一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

藤子不二雄Ⓐさん、逝去

2022-04-08 23:48:39 | プライベート
7日、マンガ家の藤子不二雄Ⓐさんが亡くなった。享年88歳。
藤子不二雄Ⓐこと安孫子素雄さんは1951年、藤本弘さんとコンビを組み、マンガ家として活動を開始した。
当初発表されるマンガはすべて合作だったが、やがて制作の方向性に違いが生じ、個別にマンガを描くようになる。定説では、「オバケのQ太郎」が最後の合作とされる。
しかしこれは後年になって明らかになったことで、当時の私たちは、「ドラえもん」も「魔太郎がくる!」も、「パーマン」も「プロゴルファー猿」も、すべて合作で描かれていると信じていた。それにしてはタッチが違いすぎるなあ……と、訝しんではいたのだが。
あれは1986年3月16日だったと思う。私は中学時代の級友に誘われ、映画館に「大人だけのドラえもんオールナイト」を見に行った。これは本当に18歳以上の男女しか入れない、オールナイト上映のドラえもん映画だった。
その日は安孫子素雄さんが舞台挨拶に現れた。
「藤子不二雄は2人いるんで、こういう時は便利で、2つの映画館に行けます」
と、安孫子素雄さんは客席の笑いを取った。実はこれが私にとっても貴重な体験で、マンガ家を生で拝見したのはこの時しかない。
藤子不二雄は1987年にコンビを解消し、安孫子素雄さんは「藤子不二雄Ⓐ」名義で活動を開始。この時にそれぞれの作品が明らかになったが、藤子不二雄Ⓐさんの作品はブラックユーモアが主になっていて、「なるほど」と納得したものだった。
そんな藤子不二雄Ⓐさんが後年力を入れたマンガが、自伝的マンガとなる「少年時代」だった。これは後に映画化もされたが、これには心温まるエピソードがある。
藤子不二雄Ⓐさんは井上陽水さんに映画の主題歌を依頼したが、陽水さんが首をタテに振らない。
しかし「安孫子先生が作詞してくれるなら作曲しますよ」と陽水さんが条件を出すと、藤子不二雄Ⓐさんは詞を作り、陽水さんに渡した。
しかし出来上がった曲には、藤子不二雄Ⓐさんの詞は1行も使われていなかった。
曲が終わっても、藤子不二雄Ⓐさんは黙ったまま動かない。陽水さんは「安孫子さんを怒らせてしまった……」とおののいたが、真相は違った。陽水さんの作った曲があまりにも素晴らしく、藤子不二雄Ⓐさんは感動のあまり、声を発することができなかったのである。

1996年に藤本弘さんが62歳で急逝してからは、安孫子素雄さんは「ひとり藤子不二雄」として、それまで以上に幅広く活動した。
米寿での逝去は大往生といえるかもしれないが、人生100年時代、藤本弘さんの分まで、もっともっと、長生きしてほしかったと思う。
少年少女の永遠のヒーローに、合掌。
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