イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その236☆ 神保町の歩きかた♡ ☆

2016-09-18 20:35:01 | 身辺雑記


 元・極道である作家の浅田次郎氏は、その筋のむかしの知りあいにいちばん行き会う確率の高い町として、東京・神田にある古本の町「神保町」をあげてられます---。
 オレオレ詐欺だとかお見合いパーティー詐欺だとかの、いわば時代の最先端をいく新規犯罪の企画屋さんたちは、ほぼ例外なく読書家で勉強好きであり、みなさん神保町の常連さんであるというんです。
 いや~っ、クリエイティブな方は皆古本好きってこの情報は、僕、好きだなあ!
 神保町は、僕にとっても縁の深い町なんです。
 大学卒業後、羽田空港でしばらくバイトしてたんですが、職場仲間と格闘してそこを辞め、ふたつのめの仕事として結構長いこと夜間清掃のバイトで糊口を凌いでたことがあるんですが、その職場、この神保町から案外近かったんですよ。
 だから、この町には、僕的にいろんな思い入れがあるんです…。
 世に廃墟ブームが訪れるはるかまえ、いっしょに夜中の八王子城なんかに突っこんだ、職場仲間で泥棒もやってた山口出身のO、おーい、元気かぁ---!?
 あと、ザ・フーの強力なフリークだったモッズ小僧のS、まだ生きてるかあ?
 そういうわけで神保町は、僕のなかで特別な町としていまだ逞しく機能しているのです。
 ネットがあまりにも発展しすぎちゃって、PCからのダウンロードが音楽鑑賞の主流となり、CDショップなんかは相当のピンチのようですが、紙媒体を扱う神保町はまだ元気なようですね。
 以前、神保町でいっしょに遊ぶことの多かった、太極拳の師範代のOが夭折してしまってからしばらく行くことを避けていたその神保町へ、イーダちゃんは先日ひさびさにいってまいりました。
 なんか、懐かしかったです、なにもかも--町に流れてる空気そのものが、なんだか無性に愛おしい…。
 ただ、神保町交差点近くにあったディスクユニオンは、潰れてましたねえ---撤退なのかな?----僕、ここのお店にはずいぶんお世話になったんだけれど。
 印度風カリー店の「エチオピア」、健在。
 スマトラ・カレー屋、健在---でも、メニューがいくらか増えてたな。
 友人Kが結婚式をあげたとき、僕が祝いの言葉を述べた学士会館---健在。

 僕の神保町散策の定番は、まず「書泉グランデ」さんへの訪問からはじまるんですよ、いつも。
 「書泉グランデ」さんはいいお店です---リチャードコシミズ氏の本なんかもずいぶん初期のころから扱ってくれてますしね---古い本はさすがにないけれど、山岳関係、占い関係、オカルト関係、スピリチュアル系---いろんな分野の代表本が、こちら、いついっても漏れなく揃ってる。
 「書泉グランデ」さんを小一時間ばかり散策してから、靖国通り沿いの音楽書籍専門の「古賀書店」にいってみた。
 こちら、僕がクラッシク狂だった1時期、さんざん通いつめ、そうそう、当時幻の希少本だったジャック・ティボーの「ヴァイオリンは語る」なんかも、僕、こちらで買ったんですよ。(目の玉の飛びでるようなお値段で!)

 その「古賀書店」さんのお隣りにあるのが、知るひとぞ知る、知らないひとはまったく知らない、占い書籍専門の「原書房」さん。
 こちらの店、いついっても店内に霊の垢みたいな淡い織が、空気中に淀んでる気がします。
 ここ、客層が暗くて、また、非常にコワイ…。
 くるお客さんくるお客さん、みんなうつむいてるし、なんとなく霊能者っぽい佇まいなんですよ。
 ボロいコート着た、目つきの鋭いじっちゃん&ばあちゃんが東洋占術の棚に手を伸ばしたときなんて、僕なんかいつも大仰に場所譲ってましたもん。
 いま現在の僕は、かの松村潔氏に師事してたころと比べて、占いといった分野にまったく関心を失っているんですが、彼に私淑してたころは、それこそ週に一度は必ずここ来てましたよ、うん。
 ただ、馴染みの「古賀書店」さんにしても、この「原書房」さんにしても、僕の見るかぎり、ネット情報のもたらすメディア変化の激流といったものからの影響というか弊害は、やはり免れていないように見えました。
 ひとことでいっちゃうと、十年まえと比べると、もう全然お客が減ってるんですわ、これが。
 神保町という町全体に、なんとなく秋の気配が忍び寄ってきている気がしてきちゃいました。
 でも、まあ、神保町は好きな町ですから…。

 あてどなく、午後いっぱいを使って、この町を散策するのは、僕の楽しい娯楽のひとつです。
 で、疲れたときに必ず立ち寄る僕の常連のお店のひとつは、まずここ---地下鉄「神保町」駅からすぐのとこにある喫茶「さぼうる」----




 超・昭和なサ店ですけど、いいっスよ、ここ---コーヒー一杯400円也! 
 テーブルちっちゃくて、それこそ隣りの客と肩が触れあうくらいの間隔で座らなきゃいけないときもあるけど、そして、コーヒー自体も決してウマイとはいえないシロモノだけど、ここでくつろぎ、狭い席で煙草をくゆらせ、買ってきたばかりの本を薄明りのなかでガサゴソ広げるときの淫靡な悦びは、近代的な大量店舗のスタバやマックじゃ決して味わえない種類のものでせう。
 そういえば、この店の奥のテーブルで、別れ話したこともあったっけなあ…。

 お勧め2件目---「書泉グランデ」の裏筋の通りにひっそりとある、創業昭和11年のお店、包子餃子「スヰートポーヅ」さん----





 ここも僕はとっても好きでね、ガッツリ喰いじゃなくて憩い喰いしたいときには、いつでも僕はここいきます。 
 創業以来の素直で、クセのない、優しい、ほっとする味なんだ、ここの餃子は。
 ニンニク入ってないんだそうな---ほかの喰いモノのときには、なんでも悪魔のように唐辛子をふりかける僕ですが、このお店ではそんなこと決してやりません---野菜の自然な甘さをじんわりと噛みしめる店なのよ、ここは。
 昼時、混んでると相席になる恐れあり---ひと見知りさんはそのへん注意!

 まあ、今日のぶらぶら散歩はこんなとこかしら?---あと、参考までに神保町散策の地図、ひとつあげておきますねえ---


<


 んじゃまた近いうち---チャオ!(^0-y☆彡




 
 

徒然その235☆ 三輪山より飛鳥、そして、なぜか西成へ… ☆

2016-09-18 13:26:22 | ☆パワースポット探訪☆

             <天樫丘天文台---蘇我氏の邸宅があった場所---よりの眺望: 背後に見える山は畝傍山>

 えーと…2016年の9月5日、「三輪山」の登拝をすませたイーダちゃんは、すぐその足で飛鳥に向かっておりました。
 僕以外にもその手のひと多いと思うんだけど、飛鳥ってね、僕の魂の故郷なんですよ、ウム。
 アスカって言葉の響きだけで、なんだかもうわけもなくたまらなくなっちゃうの。
 飛鳥---なんてふしぎな響きだろう…!
 これは、中学時代からの根っからの性癖なのよ---いわば骨がらみ。
 なにより飛鳥は、僕がニッポン文学の最高峰だと考えている、あの「万葉集」を生んだ土地でもあるしね。
 このたびの衝動旅では、実のところメインデッシュはあくまで「三輪山」のみであって、ほかの土地を訪ねることなどまるきり考えちゃいなかったんですが、「三輪山」の凄さを身体で味わってしまうともういけない、
心と倹約回路のタガは一気に外れ、歴史オーラ・オタクのハートに炎が着火され、列車地図を見直してみたなら、なんと飛鳥って三輪から案外近いじゃないですか。
 これは、もう、行くっきゃない---!
 てなよなわけで、近鉄電車を乗り継いで、いってきました、飛鳥村…。

 何年ぶりですかねえ、飛鳥にきたのは…。
 飛鳥駅---いつもクルマできてたんで、実のところ電車での訪問ははじめてです。
 台風12号の影響で雲行きはあまりよろしくありませんが、なに、飛鳥は飛鳥です。
 平日の飛鳥駅は、閑散としてました---観光客の姿もほとんど見られない---小雨のパラつくなか、駅前の粉モノのお店に入り、
 ひさびさの本場・関西お好み焼きに舌づつみを打ち、観光協会にて民宿の予約を入れたあと、
 馴染みのレンタルサイクル「万葉」さんでいつも通り自転車を借り受け、さっそく飛鳥散策の旅にでかけてまいりました。
 飛鳥は、もうトンボの季節になってましてね----
 いつか、栃木の北温泉を訪れた際にも、あまりのトンボの数に仰天した記憶があったけど、それ以来の驚きです。
 特に、「伝飛鳥板蓋宮跡(飛鳥京跡といま改名中だそうです)」の付近のトンボさんらは凄かった。
 僕のガラゲーカメラじゃ解析度低いんで、あまりその雲霞状況が写しきれてはないんですが、まあ試しに1枚----ぱちり。




 坂の多い飛鳥散策に自転車を利用すると、必用なのは一に体力、二に体力---毎度のことですが、駅前から高松塚の長い坂をこえていくのは応えました---特に、僕の場合、午前に三輪さんを登拝したばかりでしたしねえ。
 天気は、台風12号影響の曇り模様---湿度も高く、なんとも蒸し暑い。
 その難所の高松塚をゆきすぎ、飛鳥川をわたり、僕個人的にいちばんフェバリアットである「伝飛鳥板蓋宮跡(飛鳥宮跡と現在改名中)」を目指します。
 ここ、なーんもない、がらんちょんとした、広大な、普通の田んぼのなかにある廃墟なんです。
 簡単な説明書きが1枚あるきりでね、売店やお店もなんもない。
 遺跡の向こうの田んぼでは、おっちゃんがフツーに農作業してられるしね。
 でもね、このなんにもない「飛鳥宮跡」の廃墟が、僕は、大好き…。
 初めてここを訪れたのは、いまを去ること30年以上まえの、高校の修学旅行のときだったんだけど、その初訪問の時点で、僕はこの跡地に魂を吸いとられるのを強く感じたんです。
 当時はここ、あくまで「板蓋宮跡」であって、「飛鳥宮跡」とは考えられていませんでした。
 けど、この地に立った刹那、紅顔の純少年であったイーダちゃんは、

----ああ、まちがいない…、ここ、絶対、飛鳥宮の跡地だよ……!

 と、全身の細胞と原形質でもって体感したのです。
 その本能的な体感が、現実の調査の裏づけでもって、ようやく立証されつつあるなんて、なんともドラマチックで喜ばしいかぎりです。
 実際、あの額田王なんかも、この地で長いこと宮遣いされていたらしいのよ。
 論より証拠---まずはフォトでもって、かの地の息吹きと涼風とを体感していただきませうか----






 
 
 如何かな?---過ぎ去った「時」の御姿とそのほのかな残り香を嗅ぎとっていただけたでせうか…?
 僕はここにくると、いつも茫洋とした静かな想いに包まれて、あっという間に小1時間はたっちゃうの。
 ちょっとほかに類のない、ふしぎな場所ですよ、ここは。
 霊感のあるひとにいわせると、ここにはなにやら特別な「竜の道」っていうのが通ってもいるらしい。
 霊感ゼロの僕にはそれを感知することはできませんでしたが、かつてここで過ごし、暮らした無名の人々のさまざまな思いの残り香を、かろうじて嗅ぐことだけはできたようにも感じます。
 あ。2枚目フォトの右端にちょっと写ってるのが「飛鳥宮」の解説板ね。
 ここ、解説らしきものはここにしかないの---看板もなし---店舗も売店もゴミ箱もない。
 人間業のはかなさをここほど感じられる場所は、そうはない。
 いろんな英傑がここにはいたことでせう、俊才も、美女も、陰謀家も、業突張りもいたでせう。
 でも、そのような栄華は悠久の時の彼方---いまはもうだあれもいない。
 太古の都の廃墟が、なんの衒いもなく、飾りもなく、ただ風のなかに茫洋と佇んでいるばかり…。
 このぶっきらぼうな見せかたもなんかたまらん---ええ、「古(いにしえ)」に心を飛ばすには、ここ、飛鳥でも最上級のカタパルトであると僕は思います----。


                           ×          ×          ×

 飛鳥では、この「飛鳥宮跡」のすぐ裏手にある民宿「吉井」さんに宿をとりました。
 清潔でほっこりした、いいお宿---食事もとっても美味しくて。
 正直、飛鳥の里に泊まるのはこれがはじめて---温泉至上主義のそれまでの僕は、温泉のない地に宿ることは絶対になかったのです。
 しかし、多くの古墳に囲まれた飛鳥の地で泊まるのは、なんかよかった---。
 夜の8時頃、なんの脈絡もなく、ふいに絶縁してた大阪の友人にTELすることを思いつきます。 
 彼は大学時代からの古い友人で、僕がかつて 徒然その30☆古書「うんたらた」主人の内緒話☆ という記事にあげたこともあるYという男なんですが、5年ほどまえになぜか仲違いして、以来連絡もずーっと途絶えてたんですよ。
 思いついてから、10秒くらい迷いました---うーん、どうしようかなって。
 だって、拒否られたらヤじゃないすか?
 でも、「三輪山」は復縁の山ともいわれてるし、えいや、とにかくかけてみさんせ、と一気にTELをば。
 したら、お互いに思うところはいろいろとあったものの---明日会おうって話になった。

 で、超・個人的な話で恐縮ですけど、交友復活することができました…。
 三輪さんの(地元のべつの関西友人は「三輪山」のことを三輪さんと呼ぶのです)おかげだよね---ありがとう。
 そんなこんなで、この旅は、とても有意義な旅だったのです、僕的には。
 ただ、最後にこのYが新大阪まで送ってくれることになって、僕等、途中の天王寺で飯でも喰おうといっぺん出たんですよ。
 僕は、天王寺のアーケード街で飲んだ学生時代の記憶があるから、アーケード街で一杯やりたいといったわけ。
 でも、ふたりでそっち方面に向かってみたんだけど、天王寺の駅前はべつの新興都市みたいにイオンや大資本やらの攻勢ですっかり綺麗になっちゃてて、ないんですよ、かつての埃っぽい感じの昭和昭和したあのアーケード街。

---あれ、おかしいね?

---いや、こっちにいったら新世界のほうへ出るはずや…。

 なんてふたりして昭和のアーケード街、駅からだいぶ離れた地点でやっと見つけて、そこをウロウロと奥までいったらさ---いつのまにやら大阪・西成地区のド真ん中に迷いこんじゃった…。
 日本最大のスラムとかドヤ街といわれてる西成のあいりん地区を、貴方はご存知?
 いやー、凄かったっス…!
 なにが凄いってそこ近辺のアーケード街、みーんなシャッター街なんですよ。
 で、そのやや暗のシャッター街を、クルマ椅子のじいちゃんが、なぜかいっぱい自走してる。
 そのうちの8割がくわえ煙草で上半身裸プラス裸足---んで、半分以上がモンモン入りなんですよ---ワシ、若いころブイブイいわせたんや、みたいな。
 あっちでは上半身裸の半パンの痩せこけたまっ黒のじいちゃんが、ところかまわずガン飛ばしてるわ----
 道のこっち側は自転車が百台くらいごしゃごしゃって集団駐輪してるわ----
 ほぼ一街区にわたって洗濯物がぐわーっと道なりに干してあるわ----
 公衆便所を覗いたら「注射器を捨てないでください!」の貼り紙はあるわ----
 職安を通りがかったら、無数のくたびれたじいちゃんがそこかしこに座りこんでて、なぜかそこに救急車もとまってて、美空ひばりが大音響でかかってるわ(ちなみに流れてたのは東京キッド」でした)----
 もうね、異郷の地よ---雰囲気的には東南アジアの感じかしら?
 東京の上野公園あたりにも一時期ホームレスがいっぱいいた記憶はあるんだけど、あれよりダンチに凄い。
 写真撮りたかったけど、撮ってるとこ見つかったら殺されそうなんで、ちょっとムリでした。
 どうにもならない生のままの、巨大すぎる、匂いたつような貧困のデッサンがそこにはありました…。




 ただね、この光景、悲惨といえば悲惨なんだろうけど、僕的にはなんともエネルギッシュに感じられらたのも事実。
 これほどじゃないにしても、ひとむかしまえの東京の上野あたりじゃ、似たような光景はよく見られたんですよ。
 けれど、いま、東京でホームレスの姿を見ること以前よりぜんぜん少なくなりました。

---なんで?

---貧困ビジネスに喰われちゃったから…。

 いま現在の日本には、ホームレスをあえて誘い、生活保護を申請させてから彼等を集団で狭い住居に住まわせ、その生活保護のあがりをかすめるという手口のニュービジネスが存在し、蔓延しているのです。
 こうしたビジネスをビジネスとして認めてしまうという社会は、僕は、「悪」だと思う。
 弱者を喰いモノにし、税金のあがりをかすめ、それを商売として認可してしまう社会っていったいなんなの? って感じます。
 また、これは、あくまで推測でしかないけど、2010年に外国からの臓器移植が禁止になってから、このような貧困狙いのビジネスが興隆してきたって話もある。 
 もの凄い闇ですよ、これは…。
 マスコミも扱わない、貧困ビジネスの世界の裏で、いったいなにが行われているのか?
 そういった意味で西成地区にまちがって迷いこんだこの道中は、僕的には非常に刺激になりました。
 ええ、年金が破綻したいま、西成地区の窮状は、僕等にとっても他人事じゃない。
 あれは、ひょっとしたら僕等の社会の「あした」かもしれない---沖縄での現況が僕等の「あした」でもあるように…。

 思わず硬すぎる話になりました---でも、僕、こんな風な旅になったのは、やっぱり、これ、「三輪さん」の導きだったように感じてるんです。
 聖から俗---さらには俗の下にある地獄界---それらが三つ巴になって、僕等の世界は今日も輪転していきます。
 ほんとに「あしたのジョー」じゃないけどさ、ついこういいたくもなってくるよね?

---ねえ、世界、知ってたらちょっと教えてもらえないかな?---僕等はどうなるの?---幸せになれる? それともいままでの弱者切り捨てや自分だけ勝ち組の業なんかで地獄堕ち決定かな? 黙ってないで教えて---僕等のあしたってどっちよ……?


★この大阪発の親友Yの口から、古い学生時代の女友達のKちゃんが去年死去していることを知らされびっくりしました。
 高校のころのM・I君、バンド仲間だった家高、太極拳の師範代だったマブダチのS・O…夭折した大事な友人らの顔が次々と胸中をよぎります。
 ねえ、俺ら、いつのまにかそんな世代になっちゃったんだなあ…。
 Kちゃんとはそれほど仲良しじゃなかったけど、いっしょに旅行にもいったりした若いころの大事な仲間ですから。
 死因、くも膜下だったそうです。
 月並みですけど、Kちゃんの冥福を願ってやみません…。