に与えて、残った美

味しく熟した柿の実は、鳥達を誘い、飛んで来た鳥達は嬉々として実を啄み、そし

てひと山もふた山も越えた、山の向こうに運んで行って、春には芽吹かせる。

そんな永遠に繰り返される、何気ない自然の営みをぼんやりと眺めていると・・・・

この世に生まれい出る生きとし生けるもの全て、神から何らかの役割を与えられて

誕生したものであり、その役割を果たすために、懸命に生きているなだと言う事を

あらためて自覚させられるのである。

人みな、与えられた人生を精いっぱいに生き抜くことこそ、この世に生まれた使命な

のだ。と・・・・・思うのです。

~今日も良い一日を~


~落ち葉降り敷く、石の段~   (松江城)

2014-10-27 | 風景

今日は久し振りに、松江城の周辺の散歩に出掛けてみました。

県庁北面の「千鳥橋」を渡って、左へ進むと綺麗に備された、椿の名所

「椿谷」公園に至り、中ほどの小道(未舗装の)をしばらく進むと、右手に

蒼とした木々のトンネルの降りかかる様に、築城の昔そのままの苔した

急な石段が見えてきます。

今日はこちらにコースをとって、上って行くと松江神社の横手に出て来ま

す。

ここには、御月見櫓跡、二之門跡、、御広間跡、更には再建された南櫓、

中櫓等のある広場になっています。

ここまで喘ぎ喘ぎやって来て、短足で懸命について来たミカ嬢(チワワ)、コ

ースが少しハード過ぎた様で、しきりに「抱っこして、抱っこして」と催促(ポ

ーズ)するので、ここからは、約3キログラムの負荷を掛けての散歩となりま

した。

中櫓、南櫓を経て、千鳥橋に戻る急な石段を下りて行く頃には、当方も

少々息が上がり、石垣に腰掛け小休止です。

ここは石段の頂上部、モミジの大木があって、紅葉の頃には真っ赤に染

った落ち葉が、遥か真下のお掘りに向けて、ハラハラと散って行くその情景

がとても綺麗で、毎年、見に来るのを楽しみにしています。

今はまだ、紅葉にはしばらく時間がかかりそうですが、石段の脇には栴檀

(せんだん)の巨木や桜の木があり、黄色や橙色の落ち葉が、ちらりほらり

と石段に降敷き、深まり行く秋を体験することが出来ました。

ソッと耳を澄ましてみると、落ち葉の散る音が・・・サラッ、サラッ・・・と微か

な「落葉」の音を聞いた様な気がします。(落ち葉の音を聞いたのは、こ

が初めて、まさに秋を体感できたというものです。)

好天と、このところ出雲大社の遷宮や結婚の影響であろうか、松江城にも

多くの観光客で賑わっていて、気持ちの良い散歩となりました。

~今日も良い一日であります様に~

http://youtu.be/1m0GHLyO6TA (クリックして下さい)

サルバトーレ・アダモの「インシャラー」をどうぞ

 


吊るし柿『一つ食べれば一里(4キロ)も行ける』

2014-10-26 | その他

数年前から、我が家の年中行事の一つとなっている、吊るし柿作り。

昨日、実家の兄が姪と一緒に吊るし柿用の柿を、どっさりと持って来て

くれた。

例年、産地の人の世話で入手して作るのだが、今年は量が半端ではな

い。

早いうちにと、早速柿の皮剥ぎに取り掛かったが、今年は料理用に使っ

ている皮剥ぎ器を使って見た。

これがなかなか具合が良く、綺麗に剥ぐことができた。 人が勧めること

はやって見ることだ。

しかし何分、量が多いから母さん(家内)と夜なべして~、の唱歌よろ

しく、作業に中し、フッと気が付くと既に日付は変わっていた。

まだ気温が高いため、朝夕涼しい場所に移して干す作業が、なかなか大

変だ。

この吊るし柿、江戸の昔には参勤交代の旅の保存食で重宝されたとか「

一つ食べれば一里(4キロ)行ける」さえ言われたとか、お天道様が引き出

してくれる、自然の甘さいっぱいのエネルギー源である。

~今日も良い一日であります様に~

トニーベネットノ「スマイル」をどうぞ


♪澄んだ空気に、水平線が海と空とを、くっきりと分断している♪

2014-10-24 | 風景

今日は肌に暖かい日差しの小春日和、午後の陽が一番高くなった頃を見

らって、家族3人?で、近くの浜辺に出掛けてみました。

この時期の海は風もなく穏やかで、夏の海水浴客が残して帰った、ゴミで汚

れていた浜辺も、すっかりきれいに掃除されて、とてもきれいな砂浜に生ま

れ変わっていました。

浜には人も見当たらないため、ワンちゃんのロープを放してフリーにしてや

ると、広い浜をひとり占め、日ごろの運動不足を、ここぞとばかりに、浜

の端から端まで、行ったり来たりの全力疾走、ストレス解消ができたかな。

浜辺の草むらに腰掛けると、周りには黄色い小さな花が一面に咲いてい

る。

そんな可憐な花が、程良く暖かいそよ風に揺れている。・・・・・・

この浜にはよく来るが未だ見た事もない花、ミニ待ち宵草?・・・の様な花。

膝のワンちゃんは走り過ぎて疲れたのだろう、うつらうつら舟を漕ぎだした。

澄んだ空気に水平線が、海と空を一直線にくっきりと分けている。

お陰で今日は、とても心地よい海辺の散歩となりました。

          ~今日も良い一日を~

ミカ嬢は走り疲れて、小さな足跡を砂に残しながら、波打ち際までひとり冒険

見れば見るほど、ミニ宵待ち草(花の直径2センチほど)、何と言う花でしょう

ペギーリーの「ジャニーギター」をどうぞ


♪髪のみだれに手をやれば~(美空ひばり:みだれ髪)

2014-10-22 | 風景

時代と共に、歌は世につれ世は歌につれ、「永遠の歌姫」と呼ぶにふさわし

『美空ひばり』、52歳と言う若さで早世してから、もう27年が経ちます。

しかし彼女が残した数々の歌は、今も多くの人に愛唱され、永遠に歌い継

れて行くことでしょう。

生涯で1500曲余を世に出したと言うから、まさに歌うために生まれ、歌に

命をかけた人生であったと、言えるではないでしょうか。

昭和も戦後の混乱期から、戦後の夢の復興、高度成長期、そして近代化

された現代へと、ひばりの歌は、人々の喜びにも悲しみにも、そっと寄り添

い続けきました。

美空ひばりの名曲は古くは、「悲しき口笛」「リンゴ追分」比較的新しいとこ

ろでは「川の流のように」「愛燦燦」など数々ありますが、好きな一曲、それ

は「みだれ髪」です。

故星野哲郎の作詞(船村徹作曲)、この歌の歌詞に出てくる、一つ一つの言

葉がとても美しく切なく、情感に溢れており素晴らしいと思います

例えば

 投げて届かぬ想いの糸が・・・~「糸」とは、琴の弦の意、想いの糸を投

が届かず、風に押し返されて、我が身に絡みなおさら辛い・・・

春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋・・・「二重・・・三重・・・」

の詩は、万葉の歌人、大友家持の歌

一重(ひとえ)のみ 妹(いも)が結びし 帯をすら三重(みえ) に結ふべく  

 我(あ)が身はなりぬからの着想したと言われています。

昭和60年代の初頭頃、美空ひばり肉親の度重なる不幸や、我が身の病と

の闘いの中にあり、これを何とか勇気付けようと、周囲が新曲企画を思い

立ち、この曲が出来上がったそうである。

作詞の星野哲郎は、「みだれ髪」の曲作りにあたって、福島県・いわき市・

塩矢崎を訪れ、ひとり夕暮れの波打ち際を歩き続けていると、暗い海に一

筋の光が投げかけられていた。

崖の上を見上げると、灯台が毅然として立っていた。

それは美空ひばり、そのものであった。

心はいつも孤独であるのに、人々に向かって歌と言う光を送り続けなくては

ならない。

灯台にひばりの姿を投影し、「そうだ、ひばり自身が海に向かってひたすら

男を待ち続ける悲しい女にしよう・・・」との発想から、次々にイメージが湧き

来上がった詩であとか。(みだれ髪誕生秘話:参照

福島県・いわき市の塩矢崎には、「みだれ髪」の歌碑やひばりの遺影碑が

あって、今もこの地を訪れるファンが多い様そうである。この二重三重春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋 げて届かぬ想いの投♪髪のみだれに手をやれば~  (美空ひばり)げて投げて届かぬ糸投げて届かぬ想いの糸が 

 投げて届かぬ想いの糸が

 

 


 「枯葉」 ♪枯葉が舞い集まり  思い出や後悔も集まってくる~♪

2014-10-20 | 風景

いつもの公園へと続く散歩道、両脇の歩道のメイプル並木も、ここ日の

間にすっかりと紅葉して、一段と秋の深まりを感じる様になって来ました。

枯葉の舞うこの季節になると、イブ・モンタンの『枯葉』が思い浮かびます。

この「枯葉」にはフランス語バージョンとアメリカ・バージョンがありますが、

はフランス語バージョンが、雰囲気があって好きです。

枯葉 フランス語訳

思い出してほしい
僕たちが愛し合い、幸せだった頃を
あの頃 人生は今よりずっと美しく                                        
そして太陽は光り輝いていた

箒の周りを枯葉が舞う季節になっても
ほら 忘れてはいないさ

枯葉が舞い集まり
思い出や後悔も集まってくる
やがて 北風がすべてを
冷たい夜の闇の中に運び去る

僕に歌ってくれたあの歌…
あの歌は、僕たちのことを歌っているようだ
君は僕を愛して、僕は君を愛していた
僕達はいつも一緒だった

君は僕を愛して、僕は君を愛していた
やがて時は やさしく 静かに
恋人達に別れをもたらす
そして 砂に残った二人の足跡を
波が消し去ってゆく

イブ・モンタンの「枯葉」


水鳥や 舟に菜を洗ふ 女あり  (蕪村)

2014-10-17 | 風景

中海から遡ること約一キロ、白鳥ロード脇の伯太川の堰堤(えんてい)、淵

のところどころに葦の中州が出来ている。

元は、洪水の際に川のあちこちに、上流から流れてきた土砂が堆積し、緑

根付いたものだろうと思うが、とてもいい水辺の景色を醸し出していたの

スケッチしてみた。

スケッチしている間にも、何処からか4~5羽の水鳥が飛んで来た。

まだ白鳥ロードには白鳥の姿は見られないが、既に今年の第一陣が飛来

した様なので、鴨達も今飛来中なのだろう。

今年も、宍道湖、中海周辺の水辺には、渡り鳥の大軍が、ゆらゆらと浮か

ぶ姿が見られる時期が来た様だ。

~今日も良い一日であります様に~

仲宗根美樹の「川は流れる」


野をゆけば 野菊の花の 香ぐわしく  

2014-10-15 | その他

野を行けば、ここそこに野菊の花が香ぐわしく、こぼれるほどに咲き乱れて

います。

清らかなこの花を目にする度に、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」を思い

起こします。

年配の方はご存知の方も多いと思いますが、千葉県松戸の矢切りの渡し

を渡った、農村地帯を舞台に、政夫と従姉の民子の清らかな愛(悲恋)を

描いた小説である。

 ~斎藤政夫は、15歳の少年。

 民子は、政夫のいとこで、2つ年上の17歳少女。

政夫の母は、病気がちで民子に家の事や看護をしてもらっていた。

 舞台は、千葉県松戸の近くで矢切村と言う所。

旧家の子供・政夫は、家事手伝いにきた2歳年上のいとこの民子と親しくな

る。

 しかし、二人の仲を村の者に噂されるようになる。

 母もそのことを気にかけて、二人に注意したりする。

 この母の言葉以来、二人の様子は変わってしまった。

 周りの人があれこれ言うので、かえって無邪気でいられなくなったのであ

る。

 ある秋の日、二人は家の用事で綿摘みに出かけ、畑に向かう途中野菊を

みつけた。

 「僕はもとから野菊が大好き。民さんも野菊が好き」

 「私、野菊の生まれ返りよ。野菊の花を見ると身ぶるいの出るほどかわい

いと思うの。 どうしてこんなかと、自分でも思うくらい」

 「民さんは、そんなに野菊が好き。どうりでどうやら民さんは野菊のような

人だ」・・・・・~

 これまでに幾度となく映画やドラマ化されてきた、山口百恵・松田聖子など

の”民子”が印象に残っている

そんな次第で、今日は山口百恵の演じた民子を重ねて描いて見ました。

~今日も良い一日を~


 

ミカ嬢は昨夜から風を引いたのか、引っ切り無しに咳?をし辛そうです


~青い海の向こうに、白い鉄塔が見えている~

2014-10-14 | 風景

             ~S原発のある風景~

先日、半島へツワブキを採りに出掛けた帰り道、右手に海を眺めなが

っていると、海に突き出した幾つもの突端の先の入り江に、「S原発」

い鉄とや建屋がぼんやりと見えています。

車を止めてしばらく眺めていると、この海はもう随分昔から眺めてきたはず

なのに、あの東日本大震災を経てからは、それまでとは全く違った風景に

見えて来るから不思議である。

想定外の自然災害とはいえ、一度、暴れ出したら人間の力で思い通りにコ

ントロールの出来ない原子力、そんな福島原発事故の状況を国民はまざま

ざと見せ付けられてきました。

この大事故を機に、わが国でも原発廃止・縮小論等が論議されてきている

だが、あれからわずか数年(現地の復興は未だ道半ばなのに)、気付い

て見れば、政治的思惑等も絡で、原子力発電の今後については、国民目

線では、なかなか見えにくい状況の中で、推移している様に思えてならな

い。(喉もと過ぎれば熱さも・・・)

この目の前の「S原発」も、現在は稼働を停止中である。

ただただ国民の一人として、孫子、否、人類の未来のためにも、一刻も早

い代替エネルギー確保(これも容易なことではないのだが)への道に、踏み

切るべきではないのか・・・・・と純粋に私は思う。

今日はフッとそんなことを思いつつ眺める海でした。

~今日も良い一日であります様に~

あなたと夜と音楽をジュリー・ロンドンの歌でどうぞ~


庭石や 草皆枯れて 石蕗の花 子規

2014-10-13 | 風景

時折、強い海風が吹き上げてくる、日本海を見下ろす断崖の先端、風になびく形の松の根方、

岩の窪みの少しの土に張り付く様に、ツワブキ(石蕗:艶蕗)の花が咲いている。

釣り場へと続く石道脇の、松の木陰や、盛り上がった岩の陰に、目に鮮やかな黄色いツワブキ

の花が咲いている

この蕗は、「石蕗:艶蕗」と言われるように、石(ツワ)蕗あるいは、艶(ツヤ)葉蕗(艶のある葉

の蕗)が転じてツワブキとなったそうな。

海辺に住む人達は、昔からこの艶葉になる前の、赤味を帯びた若い蕗を摘んできて、うまい具

合に煮て食べる。

今では、このツワブキが、「道の駅」などで売られていて、私はよく買ってきて食べるのだが、

に蕗独特の癖があって、これがまた格別に美味しい。

これから季節、風が吹き荒れるだけの殺風景な海辺に、ツワブキの花が物陰から、そっと彩り

を添えてくれる。

当県西端の「西の小京都:津和野町」の、地名の由来は「石(ツワ)蕗の野」であると言われてお

、何かしらの縁(えにし)を感じる野草である。

~先程から、台風が近づきつつあり、少し風が出てきた様だ。~


南瓜や 糸瓜の従弟 茄子の叔父 (子規)

2014-10-11 | その他

今日は久し振りに、某温泉に入りに行ってみた。

ここの湯は、少し熱目のお湯であるが、ゆっくりと首まで浸かると、思わず

「極楽、ごくらく」と、言葉が自然に出てくるのが可笑しくて・・・ひとり苦笑。

露天風呂に移ったり、高みから落ちてくる打たせ湯に肩を打たせたり、また

サウナにもどり、ゆっくりと約1時間もかけて入浴した。

湯当たりする前に風呂から上がると、休憩室において湯上りのコーヒー牛

乳を飲みながら、それともなしにテレビを見ていると、横の飾棚に”小さなカ

ボチャ”が飾ってある。

これは作り物なのか・・・それとも本物のカボチャなのだろうかと思案。

すると「これは本物なんですヨ。」と、隣で休憩していた方が(農家の)、私が

訝しがっていると見たのだろう、そっと教えてくれた。

ミニチュアで彩りもとても綺麗で、最近このカボチャを飾り物にする人が結

構多いらしい。

その農家の方は、毎年自分で栽培しているとかで、自然と話が弾む。

カボチャの名は、栗坊・プッチーニ・スイート〇〇〇・錦甘露〇〇等々、いつ

か当ブログでもUPした、「坊ちゃんカボチャ」の一種で、なかなか美味

カボチャだそうな・・・いや~、今日はひょんな事から、カボチャの講義を受

けてしまた。

しかし、このカボチャ小さいだけに場所も取らないらしく、「我が家も来年は

って見ようかな」という気にさせられてしまった。

 

 


 ♪実りの秋・稲刈りもここまで進みましたよ♪

2014-10-10 | 風景

今日は久し振りに「稲刈りはどこまで進んだのだろうか」と、春先によ

く歩く、田園コースまで散歩の足を延ばして見ました。

ここも秋真っ盛り、あちこちの田んぼで農家の方が、稲刈り機や脱穀

機を使って忙しそうに農作業に取り組んでいます。

稲の刈り入れも段々と進んで、早稲と遅植え(黄金色と黄緑色)の対

が、まるで大きなパズルを並べた様に、美しく転々と広がっていま

す。

 

当地は、あの各地を襲った台風の被害も、幸いなことになくて豊作だ

った様、農家の方の表情も心なし明るく、農作業に汗を流しています。

 

もう少し季節が移ると、すっかりと刈り取られた田んぼで、稲藁やゴミ

を焼く煙が集落をすっぽりと覆うほどに立ち込め、農村独特の田園風

景が見られる季節が巡ってきます。

    ~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~

世界的バイオリニスト・庄司紗矢香のメンデルスゾーン「バイオリン協奏曲第一楽章」