「風の丘」の広場には、たくさんのタンポポの綿帽子が秋の風に揺れています。
時折吹く強い風が、白い羽根トンボの様な綿毛の種を、空高く舞い上げてどこか
に飛んでゆきます。
タンポポの茎もこの春先には、地に這う程に短かったはずなのに、何時の間に種
を遠くに飛ばすように工夫したのでしょうか、思い切り背伸びして、背伸びして、今
ではスクッと立ち上がっているかの様です。
創造主は万物に、その誕生に使命を与えたのでしょう、タンポポも風の吹く頃には
自ら背をいっぱいに伸ばし、吹き上げるその”風には”遠くへ遠くへと、種を運ばせ
る役目を与えたのでしょう。
同じ様に、今が旬の柿の実も、一番美味しい時期に実を人々に与えて、残った美
味しく熟した柿の実は、鳥達を誘い、飛んで来た鳥達は嬉々として実を啄み、そし
てひと山もふた山も越えた、山の向こうに運んで行って、春には芽吹かせる。
そんな永遠に繰り返される、何気ない自然の営みをぼんやりと眺めていると・・・・
この世に生まれい出る生きとし生けるもの全て、神から何らかの役割を与えられて
誕生したものであり、その役割を果たすために、懸命に生きているなだと言う事を
あらためて自覚させられるのである。
人みな、与えられた人生を精いっぱいに生き抜くことこそ、この世に生まれた使命な
のだ。と・・・・・思うのです。
~今日も良い一日を~
金子みすゞの「 星とたんぽぽ」を思い出しました。
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ
金子みすゞの詩、私も好きです。
「星とたんぽぽ」いい詩ですね。
世の中には、この眼に見えないものは、沢山あるけど、天はそっと見ているんですよね。
この詩・・・私には誰恥じることなく生きよと、諭している様に思えます。
絵にも、文章にも。
今日は大変こちらは風が強く、
自転車で配達少し苦労したのですが、
それくらい、なんですかと、
あるいは、もっとやさしく、
生きとし生けるものは何かでがんばって
いきていくんだよと、言われているようでした。有難うございます^^
やわらかな色の優しい絵と心に染み入る文章です。
>与えられた人生を精いっぱいに生き抜くこと
この世に生まれた使命・・・誰もが持って生まれたのですね。
「ゴマメのばーばさん」のコメント欄の金子みすゞの詩にも心打たれました。
きょう、この記事に出会えたことを嬉しく思います。
金子みすゞの詩と一緒に、宮澤賢治の童話「おきなぐさ」も思い出したものですから。
〈うずのしゅげを知っていますか………〉で始まる、「おきなぐさ」。
やがて、実を結び、それから風に乗って飛び去っていきます。
ヒバリ との会話です。
〈「どうです。飛(と)んで行くのはいやですか」
「なんともありません。僕(ぼく)たちの仕事(しごと)はもう済(す)んだんです」
「こわかありませんか」
「いいえ、飛(と)んだってどこへ行ったって野はらはお日さんのひかりでいっぱいですよ。僕(ぼく)たちばらばらになろうたって、どこかのたまり水の上に落(お)ちようたって、お日さんちゃんと見ていらっしゃるんですよ」
奇麗(きれい)なすきとおった風がやって参(まい)りました。まず向(む)こうのポプラをひるがえし、青の燕麦(オート)に波(なみ)をたてそれから丘(おか)にのぼって来ました。
うずのしゅげは光ってまるで踊(おど)るようにふらふらして叫(さけ)びました。
「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがとうございました」
そして、天に昇ったうずのしゅげは、変光星になったのです。
私は、そんなkaoさんの生き方に励まされ、学ばせてもらいながら幸せな気持ちで日々を過ごしています。
人生これで良しと言うことがないだけに、私は迷いながらも、ただただ淡々と普通に生き抜くことができればと思っています。
という詩集に出会い、深く感じ入るところがありました。
ぜひ読んで見られてはと思います。
とても心地よい詩です。
3年ほど前、当県の国立公園でおきな草の再生活動を見に行き、おきな草を描き、ブログに取り上げた際に、宮澤賢治の童話「おきなぐさ」に出会いました。
あの童話は、大宇宙の営みを高らかに謳い上げていて、「生きることの素晴らしさ・命尽きても魂は生き続けること・そして再生」のメッセージだったのではと、感銘を受けたものです。
たしか早世された妹さんへの愛を詠ったものだったのでは・・・ と、
自然を愛し、人を愛し・平和を愛した賢治素晴らしい人だったと思います。
私のところへも飛んできて
街も心も温めてと殺伐とした街の片隅で
生活してる者には思えます^^
神は私に何の役割を与えたのだろう?
重い言葉ですね。
日常的に使われ、そうしない者は罪悪かのような、
風潮がありますが、私は、実はそう言う考え方ちょっと苦手なのです。
人それぞれに懸命に生きることこそ、結果として世のため人のためになっていればそれが、一番だとおもうからです。
この種の事は、声高にいうべきことではないのではと、思うっています。
人としてこの世に生まれ、ん与えられた役割とは、果たして何なのでしょうか!
一生追い求めることになるのかもしれません。