タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

「花開き花落つ二十日 一城の人狂うが如し」(白楽天)

2012-04-30 | 植物

今年二回目の大根島(松江市)への「ぼたん」見物に、お客さんを

案内して来ました。

あるぼたん園の、広大な庭園の至るところに八重、一重の様々な

色のぼたんが満開時季を迎え、 他にも霧島ツツジやシャクナゲ、

池には錦鯉が泳いでいたりで、良い目の保養になりました。

さすがにGW中とあって、 全国各地から多くの観で賑わって

います。

理想的な美人の慣用句「立てば芍薬座れば牡丹、、 」今回はぼ

たんの立ち姿は記憶に留め、屋内の池に浮かべられた「牡丹と

菊」の趣を引いたため、描きとめてみました。

今、島の畑は一面に牡丹が咲き乱れ、「牡丹の島」そのもので

す。

(ミカちゃん日記)

(お久し振りです。  最近、わたし少しメタボ気味で、ダイエ

ット中です。 ブロブ更新中のお父さんに抱っこしてもらって、

二番寝するのが癖になってしまいました。)

「メタボ二 ナッタノハ オトウサンガ オコボレヲ ナイショ

デ ワタシニ タベサセテ イタノガ ゲンイン  オトウサン

ワルイ オトウサン パソコンノマエニ スワッタラ ワタ

シノコト ミテクレナイカラ オジャマムシ シテイルンデス」

    ~今日も良い一日を~


♪あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ しのばるる~

2012-04-29 | 静物

浜辺の歌(作詞・林古渓 作曲・成田為三)

1 あした(朝)浜辺を さまよえば 昔のことぞ しの(偲)ばるる

  風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝のいろも

2 ゆうべ(夕)浜辺を もとおれば 昔の人ぞ しの(偲)ばるる

  寄する波よ 返す波よ 月の色も 星の影も

美しい日本の歌曲(唱歌)です。

原詩は、第3節・4節もあった様ですが、古渓自身が

歌われるれる事を望まず、その後、歌曲からは削ら

れているようです。

初版の歌詞の表紙に竹久夢二の美人画が使われてい

る様で、 そこら辺りに何やら「望まなかった理由」

が隠されている様な気がします? 

少し考え過ぎかも?

このスケッチは、松江市近郊の海で、寄せては返す

波に、砂浜に打ち上げられた貝殻を拾い集めたもの

です。

子供の頃、貝殻に耳をそっと当てると、波の音が聞

こえてくると教えられ、さざ波の音を聞いた覚えが

あります?

実際に、聞こえる科学的根拠があると言います。

それを言っちゃ~、夢が壊れてしまう

それはともかく、貝殻は見た目にも人を海へと(い

ざな)う魅力がありすネ。

             ~今日も良い一日を~

☆ 時々、海を見に行く古浦の浜辺 ☆


山菜を、摘みつみ山の、奥ふかく。

2012-04-28 | 植物

この時期、山道を歩いていると、ビニール袋を持った山菜狩りの

人達に出会う。

「わらび」採りの人が多いようだ。

タラの芽、ゼンマイ、山椒、蕗、滝菜、わさび、コシアブラの芽等、

今年も山菜の美味しい季節がやって来た。

散歩の途中、ちょっと横道に入りわらびを一握りだけ採って来た。

家庭ではあまり作られないと思うが、わらびの酢の物は、意外に

いける。

わらびは、奥山の日当たりのよい斜面などに、肉厚の良いものが

生えている。

連休には「山菜の女王」コシアブラの芽を、是非採りに行って見たい。

           ~今日も良い一日を~

 

 

 


黄カラーの、りりしい姿、美しく。

2012-04-27 | 植物

これ、なにか分かりますか?

そうです、初夏から背筋がピンと伸ばして、トランペ

トの様な綺麗な花のく「カラー」の球根です!

姪が、 1時間掛けて遠いところを持って来てくれた

、特別なものでところどころ芽を吹き出していて、既

植え付け時期が来ているので、「カラーの育て方」

を片手に、今日花壇に植え付けました。

アゲハ蝶等と一緒で、幼虫や球根の時には御

にも美人とは言えませんが、これがマニュアル通り

育ってくれたら、絶世の美女に変身するはずです。

ちょっと楽しみです。

何としても、綺麗な花を咲かせたい!

でもマニュアルによると、花が咲くまで気が抜けず、

かなか一筋縄では行きそうになく難しそうです。

必ず咲かそうと云う熱意で、!乞うご期待を! と云

ところ。

☆これが、変身後の美女です。


むらさきの、あけびの花が、空高く。

2012-04-26 | 植物

妻が短く千切ったツル草を手に、「こんな花初め

見た、何の花だろう?」と持ってきました。

「これは、秋の味覚、あけびの花だよ。」と私。

紫色の米粒のような小さな小さな花が、ツルの

に無数に咲いているけど、良く見ると雄花と

花が別居しているのかな?

軒の外壁に屋根まで届く勢いで伸びています

これまで花が咲い試しがなく、何の花か分

からなかったようです。

あけびの実は、 多くの人が知っている実が割

る代表的な秋山の果実です。

天智天皇が、民から教えられて食し「むべなる

な」と、その美味しさに驚嘆した霊果とされる

「ムべ」と非常に良く似ていますが、さて味の程

は如何でしょうか?

今年の秋には、食べ比べてみたい!

昨秋、裏山で採って来た「あけび」ですが、甘くて

懐かしい味でした。

無数の種の周りに白い果肉が着き、美味しいけ

ど沢山食べると顎がだるくなる。

 

 


♪村の鎮守の神様の~ ♪今日はめでたい御祭り日~

2012-04-25 | 風景

今日は、足を少し延ばして、田園地帯の小道を歩いて見ました。

その集落の鎮守の森が、何やら賑やかで村祭りに遭遇した様です。

♪村の鎮守の神様の~♪今日はめでたい御祭り日~(唱歌村祭り)

久し振りに日本の原風景とも言うべき、「鎮守の森の村祭り」に出

ってほのぼのとした心地がしてきました。

大幟(のぼり)旗が立ち、屋台が建ち並び、神主さんが恭しく立ち

働き、 今日ばかりは村人(氏子)達が鎮守の森の神様(氏神様)に祈

りを捧げる日です。

今でこそ、神社や鎮守の森にお参りに行くのは、初詣、七五三、村

祭り等、ほんの限られた機会だけになりましたが、本来は人間の八

百万神信仰が原点、 高山・巨石・古木・森等には、神が降りて来る

との信仰が元で、「鎮守の森」はすぐ身近にあって子供の頃、よく遊

行ったものです。

る意味、生活に密着した「日常的な祈りの場」でもあった様な気がし

ます。

ですから「鎮守の森」には、子供心に一つや二つ印象に残る出来事が

必ずあるものです。

私は、ここの村人ではありませんが、お参りをして来ました。

          ~今日も良い一日を~

 

 

 

 

 

 

 


しずやしず しずのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな。(静御前)

2012-04-24 | 植物

今年もおだまき(苧環)の花がまた咲き始めました。

花の形が、昔の糸を繰る道具に似ていることから、この名が付いたと云うことで、

「繰り返す」という言葉の枕詞になっています。

源義経が愛した静御前が、「しずやしず しずのおだまき 繰り返し むかしを今に

なすよしもがな」と詠んだ花です。

 この花に因んだ、こんな超純愛物語があります。

白拍子(酒席にはべり、舞いを舞ったりする芸者の様なもので、身分は卑しいものとされた)の 静御前は、

飛び切りの美人で当世一流の売れっ子、これが奇襲戦の名手で連戦連勝の武将

義経と出会い恋に落ちました。

しかし、義経は兄と慕う源頼朝のために戦功を上げたにもかかわらず、うとまれ怒

りを買い、冷たくあしらわれた挙句に都を追われてしまいます。

都落ちした際、多くの愛人の中で最後まで義経に従ったのは静御前ただ一人、そ

の後の義経と静御前一行の艱難辛苦の逃避行は、ついに吉野の山中を彷徨い生

き別れてしまうことになります。 

この時、静御前は義経の子を身ごもっていました。

その後、義経探索に血眼で当たっていた頼朝から、静御前は鎌倉の都に呼びつけ

られます。

頼朝の妻・政子が、「日本一の静御前の舞いが見たい」との名目で、静御前を呼び

つけますが、頼朝には、この機会に腹の子(義経の)を裂き殺そうとの狙いがあった

のです。

源氏の氏神・鶴岡八幡宮に「鎌倉万歳」を祝う奉納の日が決まり、静御前がその祝

いの舞台で日本一の舞を舞うため、鶴岡八幡宮は大変な盛り上がりを見せていまし

た。

舞台に進み出ると「静という白拍子にございます」と名乗り、「吉野山 峰の白雪 踏

み分けて 入りにし人の あとぞ 恋しき」と、あろうことか義経恋唄を唄い上げ、続け

て「しず(賊・身分の低い者の服布)やしず  しずのおだまき  繰り返し むかしを今に なすよ

しもがな」と舞ったのです。

「白拍子として蔑まれながら、鎌倉にまで呼びつけられた私だけれど、義経を想う心

に嘘偽りはありません。 昔、華やかだったころの様に、義経とともに幸せに暮らした

い」と詠ったものでしす。

静御前は、義経を心から愛するが故に、絶体絶命のこの状況下で、「鎌倉万歳」どこ

ろか「義経恋しや」と唄い、古今集の「しずのおだまき」に掛けて、「貴方(頼朝)も昔は流

人、今は栄華を極めても、やがて衰しき身となるは、世の繰りごと」と、呪い、皮肉った

のです。

これに激怒した頼朝を、妻の政子が「女の気持とはそういうものです。」と諌め、結局、

頼朝は衆人の前で恥をさらしたのです。

静御前が見せた毅然とした態度と、これを受けとめた政子の心が、人々を感動させ後

世にまで語り継がれる事となったのです。

源義経も静御前も、今で言う世渡り下手で不器用な、純な人間だったんですね。

だから、この時代にこんな純愛が成立したのでしょう。

しかし良く考えて見て下さい、我々本当に命を懸けても成し遂げることがあるでしょうか?

何であれ、命を懸けても人を愛する勇気は、今も圧倒的な迫力があります。

                ~今日も良い一日を~


夢のせて、大空をゆく、ラジコン機。

2012-04-23 | 風景

休日に、郊外のだだっ広い工場用地の広場に出掛けると、

時々、定年前後の大きな子供達が、ラジコン飛行機やヘリ

コプターを飛ばして、無邪気に遊んでいるのを見掛けます。

小学生の頃、大人に、「将来何になるの?」と聞かれると、

「先生・機関士・お巡りさん・お医者さん」等と答える中に、

必ず「パイロット」と胸を張る子がいました。

大空を飛ぶ仕事は、昔も今も男の子の憧れの仕事の一

つなのかもしれません。

「操縦桿を握り、大空を自由に飛んでみたい。」そんなロ

マンを、男達はいつまでも追い駆ける生き物の様です。

今日も子供の頃の夢を乗せて、青空にラジコン飛行機は

飛んでいます。

       ~今日も良い一日を~