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首斬り浅右衛門

2006年05月12日 | 歴史
小塚原刑場に「首斬り浅右衛門」と異名で呼ばれた者がいた。
江戸の中期、徳川吉宗の時代に浪人山田貞武が「浅右衛門」を称し、七代目の山田浅右衛門吉利まで「将軍家御試(おためし)御用役」を世襲した家である(但し、山田吉富が八代目の襲名したという記録もある)。

「将軍家御試(おためし)御用役」とは、将軍家の刀剣の切れ味を試す「様(ためし)斬り」を勤めとするものだが、刀を血で汚す不浄の役目であるところから幕府の役職ではなく浪人の身分で請け負っていた職である。

はじめ、「様(ためし)斬り」は処刑者の死体で行ったため、試し斬りを行うのみで死刑執行人ではなかった。しかし、幕府の正式な首切り役人が直接の死刑執行役を嫌うことが多くなり、また浅右衛門のほうも試し斬りのために死体を必要とするため、死刑執行を代行するようになった。
安政の大獄のおり、吉田松陰や橋本左内を斬ったのも「首斬り浅右衛門」だ。

死刑執行の代金は手に取らず、正式な首切り役人に逆に死体の代金を渡しており、死刑執行そのもので利益を得ることは無かった。その代わり、死体を手に入れることができれば、試し斬り1回で死刑執行の代金の10倍以上にのぼる礼金を手にすることができた。また、彼らには刀の鑑定をするという副業もあった。
さらに、人間の肝臓は人胆丸という高価な漢方薬であり、それを売ることを許されていたのも山田浅右衛門だけであった。この人胆丸は、の浅草弾左衛門が一手に引き受けていた。こうした事情で、山田家は浪人の身でありながら3~4万石の大名に匹敵するほど裕福であった。
試し斬りの実績を活かし、刀剣の業物位列を作り出した。最も有名なものは山田浅右衛門吉睦の「懐宝剣尺」がある。

                                 つづく

参考:山田浅右衛門
 『最後の浅右衛門』著者:団鬼六 (幻冬社 1700)はおすすめ。


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3 コメント

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Unknown (藍*ai)
2006-05-12 20:32:53
T.B.ありがとうございました。



以前吉田松陰について調べていた折、安政の大獄で松陰の介錯をしたのは浅右衛門だったと知りました。

松陰の最期を立派だったと言っておられたとか。



読ませていただき、首斬りという仕事がいかに大変だったかをますます感じます。
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首斬り浅右衛門 (更家)
2014-02-05 10:35:19
「首斬り浅右衛門」の刀の鑑定の副業の話や、
肝臓の漢方薬の話、興味深く読ませて頂きました。
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(更家)さん へ (iina)
2014-02-07 09:23:36
春節の横浜中華街をひとり歩きも好いものですね。
春節に、行き会ったことはあれませんが、賑やかそうです。爆竹の歓迎に遭ってみたいものです。
獅子舞は、5月の仮装行列で見たことがありますが、春節は本当のお祭りですから、力もはいるでしょう。
聘珍楼で乾杯とは、いいところへ行かれました。

ところで、マカオの地名は、媽祖廟にちなむそうです。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/3ed9b2aee22f9987dd05c6d89edbd612

なお、冒頭の写真は関帝廟のような気がしますが・・・?
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