タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

巡りあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな(紫式部・蘆山邸にて)

2012-06-30 | 植物

庭のキキョウ一株が、毎年、慎ましやかに十輪ほどの花を付ける、そんな時期になりました。

この花が終わる頃には、益々陽射しの強い本格的な夏に入ります。

花の中には、花の形がそのまま名前となった、ケイトウ、トケイソウ、ホタルブクロ等沢山あり

ますが、このキキョウも蕾が、釣鐘や風船に見立てられることから、英名「ベル(つり鐘)フラワ

ー」「バルン(風船)フラワー」と名付けられています。

ところで「花はなぜこんなに美しいのか?」、考えたこと有りませんよネ。 

少し調べて見ました。

紫外線の強い春夏、人にとっても花にとっても、有害な「活性酸素」を発生させ、病気や老化、

色素変化の大きな要因となっています。

ところが花は、「アントシアニン」と「カロテン」という、花を綺麗に見せる二大色素(併せて紫外

線の害を消す抗酸化物質を出す)をもっているのです。

アントシアニンは酸性やアルカリ性液に反応して色が「七変化」し、カロテンは黄色系の色素で

す。

だから花は、紫外線を浴びれば浴びるほど益々綺麗で鮮やかな色になるのです。

高山植物の花がきれいで鮮やかなのは、空気が澄み強い紫外線を浴びるからです。

(納得!?)

これは、美しい花の科学的根拠ですが、やはり花を観る側の人間の心、そう「心眼」を開いて観

ているのかどうか?、と言うことではないのかと私は思うのですが?

ちなみにこのキキョウの花、京都御所の近くにある「蘆山寺」の庭園のキキョウが有名の様です。

この寺は、あの「紫式部」が源氏物語を書いた邸宅のあった場所で、きっと文机に向かい庭の桔

梗の花を眺めながら執筆したことでしょう。

そう言えば若い頃、京都御苑の隣のこの寺に、妹と一緒に確かに行った覚えがあります。

しかし庭園の桔梗の花については、当方の記憶には一切ありません。

                ~今日も良い一日を~


松江の古き良き家並み!

2012-06-29 | 風景

~松江市・石橋町の家並み~

 明治15年創業のR酒造の店舗と蔵が軒を連ね静かな

佇まいを見せています。

ここにも出雲神話のヤマタノオロチが酔い痴れた「酒」、

その酒造技術が、出雲杜氏の技に引き継がれて、水清

きこの地に今も脈々と息づいています。

      ~今日も良い一日を~


松江の古き良き家並みです!

2012-06-28 | 風景

 

~松江市・石橋町商家の家並み~

松江城築城時に鬼門封じの寺として建立された、高野山・真言宗「千手院」(枝垂れ桜の名所)

の坂を下った路地、ここに建ち並ぶベンガラ色の蔵群は、明治8年創業の醤油屋、この蔵

の中には業当時(約180年前)からの木桶100本が、今も活躍している様です。

 この一帯は、古くから良質の井戸水が湧くことから、造り酒屋や醤油蔵が軒を並べ、城下

の暮らしや文化が今に息づいています。

民家や商家の屋根を見上げると、江戸時代の瓦と現代瓦が隣り合わせ、今昔が自然に融

した静かな家並みを形成しています。

いつも通る道から少し外れて、路地裏をゆっくりと歩き、道端に腰掛けてスケッチをしている

行く人が「こんにちわ」と気軽に話しけて通るなど、ほのぼのとした気持ちにしてくれる

町です。

               ~今日も良い一日を~

 

 

 

 

 


風に乗り 泰山木の 香りたつ。

2012-06-27 | 植物

公園に、今、「タイサンボク」の花が咲いています。

大木になるためか町家の庭木としては不似合いで、主に公園や庭園に植えられていて、

しかも、高みに咲いて花期が非常に短いため「いつの間にか、花が終わっていた」そん

花です。

葉や花の大きさから、中国・山東省の霊山・泰山に例えられ、「泰山木」とも言われます

が、意外や北アメリカ原産の外来花木とか。

強い芳香を放ちますが、実家の庭に大木があって、子供の頃から開花時期にはよじ登

て慣れ親しんできた、この花の香りが私は大好きです。

中国で言うところの「三大芳香花キンモクセイ、ジンチョウゲ、クチナシ)」には日っていませ

が、バラ等と供に胸を張ってエントリーできる花です。(♪旅路の果てまでついて来る・・・)

純白の絹肌の重厚な花弁は、蓮の花の様に開花の瞬間、「ポッ」と音がする様な気がし

ますが、さてそれは如何なものでしょうか?

ちなみに「蓮の花」は、古くから開花音がすると謂われてきましたが、実際に集音実験を

者曰く、「音はしなかった。」と言うのが真相の様です。

しかし、謂われに基づいて、子供に「花音・カオン・かおん」等と命名する洒落人も居て、

我が国の言葉遊びの世界や風雅さにはロマンがあっていいですネ。

例によってすっかり道草を食ってしまいました。・・・ではでは、また!

         ~今日も良い一日であります様に~ 

 

 

 


朝の雨 蓮ある池を 見て過ぎる。   (正岡子規)

2012-06-26 | 植物

一足早いですが、待ち切れずに行って来ました。

出雲市・「荒神谷」の古代ハスの花は、チラホラと咲き始めたところでした。

この分では7月上旬頃には、池いっぱいに大輪の花が咲き揃うのではないでしょうか。

このハスの花は、1951年、千葉県落合遺跡発掘の際、大賀一郎博士(関東学院大講師)

等の努力によって、舟溜まりと見られる場所の、丸木舟ノアの箱舟?)から3粒の種

発見され、再生が試みられた結果、後の一粒発芽、開花したものだそうです。

通称「2000年ハス」等と呼ばれていますが、最近、米国の権威ある機関の調査による

、3000年以上前とも言われています。

甦った古代ハスは、その後、国内外に送られ、大田市に送られたものが、ここ荒神谷遺

跡公園にもお裾分けされたもの様です。

大田市では、1965年奇しくも大賀博士が他界されたその日に開花したそうです。

何かしら仏や神の存在を感じさせる花です。

今日は、ハスの花を観た後、358本の銅剣や銅鐸、銅矛の発掘場所も観て帰りま

した。

★荒神谷遺跡の青銅器群                    (2011・12・21)


城山の 野の花きよし 石に咲き。

2012-06-25 | 植物

今日も、ワンちゃんの日課の散歩で、松江城周辺の散策に出掛けてみました。

二の丸下の段の石垣沿いを歩いていると、野面石垣の隙間、すきまにピンク色の可憐な花が

咲いるのを見つけました。

ブログを始めてから、季節の移ろいを感じながら、丁寧に自然観察をする様になりましたが、

ハートつ葉(常に幸せ?)に、雑草にしては鮮やか過ぎるピンクの、この花を観るのは初

てで、花で名前が分からない。

記憶に留めて家に帰ると、早速、調べに調べた結果、「ムラサキカタバミ」だと言う事が分かり

ましたが、花の解説文これがなかなか面白い。

江戸時代に外来、帰化した花で、開花の時期を迎えると、同じ花弁が、朝に開花して夕暮れに

閉じる、これを3日間繰り返と言います。

この不思議な花の咲き方は、この花が「光を感じると花を開く」「気温が上昇すると花を開く」

言う二性質からくるものの様です。

さらに「開花から約10時間後に萎む」という性質もあるそうで、花が夕方になると閉じるのは、

「一日の終り」だからという意味ではなくて、朝開花してから、たまたま10時間後が夕方だとい

うことなのだそうです。

また、開花には気温や朝の日照が関与しているのに、萎む時は単に約束の10時間が過ぎた

からのもとても面白い

この可憐で美しい花を観るチャンスは、3回(30時間)だけ与えられると言うのも、何やら人生に

おいて、頑張れば与えられると言われる、3回のチャンスている気がします。

              ~今日も良い一日を~



~松江城・二の丸下の段の石垣~

 

 

 

 


ほんのりと 紅をさしたる 天魚(アマゴ)かな。

2012-06-24 | その他

昔の釣り仲間からアマゴとヤマメを頂きました。

渓流魚の中でも天魚(アマゴ)は体側にほんのり紅をさし魚体の美しくさが、釣

り人を魅了して止みません。(山女・ヤマメと良く似ている)

この人は、海川両刀の達人で、昔は家族で隠岐島への釣行をご一緒したりし

ていましたが、最近、彼は渓流釣り専念している様です。

私は以前に同僚の手解きで、奥出雲の渓流に出掛け、小振りのヤマメと岩魚

を数匹釣ったことがありますが、後にも先にもこれ一回だけです。

この時は、釣りよりも渓流の畔で、山菜の天ぷらを揚げて食べた印象強く残っ

ており、したがって以後、海釣りへの一本道を歩いていますが、しかし淡水魚も

食べることは大好きです。

特に「鮎」は、子供の頃、父親が落ち鮎をすくい上げる「四手網漁」に何回か連

て行ってくれた思い出もあって好きな魚の一つです。

家内は、鮎に似た淡白な味のヤマメが、「鮎よりも好き!」等と贅沢を言ってい

ます。

             ~今日も良い一日を~

 

 

 

 


静かさや 菖蒲花咲く 美人塚。

2012-06-23 | 風景

新聞に出ていた松江市・上意東にある、美人塚」の菖蒲の花

を見に行きました。

塚の場所が分からず、車を止めて思案していると、木陰で休憩

していた土地の古老二人(ご婦人)、「どこへ行きなさるかね?」

逆に声を掛けられた。

美人塚の所在について尋ねると、地元に今も伝わる「大江美人

伝説」を、問ず語りに(いや失礼!)延々と聞かされました。

大江(だいご)美人伝説

昔々、室町の頃(たかだか680年ほど前の話)、京都に足利将軍の御

殿があったげな・・・

松江市東出雲町上意東の、此処だいご大江の里に一人の 

子が生まれ、この子は成長するに従い、輝くように美しい娘と

なり、「大江美人」と村中の評判でした。

娘は年頃になると、近郷から婿を迎え相思相愛、片時も一緒に

居たと思う二人でしたが、働かなくては食べて行けず、男は昼間

は外で野良仕事、女は屋家で針仕事をしなくてはならず、何時も

一緒に過ごすという訳には行きません。

男は思案の末、地元の絵師に妻の絵を描かせ、この絵を野良仕

の時も手元に置き働いておりました。

ある日野良仕事をしていると、西の方から強い風が吹いて来て、

が空に舞い上がってしまいました。

それから数日の後、東方の将軍家の庭に絵は落ちたげな・・・

この絵が、時の将軍の目に止まり、「西国に、この絵の美人がき

っと居るはずだ。 連れて参れ」と部下に命じ、とうとう出雲の国

上意東の地で探しあて京都に連れ帰らせました。

男は最愛の妻を連れ去られ、悲しい日々を送っておりましたが、

風の便りに55日の端午の節句には、「菖蒲売り」が将軍家の

庭に入ることを許されると聞き、近くの池で菖蒲の花を刈り取り、

早速、京都に向け昼夜を問わず歩き続け、遂に京都に着きまし

た。

しかし既に節句の翌5月6日になってしまっておりました。

御殿には入れてもらえないため、塀の外から「菖蒲~や、菖蒲」

と悲しい声で売り歩きました。

御殿の人達は、「6日の菖蒲売りが来た」と笑いましたが、その

声を夫の声と聞き分けた妻は、こっそり外に抜け出して、夫と会

う事が出来ました。

二人は、その晩打ち合わせ通り御殿を逃げ出し、人目を忍んで

逃げに逃げ、ある朝やっと懐かしい意東川の畔に辿り着きまし

た。

南を望むと、生まれ故郷の上意東の山々がぼんやりと見え、女

は張り詰めていた気持が一気に緩んで、そのままそこで息絶え

てしまい、男は泣きながら、女を故郷の地に葬ってやりました。

こののち上意東の人々は、この話を語り継ぎ(この様に?)、こ

の美人塚に花や線香を手向けて、薄命の大江美人の供養をす

る様になりましたげな・・・

口伝の悲話にふさわしく、路傍の塚は小さな菖蒲の畑の花に囲

まれて、心なしか静かに咲いていました。

五輪のは、上から「宝珠の空輪」「晴花の風輪」「笠の火輪」

「塔身の水輪」「基礎の地輪」と呼ばれ、時の流れに風化し苔生

しており、古老の迫力ある話や、塚の存在からも、強い夫婦の絆

を感じさせられる一日となりました。

             ~今日も良い一日を~