イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その99☆殺人狂紳士 ペーター・キュルテンについて☆

2012-03-13 12:34:18 | <がらくた小箱>
                               


 20代のある一時期、殺人狂の事件記録に夢中になったことがあります。
 コリン・ウィルソンの「殺人百科(彌生書房)」をはじめ、牧逸馬の「世界怪奇実話(当時は現代教養文庫から4冊1組で出版されてました。いまはちょっと分からない)」、渋澤龍彦、種村季弘の諸著作---さらには、国会図書館にいって、あらゆる関連図書をかたっぱしから読み漁ったモンです。
 なぜ、そーまで、彼等の事件に魅かれたのか?
 あらためて自問すると回答はなかなか出てきづらいんですけど、彼等、実在の殺人狂の記録が僕を夢中にさせたというのは本当です。
 彼等がそれぞれの短い不幸な生涯をかけて残した血みどろの事件記録は、荒涼とした彼等・殺人者の内面のたくらまざる表現のようでした。
 なんというがらんどう! 
 なんという虚無とナンセンス!
 彼等、殺人者の内面に視線を滑りこませる行為には、縁日の、いかがわしいお化け屋敷のなかをこっそりと覗き見るような、一種淫らな喜びがありました。
 ロンドンの場末の娼婦ばかりを狙い、そのわずかな逢引の時間内に、文字通り被害者の彼女たちを次々と「解体」していった、連続殺人の始祖ともいうべき、伝説のあの「斬り裂きジャック」---。
 いかにもひとあたりのよさげな紳士ヅラを利用して、次々と年輩の女性宅に入りこみ、彼女たちを絞殺してはその遺体に下品な化粧と悪戯とを施していった「ボストンの絞殺魔」ことアルバート・デザルヴォ---。
 戦後ドイツ、目にとまった美しい浮浪児を自宅に誘い、彼等を犯したのち殺害し、解体したその肉を自らの肉屋で販売していた、狂気のカンニバリスト、フリッツ・ハールマン…。
 目にとまった通りすがりの他人の「生命」を次々と吹き消していく彼等の役割は、まさに「死神」です。
 ページを繰るたびに、心中の不毛の濃度は強まっていき、自分内のポジティヴ度数が見る見る目減りしていくのが分かります。
 ああ、なんだか息苦しいったら---。
 ちょっと川端康成の小説の読後感に似ていなくもない---人生のすべてがペラペラの徒労、もしくは虚脱色に褪せた無為として感じられてしまうような---あのざらざらした独自の窒息感が、足のくるぶしあたりから這いあがってくるのです。
 まあ、でも能書きはこのくらいにしておいて、いよいよこのページのキモであるキュルテンのプロフィール、いきませうか---。
 では、「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれたペーター・キュルテンの伝記のダイジェストをば---なお、これは、イーダちゃんが20年前に書いた小説からの抜粋であります---。


                             


 ちょっと怖い殺人狂の話をひとつ---。
 ペーター・キュルテンは一八八三年、ドイツのケルン・ムルハイムで産まれた。スターリンやヒトラーや毛沢東、歴史に名を残した生き身の吸血鬼の多くがそうだったように、キュルテンもやっぱりさんたんんたる幼児期をそこですごした。
 キュルテンの父はアル中の鋳型職人、当然一家は極貧状態で、一時は家族一三人が一部屋に寝起きしていた。妹のひとりは幼いキュルテンにセックスをもとめ、彼はその誘いに乗らなかったが、父親はこの娘とひそかに通じ、そのために投獄されたこともあったという。
 キュルテンは九才のとき、最初の殺人を犯した。
 ライン川のいかだのうえで水遊びをしているとき、まちがって川に落ちた仲間の少年と、それを助けようとして川に飛びこんだ少年のふたりを、いかだの下に押しこんで戯れに溺死させたのだ。
 十三才で獣姦をおぼえる。羊、山羊、豚などを犯すことに夢中になった。
 十六才で鋳型工の見習いになるが、ひどい扱いを受け、その腹いせに店の金を盗んでコプレンツに逃げる。売春婦と同棲。その地で窃盗により初の投獄を経験する。以来、憑かれたように窃盗をくりかえし、十七犯を重ねる。
 一九○○年、詐欺罪でまたもや二度投獄、さらに娘を銃で撃ち殺そうとして二年の刑を受ける。結局、詐欺罪もつけくわえられて、それから二年間牢獄内で暮らすはめになる。キュルテンはこのあいだに世間に対して復讐することを夢見るようになった。
 出獄すると今度は徴兵だった。もちろんすぐに脱走する。
 脱走の道すがら、キュルテンはあちこちの納屋や干草の山に放火する。ぱちぱちと音をたてて燃えさかる炎をながめていると身体の底がうずくような不吉な快感をおぼえた。

「あのなかに浮浪者なんかが寝ていりゃあいいんだが……」

 そんなことをちらりと考えてもみる。
 一九二九年、キュルテンは九才の少女を戯れのすえ殺す。その死体の一部を燃やしたのち、憑かれたように子供や若い女をねらっての淫楽殺人を執拗にくりかえした。
 鋏で殺した。金槌で殺した。
 エンマ・グロッソ殺害の折りには発作的に彼女の首の肉を噛みちぎるようなことまでしている。
 デュッセルドルフはこの姿なき殺人狂に震えあがった。その噂は全ヨーロッパに広がった。キュルテンは「デュッセルドルフの吸血鬼」という異名を頂戴し、そのことになかば得意になった。
 警察はもちろん必死の捜査をつづけてはいた。しかし、不運にも証拠らしい証拠がなにもなかった。
 おなじ年の七月には苦しまぎれに透視術の女をふたり招いたりもしている。だが、そうした努力はすべて徒労に終わる。ツキの秤はまだキュルテンのほうに傾いているようだった。 
 八月のなかばごろ、キュルテンはゲルトルスト・アルベルマン、マリア・ハンの二少女を殺害する。ふたりともまだ五才だった。その事実を手紙にこめて、キュルテンは新聞社に送りつける。

「私がゲルトルスト・アルベルマンとマリア・ハンを殺したという事実を、私は告げているのだ。私のいうことを信じないというなら、私は喜んで証拠を示そう。同封の地図を見るがいい。図の場所にゆき、印の地点を掘ってみることだ。ふたりの少女の無残な死体を君らは発見することであろう」

 署名には「天才」と書かれてあった。
 この時期、キュルテンは異様な夢をしきりに見ている。それは深夜の山狩りの夢だった。多くの市民たちが火のついた松明片手に山道をゆき、口々に「吸血鬼は退治された。吸血鬼は退治された」と嬉しそうに叫んでいる。それを聞いていると、なぜだか自分も肩の荷をおろしたような幸福な気持ちになったという。
 キュルテンは一九三○年の五月二十四日、午後三時半に逮捕された。
 危ういところでキュルテンに殺されそこなったひとりの女性が、警察を彼の自宅まで案内したのだった。
 しかし、キュルテンの妻、フラウ・キュルテンはどうしても夫が「デュッセルドルフの吸血鬼」であるという事実を信じれなかったらしい。

「そんなばかなことはありません。夫はそんな怪物じゃない、親切ないい人です。人を殺すなんてそんなことがやれるような人じゃありません!」

 くりかえし警察にそんなことを証言している。この夫人はキュルテンの死刑ののち、発狂している。
 キュルテンの裁判は一九三一年の四月からはじまった。法廷は各国からの新聞記者やおびただしい傍聴人に湧きかえった。そのころのドイツでは死刑廃止運動が盛んで、キュルテンもその波に乗り、一時は死刑を免れかかったりもしたのだが、公衆がそれを承知せず、七月一日に猛烈なキュルテン死刑促進運動といった市民の示威が起こった。
 市民連はなんと百三十年もまえのギロチンを担ぎだしてきた。それでキュルテンを死刑にしようというのである。
 キュルテンは一九三一年の七月、ケルンのクリンゲルンピィッツ刑務所でギロチンによって処刑された。彼には通常でもひとの首から生き血の流れる音がごぼごぼ聞こえるといった幻聴癖があり、自分の身体を離れた首から生き血が流れでるそのときの音もぜひ聞きたいものだ、といいつづけていた。
 キュルテンは処刑の直前にかなりの量の朝食---カツレツ、ポテトチップス、白葡萄酒など---をうまそうに食べ、おかわりまで要求した。首が胴体を離れる最後の瞬間まで、愉快そうににこにこ笑っていたという…。

 英国のコリン・ウイルソンはその著書「殺人百科」のなかで、仏の殺人者ラスネールの章に寄せて彼のことをこう書いている。

「ラスネールはもっともありふれた殺人者であると同時に、もっとも興味ある人間のひとりである。その罪にもかかわらずペーター・キュルテンとおなじように、読者に一種の同情を感じさせる珍しい犯罪者のひとりでもある」

 ぼくもまったく同感だ。ペーター・キュルテンに関する著作を読むたびに、ぼくはなんともうら淋しい星空の思いに駆られたものだ。キュルテンの首が斬られた瞬間、胴と首との裂け目のなかから昇天していった星がきっとあったと思う。
 もちろん、キュルテンという人間自体を聖化するつもりなんかない。彼はあんまり虚無に近すぎる。人間の屑を通りこしてもうほとんど影ぼうしだ。自分とすれちがった人々の幸福を魔法のように陰らせるのが唯一の特技で、生涯を通じてやったことはたったそれだけ。あわれすぎてなにか笑いたくなってくる。
 しかし、にもかかわらず、ぼくにはキュルテンの遺骸から昇天していった一個の星の姿が鮮やかに見えるのだ。
 この星には安住の空がない。夜空のいちばんはしっこの軌道をくるくると、見捨てられた人工衛星のようにいつまでもまわりつづけるばかりだ。
 キュルテンの星は永遠につまはじきの除けものなのだ。自分を受け入れてくれる宇宙が見つかるまで、少なくともあと数億年はひとりぼっちでおなじ軌道をまわりつづけなくちゃいけないだろう。けれども、そのことはあまり苦にしていないみたいだ。ひょっとしたらいまでもまわりながら、人間でいるときにも見たあの松明の夢をうつらうつらと見つづけているのかもわからない。
 ぼくはときどき、そんなキュルテンの星にむかって手紙を書きたくなる……。


                                   *               * 

 以上がキュルテンの物語の大まかな総括なんですが、ねえ、いかがです?
 気味わるいっしょ? 背筋がゾゾゾと不吉っぽいでしょ?
 なにがとは限定できなくとも、話を聴く以前より自分内の憐憫レベル濃度が上昇してきたように感じられませんか?
 うすら寒くなるような「虚無のまなざし」が、かつてキュルテンと呼ばれていた人間の肉体の内奥から、貴方の魂を無遠慮にじろじろと覗きこんできた感触を、しっかりと体感できたでせうか?
 ええ、ペーター・キュルテンというこの紳士は、不吉な「虚無の国」からやってきた王子なんじゃないのかな、と僕は考えているんです。
 影の垂れこめた暗い地獄界からやってきた彼は、本当は何事かを体感したかったんじゃないのかな?
 強力な恋愛---それによる猛烈な感動---もしくは熱烈な生命のたぎりみたいなやつを。
 しかし、彼が間借りした肉体は、幸か不幸か、たまたま心が死んじゃってた肉体だったんですね。
 なにをしても、なにを見ても面白くなくて、ただ、しらーっと退屈なの。
 「ツマラナイ」という名の餓鬼地獄---。
 一秒ごとに心がミイラ状にカサカサになってゆくなんともイヤーなマンネリ地獄---つまんなくてつまんなくて、もー なにやってもつまんなさすぎて、ほとんど冷感症みたいになった心を、この先の人生もずーっと運びつづるけることを考えたら、それだけで憂鬱で気も狂わんばかりになってくるわけ。
 彼にとって、日常とは、退屈と無為の織りなす責め苦でしかないんです。
 少しでも「生」の実感を味わおうとしたら、彼には、セックスと殺人しかなかった。
 実際、奥さんのフラウ・キュルテンは、彼の性生活は異常に強力で、彼が1日に15回以上求めなてこないときはなかった、と証言しています。
 1日15回ってなによ! とイーダちゃんはここで思わずのけぞりそうになります。
 色情狂でない、常識ある女性であるところのフラウ・キュルテンには、夫であるキュルテンのこの超・絶倫ぶりは、苦痛以外の何物でもなかったようです。
 彼女は、キュルテンの要求に、肉体的にも精神的にも応じられなかった。
 でも、キュルテンはそんなときでも怒ったりしなかったそうです。舌打ちもしないし、家庭内暴力なんかもふるわなかった。
 彼は、そんなとき、苦笑いをひとつすると、帽子をとって、黙って外にでていったそうです。 
 で、その出先で彼がなにをやっていたのか?---いうまでもなく、それは、murder でした。

----ねんねんころり ねんころろ ねんねんころころ 皆殺し(寺山修司「田園に死す」より)

 それが、キュルテンの子守唄だったのです。
 殺人が、糞みたいな日常から逃げ出しうる、唯一の脱出口に見えたんでせうか。
 もちろん、誰かを殺したからって皇帝になれるわけじゃないし、自分以外の人間に転生できるわけでもない。 
 殺した子供の首の肉をかじりとっても、キュルテンはいつものしがないキュルテンのままでした。
 あれ、どうしたんだ、オレ? どこにもいけてないし、なんにもやれてないじゃないか…!
 なんという幻滅---唇を被害者の少女の血の色に染めながら、キュルテンはひょっとして笑ったかもしれません。
 枯葉が鳴るようにかさこそと---なんだ、つまらない、少女の死も自身の狂気も、しょせんはおんなじ無意味でしかないじゃないかって…。

 ペーター・キュルテンは、連続殺人犯のある意味「精髄」を満たした典型的なモデルケースだといわれ、現在も研究されつづけています。
 もちろん、彼を英雄視なんかしてないし、どーしようもない病人として認識しているんですが、いくとこまでいってしまった人間の業(カルマ)というものが、これほど剥きだしになった例というのは、それほどなかったように思います。
 こんなドロドロの虚無世界は、ええ、ふだんなら不吉すぎるしおっかなくて立ち寄りなんかめったにしないんですが、ごくたまーに、怖いもの見たさの好奇心で彼の文献にあたってみたりすることが僕にはあるんです。
 今回のがその典型的な例ですかねえ。かつて実際に存在したこの壊れたオトコの体臭にじかにふれ、これを読んだ貴方が、いささかなりとも背筋に冷たいモノを感じていただけたなら幸甚です---。<(_ _)>
 
 
 

 

 
 
 
 


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1 コメント

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Unknown (ひろし)
2012-10-29 12:56:21
そりゃ毎日
野良仕事して
妻子の顔見て
日曜日は教会に行く

それで退屈しないほうが
どうかしてんだよ。

人間は狩りをして
生きてきたんだから。

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