

「誰か、馬であの梅を取って参れ!」と命じた。
居合わせた多くの武将がひるむなか、四国・丸亀藩の曲垣平九郎(マガキヘイクロウ)が馬で急な石段を上り降りし、家光から「日本一の馬術の名人」と讃えられた。その名声が知れ渡ったことから「出世の石段」と呼ばれるように。
冒頭は、1865年の愛宕山からの眺め。工場ではなく大名屋敷ばかりが見える。
その石段が右で、山頂から見下ろしたのが次。-愛宕神社-



江戸時代は、右の浮世絵のように海も見えたという。
曲垣平九郎が馬に乗って石段を駆け上がったとされるのが、寛永11年お正月の28日。
これにちなみ翌日に、愛宕山を題材とした講談の会を山頂に建つNHK放送博物館で開催した。
宝井琴梅が、五代目宝井馬琴「愛宕の春駒」の映像を見ながら師匠の思い出を語り、新作を披露した。
出演:宝井琴梅(講談師)
新作:「大正の愛宕山石段登り」
1月29日(火)開演時間:午後1時30分
平九郎以外に3例も成功例がある
明治15年に曲馬師・石川清馬が、大正14年には陸軍参謀本部所属の岩木利夫が1分で駆け上がった。石段は下りのほうが困難で、軍馬も下りは45分を要している。
昭和57年にはスタントマンの渡辺隆馬が、日本テレビ特番『史実に挑戦』のロケで、なんと32秒で駆け上がった。
> つづく >>

タイトルを拝見して びっくりしましたが
愛宕山は 全国に結構 多いですね
ちなみに
同じ宮崎県の「高千穂」にもあります。
。
東京の愛宕山「出世の石段」前を何度がとおりましたが、登ったのははじめてです。もちろん
講談の現地で聴けたのは、とても
https://tokyolucci.jp/atagojinja
ところが井伊直弼宅は桜田門から約300m、
直弼が家の門を出たのを愛宕山の仲間に知らせて、
直弼を襲ったと言うことになって居るが、
どのようにに知らせ、どのように桜田門に駆け付けたのか、
距離から考えると不思議でならない。
私の場合愛宕山といえば
やはりこの愛宕山ですね。
そしてこの愛宕山といえば
NHK放送博物館でしょうか。
小学校3年の冬に
社会科見学で行きました。
夜は、玄関で豆まきして、その残りで
浅草に通っていた時代は、芸能人の豆まきを見物しましたょ。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/f483b58f9898e292f47ec6ad138ab52b
愛宕山といえば (シヤマ)さんにとって、NHK放送博物館でしたか。みなさん、それぞれですが、iinaは「出世の石段」でした。
そういえば、前に歩いたときに愛宕山の裏手に偶然杉田玄白の墓のあるお寺を見つけました。
大名屋敷が沢山写っているので、古地図と照らし合わせてみると面白いかも。
江戸の街の復元ジオラマなど出来ますね。
むかしの都人が、あこがれた遠い白河宿は、いまでも遠いです。おつかれさまでした。
金売吉次も実在の人物でしたか・・・義経をスカウトした商人でしたが、盗人に殺されていたとは・・・。
戊辰戦争は、地元のひとからみれば善悪が逆転させられた悔しい戦です。
交差点から動かないのは、ニンゲンの様子が気になってニンゲン観察していたのかも・・・❔
iinaも愛宕神社前を仕事で何度も通っていて気になってましたが、ようやくご縁ができてお参りしました。
出世の石段を登りましたょ。
凝りに凝り腕前を発揮してますね。^^
日本の職人の技はすばらしいです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5f49b5a803733b54331206d2a2d49bf4
江戸の愛宕神社を添えました。