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今日も日々是好日

思うままに綴っています
ブログによって新たな自分を発見!?

私の祈りとは?

2012-05-11 10:12:58 | 日記(~2023年)
主人の実家は信仰を持っていて、嫁いだ私も自然と信仰に触れるようになった
私も信仰心を持たねば…と頑張ってきました。
姑さんは信仰心があることを素晴らしく優れていると思っているようですが、考え方や行動を見ていると疑問に思う事がある。

目に見えない大きな力に生かされていることは否定しないが、そういう大きな力や奇跡を願う信仰にはどうしても馴染めなくなりました。

例えば、大学受験をするのに勉強しないで祈っているような感じなのだ。
目標を達成する為に、まず今自分が何をしなければいけないかを考えることなく、ただひたすら祈っている(願掛け)ような…

感謝もするけど、神仏をあてにしたお願い重視の信仰には疑問を持つ。
夫婦だから一緒の信仰をせねば…と思っていたけど、私は私なりの考え方を持とうと思った。

極端な話、神仏にはお願いはしないほうがよいと思う。

だって、どんなに祈っても叶わないことがある。
そんな事が多い世の中なのに、一つ一つ事象を挙げて「○○になりますように」とお祈りしても幸せになれないと思う。人間の欲って際限がないから、次々とお願いしたいことがでてくる。その度にお祈りをしてたらお祈りだけで一生が終わってしまうだろうし、叶わなかったら神仏を恨んでしまうんじゃないかと思う。

「これだけお祈りしたから絶対良くなる」なんて100%保証はない。
今自分に何ができるのか考え、自分ができることを頑張っていれば、たとえ自分が望まない結果になったとしてもいつか納得できるのではないか…


「ここに在る不思議」山本ふみこさんのコラムを読み、神仏に祈る事だけが祈りではないと思えるようになった。


信仰や祈りに対して立ち止まった時はいつもこのコラムを読み返してみるのだ。