
この川柳は、iinaがよく聴くラジオ番組「荒川強啓 デイ・キャッチ!」の「勝ち抜き時事川柳」で先週に勝ち残った作品。
荒川の河川敷に穴を掘り「真犯人メール」を送信したスマート・フォンを埋めたことが、彼にとってその穴は「墓穴」になってしまった。
自作自演の偽装が失敗した後、本件の威力業務妨害容疑についても「自分が真犯人である」ことを認めた。
この遠隔操作ウイルス事件では、彼の操作によって4名が誤認逮捕され、危うく罪に堕されるところだったわけだから、悪質性が高い。
そこで、
いつも感じるのは、冤罪だと積極的に運動する者たちがいること。何を根拠に冤罪だと信じるのかと不審に思っていた。
犯人とされた者が無実だというから、「司法に反対するため」に”とりあえず支援する”のだろうか。万一、有罪が逆転して無罪にでもなれば、もうけもの。その事件に係わったと知的好奇心ないし刺激が得られる。或いは、何らかの有利なことでもあるのだろうか。
何にでも反対したがる人というのはいるものだが、そんな類の者たちとも思えないが、この事件の場合は、明らかに犯人に騙された。
袴田事件では、死刑判決が確定したが冤罪を訴えDNA鑑定の結果、今年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審が決定した。
こんな自白偏重で極刑にされてはかなわぬから、よく粘り強く支援をつづけたものと感心もする。
冒頭の事件で、犯人を支援した者の主張は、次のとおり。
「根拠もないうちに逮捕し、長期間拘留し、起訴するな、と主張するだけ。去年2月の時点では決定的な証拠があったとは言い難いし。特に片山が約1年に渡る拘留は近代国家としてはあってはならない。近代国家の刑事裁判は、証拠に基づく正当かつ透明な手続きを経ることが何より重要。それ以外の方法で、有罪にすることは絶対にあってはならない。」
警察の手法で、結果的に犯人を特定できたわけであり、冤罪説に乗った者の申すやり方では、取り逃がす恐れもある。
どのような手法が望ましいのだろうか。
追、
保釈保証金1千万円のうち、600万円を没収する決定をした。犯人の母親の生活安定が考慮された。
荒川の河川敷に穴を掘り「真犯人メール」を送信したスマート・フォンを埋めたことが、彼にとってその穴は「墓穴」になってしまった。
自作自演の偽装が失敗した後、本件の威力業務妨害容疑についても「自分が真犯人である」ことを認めた。
この遠隔操作ウイルス事件では、彼の操作によって4名が誤認逮捕され、危うく罪に堕されるところだったわけだから、悪質性が高い。
そこで、
いつも感じるのは、冤罪だと積極的に運動する者たちがいること。何を根拠に冤罪だと信じるのかと不審に思っていた。
犯人とされた者が無実だというから、「司法に反対するため」に”とりあえず支援する”のだろうか。万一、有罪が逆転して無罪にでもなれば、もうけもの。その事件に係わったと知的好奇心ないし刺激が得られる。或いは、何らかの有利なことでもあるのだろうか。
何にでも反対したがる人というのはいるものだが、そんな類の者たちとも思えないが、この事件の場合は、明らかに犯人に騙された。
袴田事件では、死刑判決が確定したが冤罪を訴えDNA鑑定の結果、今年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審が決定した。
こんな自白偏重で極刑にされてはかなわぬから、よく粘り強く支援をつづけたものと感心もする。
冒頭の事件で、犯人を支援した者の主張は、次のとおり。
「根拠もないうちに逮捕し、長期間拘留し、起訴するな、と主張するだけ。去年2月の時点では決定的な証拠があったとは言い難いし。特に片山が約1年に渡る拘留は近代国家としてはあってはならない。近代国家の刑事裁判は、証拠に基づく正当かつ透明な手続きを経ることが何より重要。それ以外の方法で、有罪にすることは絶対にあってはならない。」
警察の手法で、結果的に犯人を特定できたわけであり、冤罪説に乗った者の申すやり方では、取り逃がす恐れもある。
どのような手法が望ましいのだろうか。
追、
保釈保証金1千万円のうち、600万円を没収する決定をした。犯人の母親の生活安定が考慮された。

犯人も罪を犯したなら潔く認めるべきです。
知能比べは逮捕された段階で終了です。
今回の犯人片山は自分が犯人であるにも拘らず、母親の生活資金を保釈金として出させ、600万円を没収されています。
「親不幸するのもエー加減にせんかい!」と言いたいです。
まさか証拠品(スマホ)を埋めるところを見張られていたとは・・・
「墓穴とは ケータイ電話 埋める穴」
証拠隠滅までは遠隔で出来なかった様ですね
ピッタシの時事川柳ですね~座布団2枚あげたい。
ふたたびの「珍大根」は、いかにも ビーナスでした。つぎは、エーナスを期待します。(B茄子ができるならA茄子も)
遠隔操作ウイルス事件で4人もの誤認逮捕を招くほど最先端の腕をもっているのに、やっていることは幼くひとりよがりでした。
(延岡の山歩人K) さん へ
だんだん若葉が萌えて、禿山が緑にいろどられてきました。そんな変化が見れて、たのしいです。
遠隔操作ウイルス事件では、まさか警察に見張られていたと考えもしなかったとは、・・・。それで言い抜けできぬと
観念したのでしょう。
最先端のデジタルな事件が、アナログな落とし穴に落ちたとは皮肉でした。
知らないうちに犯罪者になっていたり、被害に遭ったり…
無難なのは「君子危うきに近寄らず」主義ですが、さあデジタル世界の将来はどう発展してゆくのでしょうか>
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/ba8093da1df9ea8a411d5d5dda9e4eb3
何を根拠に?と思っていました。
その言い訳に精神鑑定などと性懲りもなく言う厚顔さ。
あれだけの犯罪能力と墓穴は掘ったものの、策略を講ずる能力があるのなら精神鑑定など無用と思えます。
弁護士とは事実を曲げ、策を講じて刑を軽くすることでお金儲けをする我利我利亡者と思ってます。
翻って、袴田事件に関しては、嘘八百を作り出し
死刑判決まで出させた警察は、なぜ殺人(未遂)罪に問われないのでしょう?
モンゴルを「強く匂う草、満天の星、真紅の光が濃紺の天を縦横にかけめぐるごとくの日の出、砂丘、ラクダや馬の放牧
などといった大自然を満喫する。」と、 モンゴルの夜空に広がる星が、またたくのを うっとりして見たと司馬遼太郎が、
『街道をゆく』の「モンゴル紀行」で描いています。
共産主義国家は、得体の知れぬ不気味さが漂います。理解のできぬ思想なので、何をしでかすかわかりません。
(ゆうこ) さん へ
弁護士には、事件を立件する立場になく、反対に本人が無罪というのに基づいて、当人に優位になるよう導く役割なので、
本件の弁護士のスタンスは、お仕事ですからやむを得ないと考えます。
拙ブログで扱った「墓穴とは ケータイ電話 埋める穴」では、本件とは無関係の者が、冤罪だと積極的に運動することに
ついて採り上げました。冤罪と訴える根拠をどこで拾うのか? 新聞等の報道を見ての印象だけで冤罪といっているに
過ぎぬ気配しかしないので、その不審を書きました。
(勿忘草) さん へ
期待したデカ盛りを、食べきれずにお持ち帰りとは愉快な話でした。^^
横浜中華街に時間制限なしの食べ放題ができるので、つい食べ過ぎてしまいます。自重しないといけないと反省しました。
名の通ったお店なのに、注文してから料理する2400円は、かなりお得です。食べ放題メニューは、いまや かなりのお店に
広がっています。
遠隔操作ウイルス事件の自白直前の顛末は、お粗末で笑える展開でした。
逃亡中にもかかわらず、弁護士が「絶対に犯人ではない」は、場面が違ってますから本人に再確認することなくいうセリフ
ではなく、言葉が滑っているなと感じました。
しかし、弁護士ですから犯人とされる者の味方になるのは仕方ないことだと考えます。
ただ、精神鑑定に持ち込むのは理解できません。 片山被告本人が「私はサイコパス」というのも、出来すぎています。
弊ブログのほうへもコメント、ありがとうございました。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/ba8093da1df9ea8a411d5d5dda9e4eb3
↑こちらへ、お返事させて戴きました。
iinaさん
>本件とは無関係の者が、冤罪だと積極的に運動することについて採り上げました。
>その不審を書きました。
諒解です。
>弁護士には、事件を立件する立場になく、反対に本人が無罪というのに基づいて、当人に優位になるよう導く役割なので
刑事弁護の役割を、そのように受け止めている人が多いようですね。しかし、どうでしょうか。
光市母子殺害事件 差し戻し控訴審判決後の記者会見(2008.4.22)で、私の印象に残っている言葉があります。
記者から「1審と控訴審で無期懲役になっていたことを考えると、被告の利益を考えてあえて新供述を出さずに、今までの供述を変えない法廷戦略もあったのでは」との質問を受けた安田好弘弁護士の言葉です。
“ それは弁護士の職責としてあり得ない。真実を明らかにすることで初めて被告の本当の反省と贖罪が生み出されると思う。そうすることでようやくこの事件の真相が明らかになる。なぜこの事件が起こったのか。どうすればこういった不幸なことを避けることができるのか。そしてどうすれば被害者の許しを請うことができるのか。戦術的に物事をとめるとか不当に終わらせることは決してやってはいけないことだ ”
安田弁護士はよく「有利不利を問わず」という言い方をします。
“ 裁判所は…被告人の新供述は死刑をまぬがれるためにやった虚偽の供述と断定しているが、事実と反している。むしろ彼はひとつひとつ事実について思いだして、記憶に忠実に話してきたんです。死刑を免れるというものではなく、有利不利を問わずすべてを話すという気持ちから話しているのに、裁判所は被告人の心を完全に見誤っている ”
「有利不利」の前に、「真実」「真相」といったものに先ず襟を正す。そこから正しい裁きの庭が発現し、正しい裁きが下され、人間回復が可能になる、私もそのように考えます。
弘中惇一郎さんは『無罪請負人 刑事弁護とは何か?』のなかで、次のように云います。
“ 2003年に最高裁で検察の上告が退けられて三浦氏の無罪が確定した。無罪判決を底の方で支えたのは、私と三浦氏との信頼関係だったと思う。弁護人を引き受けた当初は、私は、周りから「長持ちするはずがない」と言われたりもした。しかし、拘置所での面会、手紙のやりとりなどを通じて、私はそんなふうに感じたことは一度もなかった。三浦氏の考え方は合理的で気遣いが行き届いていた。いつも私は楽しく会話を交わすことができた。そればかりか、ずいぶんと元気を与えられた。”
片山被告の佐藤博史弁護人を思いますと、あまりにもお粗末だな、と感じてしまいます。何をもって、逮捕直後から軽々に無罪と信じたのか、断定したのか。杜撰というしかありません。警察の執念の尾行がなかったなら、不毛の審理が続き、裁判所の誤判を招いたかもしれません。