イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その234☆ 三輪山にいってきました ☆

2016-09-10 19:33:25 | ☆パワースポット探訪☆



 Hello、皆さん、お元気?
 3ケ月のご無沙汰でした---。
 このところ私生活でいろいろありまして---その詳細はのちほどブログにあげるつもり---ちょっとねえ、ブログどころじゃなかったんですよ、ここ最近の僕事情は。
 連日の常軌を逸したオリンピック狂騒報道があんまりウザすぎたって影響も、ちょっとはありそう。
 ま、僕、オリンピックは結局いちども見なかったけど。
 だって、はっきしいって、いまはオリンピックどころじゃないんじゃないですかね、皆の衆!
 お祭りに浮かれるのは勝手だけど、お祭りと戦争のセットは、いつでも国の陰謀の隠れ蓑として使われるという事実を忘れちゃなりません。
 で、7.10参院選不正選挙であいかわらず自民が圧勝したっしょ?
 応援してるRKブログは biglobe のなんかのわからん圧力でID抹消されちゃうしさあ…。
 (しっかし、こんな分かりやすい報道の自由封鎖、見たことないぜ(# ゚Д゚)!)
 で、まあ、それやこれやで現世のあまりといえばあまりの穢れっぷりがもうたまんなくなったんです。
 たまりたまったこの俗世の垢を洗い落としたくて、どうにも辛抱できなかった。
 というわけでこの9月、イーダちゃんは、夜勤明けの足でほとんど衝動的に、憧れの三輪山に向かっていたのでありました。
 ええ、日本一のパワースポットとかねてから噂されている、あの「三輪山」---
 邪馬台国の卑弥呼が祈りのたび登っていたといわれる、あの「三輪山」---
 万葉集の第一巻で額田王が、

----味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠れるまで 道の隈い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見さけむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや

 と唄ってもいる、あの禁足の地「三輪山」へ---。




 遠く、万葉の時代から、「三輪山」は、すでに神の山でした。
 木や草々のすべてに神の宿る山といわれ、長いこと信仰の対象になってたの。
 場所的には奈良の大阪寄りに位置しており、日本最古の神社といわれている大神(おおみわ)神社の、御神体であるのがこの「三輪山」---
 そう、この大神神社には、御神体の社殿がないんスよ。
 自然の、ありのままの山が、古(いにしえ)からずっと信仰の対象として崇められてるわけ。
 実際、明治の治世になるまで、「三輪山」は、神職以外は足を踏み入れることのできない、神聖な、特別な山だったんです。 
 ですから、「三輪山」に上ることは、大神神社への参拝と同義であり、この山に登ることは「登拝」と呼ばれてます。
 神聖な山であるからして、登拝前には宮司からの厳しい説明とお祓いとを受けなくちゃいけません。
 あと、入山前に宮司から襷をわたされ、登拝中は絶対それをはずせない。
 むろん、登拝中の撮影も、山での飲食も喫煙も、山のものすべての持ち帰りも---草木のきれはしから石や砂利の一粒にいたるまで---固く禁じられてます。
 高さ的には標高467mとそれほど高い山じゃないんですが、ここの登拝路は案外急で険しいの。
 怪我人も結構でるみたいだし、場合によってはヘリを呼ぶことなんかもあるらしい。
 トイレもない、水飲み場もベンチもない、道をはずれたらマムシなんかも結構いるみたいだし。
 霊能者の江原啓之さんが「日本で5本の指に入るパワースポット」と紹介したことで一挙に有名になったみたいだけど、とてもとてもそうしたミーハー的視点から語れるような山じゃありませんや。
 「三輪山」は、ホンモノです---僕は、まえからそう予感してた。
 ただね、生きてると雑事とか義理とか仕事とかいろいろあるじゃないですか? 
 そういった意味で今回の登拝を後押ししてくれたニッポンの諸々の穢れ事情には、ある意味感謝してるといってもいいのかもしれない w
 呼ばれたひとしか行けない、といわれた「三輪山」まではるばる僕を誘ってくれたんだから…。
 
 ただし、夜勤明けの昼過ぎに横浜をでて、午後の2時までに神社での登拝受付をすませるのは物理的にむりがあったんで、僕は、新大阪→大阪→鶴橋→桜井 のラインで三輪近郊の桜井までいって、とりあえずそこに宿をとることにしたんです。


 

 前哨基地としてセレクトした奈良県・桜井は、田舎でしたねえ。
 まえに何度か飛鳥探索の際、この近辺をクルマで奔った記憶はあるんだけど、そうした記憶以上に近鉄・桜井駅近郊はさびれてました。
 歴史を感じさせる古い町並とまばらなひと通り。
 廃ボーリング場が中心部にある、駅前の桜井1番街なんてすべての店舗がシャッター街で、ほとんど廃墟みたいだったんだもん。
 ひとことでいうと大変僕好みの町---町全体に漂うノスタルジックなムードがもうたまらん。 
 ま、でも、ここで元料亭である「皆花楼」さんって云う渋いお宿を見つけて、そこにお泊りできることになりまして、夜勤明けだったから夕刻になるともうバタンキューと眠っちゃいました。
 で、翌日早朝に起きて、近鉄で目的の三輪駅へ…。
 三輪は、予想していたように田舎でありました。
 ずっとむかしに住んでいた愛知県の豊川市の町並---豊川には豊川稲荷があるんです---と自分のなかでちょっとかぶる部分があった。
 小さな地元の参拝客相手の商店のひとたちが、いそいそと開店の準備をしてるのを眺めながら、その商店街の通りを抜けて---「大神神社」の表示通りに進むと、まずは山の入口にある大鳥居に目を吸いとられます。
 噂のその大鳥居をしばし見物してから、肝心要の「大神神社」に向かいます。
 いい歳して、なんかドキドキしてきたぞ。
 参道途中でたまたますれちがった30くらいのアメリカ人と挨拶して少し世間話したりして、気分も上場---懸念は、九州まですぐ迫ってきている台風12号のもたらす雨模様だけです…。




 さあ、いよいよ「大神神社」の鳥居をくぐり、境内の狭井(さい)神社にむかいます。
 こちらの社務所にて登拝料の300円を支払い、登拝の手続きを行い、宮司さんより説明を受けるのです。
 時刻は午前9:07---頂いた鈴つきの襷を掛け、登拝用の杖なんかもお借りして、軽くストレッチなんかも少々---深呼吸を幾度かしたら、いざ、
撮影・飲食・排泄禁止の、神秘で厳かな「三輪山」登拝の開始です---!




 入口の鳥居をくぐって、ウムという感じで気を引きしめて登りはじめると、いきなり鬱蒼たる山中です。
 あとにUPした地図からも分かるかと思いますが、くねくねとつづら折りの急坂がつづき、あまり周りを見まわす余裕はありません。
 一歩ごとに濃くなっていくオゾン臭を意識して、階段から足を滑らせないよう注意しつつ、黙々と距離を稼ぎます。
 まだ下界が近いので、下のほうから町の音、三輪小学校のチャイムなんかが流れてくるのが、なんかふしぎな感じ。
 そんな按配で5分ほど登ると、小さな沢と合流しました。
 有名な狭井川です---なんて綺麗な水だろう。
 目を細めて川沿いの道をしばらくいくと、やがて小さな橋につく。
 丸木を組んだだけの、素朴な、短い橋です。
 「①丸太橋」という表示あり。

----なるほど、こんな一里塚みたいな表示で登拝に区切りをつけるんだな、なんて思う。 

 昨夜の雨のせいもあって、いくらか滑りもするんで、注意して渡りました。
 耳を洗うような心地いい水音を聴きながら、ぬかるみっぽい道をまたまた歩く---道の両側の草々にシダ類がずいぶん多いんだなあ、と思ったことをいまでも覚えてます。
 で、ほどなくして2番目の道標「②中の沢」へ到着。
 蝉に鳥に沢のせせらぎ…。
 そして、下界からはほんのり町の生活音…。
 なんともいえない山の雰囲気に吸いこまれるように無心に登っていくと、心なしか全身の感覚が尖っていくような気もします。
 岨道(そばみち)の急坂という坂を息を切らして登っていくと、「③三光の滝」というとこに着きます。
 ここは、三輪山のなかで唯一建物のある場所なんですね。
 ただ、ドライブインにあるみたいな休憩所じゃまったくない---ここは、滝行をするひとのための行者小屋なんです。
 僕がついたとき、この小屋の奥にある滝壺で、真言を唱えながら熱心に行をされてる方がおられました。
 三島由紀夫の遺作「豊穣の海」のワンシーンをふっと連想したりもします---ええ、こちら、「豊穣の海」の第二巻「奔馬」の舞台になった場所なんですよ。
 もそっと見てもいたかったけど、でも、ま、修行の邪魔しちゃいけませんからね、早々に退散---空模様がだんだん怪しくなりはじめたんで、ペースアップを意識しながら登ります。

 このあたりから坂はさらに険しく急になってきました。
 浮き石も結構多いし、足場も滑るんで要注意。
 白い衣装を着て、裸足で降りてくる女性の方に道を譲って、軽く挨拶なんか。
 このあたりでいささか息が切れてきて、そろそろこのへんで休んでもいいかな、なんて思っていたら、そこ、道行のほぼ中間地点にあたる「④中津磐座(なかついわくら)」という聖場でありました。標高364.5m。

 この「中津磐座」から「烏山椒の森」あたりまでの道筋が、たぶん、いちばんの難所なんじゃないのかな?
 僕、このあたりで岩登りする際、片手で手近な木の枝に捕まったら、それ、もの凄い強い棘のある枝でして、強く掴んでいたらエライことでした。
 
----ヤバー! なんて独り言いって、手のひらを寄せて見ると、ああ、ぽつぽつと雨の到来です。

 木の茂った場所を探して、濡れてない岩に軽く腰かけて、20分ほど雨やどりしました。
 このまま雨やまなかったらどうしよう? なんて不安がちょっとよぎったりもします。
 しかし、幸いにしてしばらく降ったら雨やみましたので、再び登拝開始。
 膝に手をあて、ナンバを意識しながら、登ります。
 もうこの辺りまでくると、全身びしょ濡れで、どこまでが汗でどこまでが雨の濡れなのか分からない。
 スニーカーとズボンの膝から下は、泥だらけ。
 町の声ももう届かない。
 静寂と、木の葉にあたる雨音だけが木霊する世界です。
 ハアハアいう自分の息が、なんだかうるさくってね---疲れで雑念が飛んで、「三輪山」に呑まれていくような感覚が次第に募っていきます。
 直径2mは下らない大きな切り株が、あっちにゴロゴロ、こっちにもゴロゴロ。
 割れた大岩の隙間から伸びている大木。
 あと、大きなアブが旋回してどこまでもしつこくついてきたり…。
 疲労の極のなか、「⑥烏山椒の森」を行きすぎ、「⑦こもれび坂」という場所も通りすぎました。
 椎と樫の深い樹林のなかをさらに歩くと、心なしか坂の角度がゆるやかになってきます。
 僕よりもさきに出立した登拝の兄ちゃんが降りてきたんで、ああ、そろそろ頂きなんだ、と嬉しくなります。
 案の定そうでした---しばらく行くと「⑧高宮神社」の素朴な館があり、そこからさらに奥に100mばかりいくと---ああ、頂きの「⑨奥津磐座(おくついわくら)」への到着です…。
 標高467.1m。
 数字的には、決して高い場所じゃない。
 けれど、もの凄い隔離された高度を感じます。
 僕のまえに到着された方が2名ほどおられて、磐座---溶岩みたいに溶けた黒い岩々が連なっている、ふしぎな磐座のまえにしつらえられた祈祷所の順番を待っているのが窺われました。
 僕も待つことにします---するとねえ、なぜだかまた大ぶりのアブがぶんぶんやってきた。
 まえに鎌倉の「百八やぐら」を訪れたとき、スズメバチに追われたことがふと思いだされたりもします。
(イーダちゃんの過去ブログ、パワースポット編 徒然その58☆鎌倉・恐怖の百八やぐら☆を参照のこと)

----こういう聖場には、虫の番人がいるものなのかな…?

 なんて思いながらアブをよけてたら、僕の番がまわってきました。
 しずしずと磐座の正面に立ち、賽銭箱に小銭を投げ、無心に合掌します。
 僕は、合掌するときは、ほとんどなにも考えないんです。
 個人的な祈りなんてやりません---いつも、自分をからっぽにすることを心がけてただ手をあわせるだけ。
 そしたら、しばらくして、なんともいいようのない静かな気配が、雨まみれの身体にしずしずと染みてきた…。
 こういう気配はいままで味わったことがありません---下北半島の「恐山」、熊野神宮の「大斎原(おおゆのはら)」、伊勢神宮の「内宮(ないくう)」、それと北海道道北の「サロベツ原野」…。
 身がすくむほど厳しかったり、死を近くに感じすぎておののくことしかできなかったり---それこそ全国各地のいろんなパワースポットをまわってきたもんです。
 で、パワーのあるところって怖いとこだって半分方思ってた。
 「三輪山」だって、むろん怖いんですよ---もともとフツーじゃない場所なんだもん。
 けれど、こんな棘のない、まろやかで優しい、包みこむような波動を、このような神所で感知しようとはよもや思いませんでした。
 邪馬台国の卑弥呼がこの場所で祈祷をしたという伝承を、この時点で僕、すでに信じてました。
 静かでなおやかな、まったく未知の種類の深い恍惚が、そこにはあったのです---。
 父的というよりは母的---熊野の古道に遠い地縁つづきで繋がっているような---それは恐らく、ニッポンのここ以外の場所では絶対に味わえない類いのものでせう。
 もっと長いこと磐座のまえにいたかった…。
 もっとこの懐かしい波動のまえに佇んでいたかった…。
 でも、次の待ちびとが待ちかねてましたからね---イーダちゃんはなんとか自分に区切りをつけて、次の方に軽く黙礼して、あえてぶっきらぼうな仕草で「奥津磐座」のまえから粛々と離れ去ったのでありました…。




 「三輪山」往復の所要時間、1時間50分---。 
 20分雨やどりに費やしたから、実際の登拝時間は、1時間半といったところでせうか。
 登拝後、あまりにも腹がへったので、駅近くのお店で名物の三輪素麺をいただきました。
 でもさ---これが量、全然ないのよ!---綺麗に盛りつけてあって、麺自体も腰があってホント美味いんだけど、あまりにも量がさあ!
 朝からなんも食べてない僕には、その点だけが唯一の不満となりました。
 けれども、ゆっくり素麺を喰い終えても、時刻はまだまだ12時前---これはのんびりしちゃいられない、とイーダちゃんはおもむろに腰をあげて、泥まみれのズボンの裾をからげ、次の目的地である飛鳥へと歩きはじめたのでありました……。
                                                                                     (了)